犬嫌いなあの子に犬のぬいぐるみを贈ったこともあったなって話

よなが

本編

 進学先の土地で就職して二年目の秋にドロップアウト。ドロドロとした職場恋愛に巻き込まれて、精神的に追いつめられてしまった。そうして地元の実家に戻って、働き口を探しているところだった。

 気が滅入ってしかたなかった長い秋雨の時季がやっと終わり、晩秋の真昼に一人で近所を散歩していた。再就職はうまくいっていない。親からは「いっそ誰かいい人のもとに永久就職できたらいいんだけどねぇ」と言われる始末。そういうの、今の時代に合っていない価値観だと思うけれどな。


「こんなお店あったんだ」


 あてのない散歩の末、見知らぬ脇道を抜けた先に見つけたぬいぐるみ専門店。販売だけではなく、どうやら修繕だったりクリーニングだったりも引き受けているらしい。看板の具合から言って、まだ十年も経っていない。私が大学に進学してからできたのだろうか。こんな地方の都市部とは言えない場所に構えて、大丈夫かな。すぐに潰れちゃわないかな。などと、無職の身で勝手に心配になる。


 入るつもりはなかった。

 でも、そのピカピカに磨き上げられたショーウインドーの片隅に、ちょこんとお座りしている犬のぬいぐるみを見つけて、つい足が止まった。

 間抜け面のシベリアンハスキー。そういえば、あの子に贈ったのもこういうやつだったなって。


 高校時代に二か月間だけ付き合った女の子がいた。

 生徒会で書記を務めていて、背が低く、右の目尻に黒子があった。それと彼女はハスキーボイスがコンプレックスの一つだった。私からすると、どこか色気を感じさせる声だった。

 異性とも付き合ったことなかったのに、初めての恋人が同性になるとは露にも思っていなかった私だ。そもそも蓉子ようことはそれまで特別に仲のいい友人だったわけでもない。彼女曰く「もし親友の距離感になってしまったら、恋愛対象として見てくれないかなって」とのことだったが、当時の私からすれば同性というだけで無意識にそういう対象から外していた。

 でも、付き合った。好きか嫌いか真剣に訊かれて「嫌いではない」とこちらも真摯に答えた。嘘ではない。それに無関心でもいられなかった。告白してきたときの蓉子のちっとも気後れしていない態度とその笑みは確かに私の心を魅了した。

 だから、付き合った。そう言うべきなんだろうか。高校二年生の冬のことだ。


 春が来る前に私たちの関係は自然消滅していた。キスまではしたけれど、喧嘩はしなかった。それなのに気がつけば見えない壁ができていて、友達の距離にもならずに、三年生には別のクラスとなり、そのまま季節が巡ると物理的にも離れ離れになった。


 付き合っていた頃の、ある日の帰り道。

 小型犬を散歩させている人とすれ違う際、蓉子が隣にいた私の腕をぎゅっと掴んできた。力の入り具合が彼女の普段の愛情表現とは異なっていた。完全にすれ違ってから、彼女は「私、犬ってダメなの。小さい頃に噛まれちゃって。今ではあんな小さい犬にでも吠えられるのが怖い。もうね、苦手というより嫌いになっている」と恥ずかしげに教えてくれた。試しに私がワンワンと彼女に向かって吠えたら、むすっとしていたっけ。

 その一週間後ぐらいだったかにショッピングモールでのデート中に、私は彼女に例の犬のぬいぐるみをプレゼントしたのだった。これから慣れてみようって。あの時の蓉子、微妙な顔をしながらも「ありがとう」って言ってくれた。まさかあのぬいぐるみが別れた原因ではないよね?


 ショーウインドーの中には他にクマとキリン、それからゾウがいた。全部、大きい。小さい子供の手には余る。抱きしめるのも一苦労。

 そのゆるゆるとした顔つきのシベリアンハスキーだけなんだか不釣り合いだな。よくよく目を凝らす。やはりあの時のぬいぐるみそっくりだ。それから私は映りこむ自分の表情に笑みが浮かんでいるのに気がつく。

 蓉子、今は何をしているんだろう。会いたいって思った。私、なんだかんだ好きだったんだな。馬鹿だな、今更そんなこと気づいている。


 お店に足を踏み入れる。犬を一匹連れて帰るのも悪くない。

 ほどほどに狭い店内に大小さまざまなぬいぐるみが並べられている。窮屈にはしていない。適度な隙間があって、たとえばワゴンに投げ込まれている子なんていない。


 いらっしゃいませ、と声がした。忘れられない声。その声の主と顔を見合わせる。

 驚いた。私も向こうも。


あや……だよね?」


 そこに蓉子がいた。


「あ、うん。久しぶり」


 狼狽えた私はそんな返事をよこす。あの頃の思い出が一気に蘇ってきて、何とも言えない気持ちになった。

 

「えっと、あの犬ってもしかして?」


 私がそう言うと、蓉子は涙黒子のあたりに触れ、照れた表情で肯いた。

 そうして私たちは見つめ合う。お互いに今は他に大切な人がいるかどうかは知らないくせして、まるで恋人みたいな熱い視線を交わす。

 

 やがて、くすっと柔らかな笑みをこぼした蓉子が愛しくて、いたたまれなくなった私はワンと鳴いてみるのだった。 

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犬嫌いなあの子に犬のぬいぐるみを贈ったこともあったなって話 よなが @yonaga221001

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