07 担任教師龍造寺
「災いの芽は早いとこ摘んでおいた方がいい」
男は少年に言った。
「焦って物事をするとヘマをする」
と少年が返す。二人の間に不穏な空気が流れた。
* * *
祐太郎が図書室に行ったのは、生徒会長の那須と水曜の例会の前にちょっと話をするためだった。早い話がデートである。その日の放課後、祐太郎は浮々と図書室に向かった。
図書室の貸し出しカウンターには会計の小宮がいた。祐太郎を見るとニコとえくぼをへこませた。その顔を見て祐太郎はこの前のことを思い出した。小宮はあの時、何を言おうとしたのか。
「小宮さん、この前何か言いかけましたよね。あれは何ですか?」
黒い瞳が真直ぐに小宮を見る。
「え?」と聞き返した小宮は祐太郎を見返して慌てた。
黒い瞳がまるでそこに穴でも開いているかのようにぽっかりとあった。惹き込まれて何でも喋ってしまいそうだった。
実際小宮は言ってしまった。
「君なら、僕を助けてくれるかと思って──」
だがそこに、図書室のドアを開けて祐太郎の担任の龍造寺が入って来た。
「ここにいたのか、秋元」
小宮は口を噤んで俯いてしまった。仕方無しに祐太郎は龍造寺のところに行った。
「何でしょうか、先生」
井桁や三好が騒いでいた背の高い男を見上げる。眼鏡越しの切れ長の目が祐太郎を見下ろした。
龍造寺を間近にじっくりと見たことはなかった。整った大人の顔だ。何故か出張で南米に行った父を思い出した。祐太郎の頬が少し染まる。
そして龍造寺が用件を切り出す前に、那須が来たのだった。
一瞬、三竦みの形になった。
大人の龍造寺が先に立ち直って「今日は生徒会があったか。じゃあ明日」と譲った。そのまま背中を向けて図書室を出て行く。
それを見送った那須が振り向いて、不審げに「龍造寺先生は何を?」と祐太郎に聞く。
「別に何も」と祐太郎は龍造寺の去ったドアを見たまま答えた。
生徒会室は賑やかだった。衣装の仮縫いが出来上がっていて、先に来ていた小平と鳴海が衣装を着けて、生徒会の連中にやんやと囃されていた。
那須と一緒に祐太郎が生徒会室に入ると、鳴海がキッと睨んできた。その顔が泣きそうに沈んでぷいと向こうを向いた。祐太郎の胸が何故かチクリと痛む。
那須の顔を見上げると、那須は気付かない様子で祐太郎に「衣装を着てみせて」とにっこり笑った。
部屋の隅にスケスケの白地に真っ赤な帯のど派手な衣装がボディに着せてあった。ついでに鬘まで被せてある。
(アレを着るのか……)
祐太郎は唾を飲み込んだ。皆がじっと見ている。
仕方ないと制服をその場で脱ぎ始めたら、那須が慌てて止めた。
「向こうで着替えてくれ」
ボディの衣装と鬘もろとも祐太郎を生徒会室と隣接する小部屋に押しやった。隣の部屋でブーイングが起こる。祐太郎は首を傾げて衣装を着替え始めた。
着替えて、鬘を被って出て行くと、皆の目がまた、まん丸くなった。
「恋って一瞬のうちに来るのでしょうか?」
「へ?」
いつもの寮部屋である。祐太郎の突然の言葉が佐野には解せない。祐太郎は那須にのぼせていた筈だが。今日も図書館で会って、一緒に生徒会室に行くとか昼休みに言っていなかったか。
佐野は背中合わせの椅子を反対座りになって、祐太郎の側までコロコロと椅子を押して行った。
「何だって?」
「ええと、僕は気が多いのかな。龍造寺先生が話しかけてきて、目が合って……」
祐太郎が図書室での出来事を佐野に説明する。
「それで?」
「父のことを思い出してしまいました」
「……」
(コイツってファザコンだったよな)
「こう、世話をしてあげたいと……」
「世話なら、俺の世話をしてくれ。いや、させてやるっ!」
佐野が断固として言った。これ以上余計なライバルが増えるのは困る。
「佐野君のですか?」
祐太郎が側に来ている佐野を振り返った。黒い瞳がじっと見る。
「文句があるか」
「いえ、ないですけど。でも、佐野君は父とは違います」
(同じであって、堪るか!)
と佐野は内心で叫ぶ。
「僕はやっぱり那須さんのことが好きなんですよね」
佐野の気持ちも知らない祐太郎は、何だかホッとしたように言った。
「まあ俺たちはまだ若い。色々な奴を見て、その中から一番を探せばいいさ」
「そうですね。那須さんはとても人気があるんですが、龍造寺先生も人気があるそうです。佐野君もですよ。佐野君と同室だというので皆が羨んでいました」
祐太郎がニコニコと邪気のない笑顔で笑う。
「そういえば佐野君は転校生だそうですね」
「中学三年のときにな、親の転勤でさ」
「ああ、僕と同じですね」
「まあな。それで俺のことはどう思う」
「佐野君ですか。いい友達だと思っています」
「あっそう…」
やっぱりなと内心溜め息の佐野に、祐太郎は更に追い討ちをかける。
「安心してください。佐野君のことは夜中に押し倒したいと思ったりしませんから」
「……」
(俺の方が押し倒したいんだ。それも、今すぐにっ!!)
という内心の叫びを、佐野は必死で堪えた。
翌日、龍造寺は図書室と同じ棟にある多目的ホールの一室に祐太郎を呼んだ。明るい教室には椅子と机が十ばかりで他には何もない。
龍造寺は二つ並べた机の上に生徒の個々のデータらしき分厚いバインダーを置き、祐太郎に座るように言って、自分も目の前の椅子に腰掛けた。祐太郎の目の前に大人の整った顔がある。
「君もクラス委員と寮祭の掛け持ちで大変だろうが、クラブ活動は何もやっていないんだな」
「はい」
「何か入りたいものはあるか」
「佐野君が柔道部に誘ってくれていますが」
「ああ、同室の」
龍造寺は余裕ありげに頷いた。祐太郎の父は眼鏡をかけていなかったので気がつかなかったのだが、間近に見るとやはり父に似ているような気がする。
「この学校は全員クラブ活動参加になっているんだ。私からは文芸部を勧めたい。寮祭が終わってからでいいから考えておいてくれ」
「はい。考えてみます」
話が終わってホールを出ると、同じ棟にある図書室に行く気になった。
図書室を覗くと、小宮は昨日と同じように貸し出しカウンターのところにいた。祐太郎を認めて立ち上がり、他の生徒にカウンターを任せて側の小部屋に招いた。
小宮は生徒会室と同じように、隅に仕切られた流しに行ってお茶を入れ始めた。馥郁とした香りが部屋に溢れる。小宮は両手にカップを持って出て来た。カップの一つを祐太郎の前に置く。
「どうぞ」
と勧められて祐太郎はカップを手に取った。
一口飲んで、いつもと違う味がするなと思った。目の前の小宮を見るとカップを持つ手が微かに震えている。
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