送る日【KAC20232 お題「ぬいぐるみ」】

蓮乗十互

送る日

 家を飛び出した真弓は二時間ほどで戻ってきた。狂乱の影は既になく、佐太郎すけたろうは内心の安堵を秘めて「お帰り」と呟いた。


 真弓は出先で買い求めた文庫本を手にしていた。明治期にこの街に居た外国人文豪の随筆、タグシールには古書肆こしょし泥蓮洞でいれんどうの店名。


「明日、この場所に行きたい」


 真弓はある頁を示し、佐太郎は黙って頷いた。彼女の闇を共に歩くと決めていたから。


 翌日、あの子の六度目の雛祭りになる筈だった日に、四十九日を営む。幼子を亡くした二人をいたわる法話。真弓の表情は硬く沈んだ色をして、佐太郎も疲れ果てていた。


 菩提寺を辞去して北へ。松映市中心部から澄舞半島の山向こうに日本海が広がり、小さな港から遊覧船が出ていた。


「冬の間は休止でね、今日が運行始めですよ」


 人なつこい船頭の船が向かう先は、古記録で神仏の御座おわす海上洞窟群だ。


 真弓は遺影を取り出し、船外に向けた。つらい抗がん剤治療の中、病院のベッドで見せてくれた笑顔。胸に抱いた青いクマのぬいぐるみ──アオクマちゃんは、あの子の棺に入れた。


 幾つかの洞を縫うように船は進み、最後の岩場で上陸する。暗く細い隧道を歩いた先の巨大な洞窟に、賽の河原が広がっていた。無数の石積み。ランドセル。靴。人形。命を喪った子供の数と、残された者の悲しみの数。


 洞の奥の闇に目を凝らす。真弓はアオクマちゃんの幻を見た。霊山浄土であの子の横にいる筈の、手作りのぬいぐるみ。


 振り向くと、逆光の中に船頭が立っていた。その横顔は、先程までとは別人に思えた。


「親はいつまでも子を忘れず、子も親を想い続けるのだ」


 あなたは泥蓮洞の……と真弓が口の中で呟く。


 不意に光が、波音が、潮の香りが、風が、真弓の感覚を揺さぶった。佐太郎の腕が彼女の肩を抱いていた。とても温かかった。


「では、帰りましょうか」


 船頭は元の笑顔でそう告げた。


 その夜、真弓と佐太郎はあの子を送る静かな涙を流した。

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送る日【KAC20232 お題「ぬいぐるみ」】 蓮乗十互 @Renjo_Jugo

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