おもちゃの補修屋さん

柚城佳歩

おもちゃの補修屋さん

みんなが寝静まる、夜も更けた頃。

家の中では静かに動き出す影。

そっと抜け出して向かうのは、ずっと昔におもちゃ屋だった面影が残る古い家。


ぽつんと佇むその家の奥で、小さく明かりが灯る。

そこは夜の間だけ開くおもちゃの補修屋さん。

今夜もひっそりと開店です。



* * *



「こんばんは、補修をお願いできるかな」


人間用の扉の横に作られた小さな扉を開いて入ってきたのは、子どもたちに人気のヒーローの人形だ。

綺麗な服を着た着せかえ人形のミキさんが高史たかふみさんを呼びに行き、その間にぼくは椅子へと案内する。

高史さんというのは手先が器用な若い人間で、昔この場所でおもちゃ屋を始めた人たちの孫なんだそうだ。

お店はずっと前に閉めちゃったそうだけれど、今は高史さんと着せかえ人形のミキさんを中心に、この補修屋をやっている。


「君は見ない顔だね。新人かな」

「えっと、ぼくは」


期待の新人!……だったらかっこよかったのだけれど。


「……ただの居候です」


ぼくの持ち主はまだ小さい女の子、りこちゃんだ。四才の誕生日にプレゼントされた、ちょっと特別なテディベアで、足にローマ字で名前と誕生日の日付が刺繍されている。

包みを開けて目が合った途端、それはもう喜んでくれて、朝起きてから夜眠る時までずっとぼくを離さなかった。


「そんなに大切にされていたなら、なんでまたこんな場所にいるんだい?」

「実は、りこちゃんがお友達と公園に遊びに行った時にぼくの事を忘れちゃったみたいなんだ」

「でも、すぐに探してくれたんじゃないのか?」

「同じ場所にいたら見付けてくれたかもしれないんだけど、そこからいろいろあって……」


本当にいろいろあった。

かくれんぼという遊びをしていたりこちゃんと一緒に木の後ろに隠れたまではよかった。

何回か遊んでいるうちに遊具の方へ興味が移ったのか、その時隠れていた場所にぼくを置いたままお友達と行ってしまった。


ちょっと淋しかったけれど、帰る頃には気付いてくれるはず。

そう思って待とうとした時、どこからか飛んできたボールがぶつかり、その勢いで道路に投げ出され、轢かれそうになっていたところを親切な人が拾い上げて歩道の端っこに座らせてくれたと思ったら、今度は飼い主を振り切って走ってきた様子の大きな犬に耳を噛まれながら遠くまで引きずられ、少し後に飼い主らしい男の子とそのお母さんが追い付いて、ぼくに気付いた男の子が「持って帰ってもいい?」って聞いたら「そんなに汚いものはダメ」と返され結局その場に取り残されて、どうする事も出来ないうちに夜になった。


せめて汚れた体を綺麗にしようと、人間に見られないように気を付けながら水のあるところを探してやっと川を見付けたと思ったらうっかり流されてしまい、体が水を吸って重すぎて動けなくなっているところを、このおもちゃの補修屋に向かっていたうさぎのぬいぐるみに偶然発見されて、呼んできてくれた高史さんに助け出されて今に至るというわけだ。


「……それは大変だったなぁ」

「うん。いつか帰れたらいいんだけど」


高史さんはぼくをすっかり綺麗にしてくれたあと、家まで送ると言ってくれたのだけれど、住所はもちろん、目印になりそうな建物すら覚えていないのではどうする事も出来ず、行くところがないならと置いてくれている。

そんな話をしているうち、高史さんを連れてミキさんが戻ってきた。


「こんばんは。今日はどうされました?」

「俺の持ち主の坊やが、また力の加減も知らずに思い切り投げてね。箪笥に当たった時に足の塗装が剥げてしまったんだ」

「確かに少し傷付いてますね。でもこれくらいなら目立たなく出来ますよ」

「よかった。でもせっかくなら新品に見えるくらいに直してはくれないのかい?俺みたいなのは、きっと来年には新しいやつがいい!って言われてしまうから、出来るだけかっこよくいたいんだ」

「ダメですよ」


そう言ったのはミキさんだ。


「前にも言ったでしょう。ここはおもちゃたちが人と少しでも長く一緒にいられるようにメンテナンスをする病院みたいなものですが、一番は人間に気付かれない事です。もし疑問を持たれたとしても、気のせいだと思われる範囲でなきゃ。私たちおもちゃの傷が勝手に直っていたり、急に綺麗になっていたら驚かれちゃうでしょ」


そう、ここは人間相手ではなく、おもちゃのための補修屋だった。

だから人間が眠っている夜の間に密やかに開かれている。


「わかってるよ、言ってみただけさ。それじゃあ今日もよろしくお願いするよ」




ヒーローの人形が帰ってしばらくすると、また小さな扉が開いて誰かが訪ねてきた。


「こんばんは」


優しい声で挨拶をしたのは、ぼくと同じテディベアのハナさんだ。

ハナさんはこの近くに住むおばあちゃんの家で暮らしていて、もう何十年もの長い間大切にされているそうだ。

週に一度ほどのペースでメンテナンスも兼ねてお話に来るので、ぼくも何度も会うようになって、今では同じテディベアの大先輩としても親しみを感じている。

それに、近くにいるとどこか懐かしいような匂いもするんだ。


「皆さんいつもありがとうね。実は今日はお別れのご挨拶に伺ったの」

「えっ」


予想していなかった内容に驚いたのはぼくだけじゃなかったみたいで、一緒に聞いていた高史さんやミキさんも話の続きを待っている。


「あぁ、悲しい話じゃないのよ。私がいる家は、今はあの子一人で住んでいてね。おばあちゃんの一人暮らしを心配した息子さんのご家族が、一緒に暮らそうって前から言っていたの。迷っていたみたいだけど、一緒に暮らすって決めたみたい。息子さんたちのお家はここからは少し離れているから、次はいつ来られるかわからないでしょう?たくさんお世話になった高史さんたちには直接お伝えしておこうと思って」


なるほどそういう事か。淋しくなるけれど、これで最後のお別れってわけじゃない。

それよりも、今の話を聞いていたらりこちゃんの事を思い出してしまった。

あれから結構経つけれど、ぼくの事まだ探してくれてるのかな。それとももう忘れちゃったかな。


「明日息子さんたちが来るの。もうほとんどの荷物は送ってしまっているから、そのまま一緒に新しい家へ行く事になるわ」

「あの……」

「なぁに?」

「新しい家に行くって言うんなら、今日はうんと綺麗にしちゃいませんか!」


良い事を思い付いた!とばかりに頭に浮かんだまま言ってしまってから気付く。

あ、でもそれじゃあこの補修屋のポリシーっていうのに反する、よね。

言ってしまった後では取り消す事も出来ず、おろおろするだけのぼくに、ハナさんが笑い掛けてくれる。


「素敵ね、ぜひそうしてもらおうかしら」

「うん、いいんじゃないかな」

「そうね!せっかくですものね」


ハナさんに続いて、高史さんとミキさんも賛成してくれる。


「私、今まで一度も家を抜け出すところをあの子に見られた事はないの。これは自信があるわ。でもね、私が動けるって事、あの子は気付いているんじゃないかと思うの。だからきっと、私が急に綺麗になっても驚かないんじゃないかしら」

「え!」

「高史さんも前に言っていたのだけれど、たまにいるんですって。私たちが自由に動いたり話したり出来るって事に気付く人間が」


その後、いつもより時間を掛けて高史さんの手で丁寧に手入れされて、いつものようにみんなでお話もした。

名残惜しさはあるけれど、いつまでも引き留めておくわけにはいかない。

また会う事を約束して、ハナさんを見送る。


「君も行くかい?」

「え……」


ハナさんが出て行ったばかりの扉を見詰めていたら、高史さんの優しい声がした。


「気になるなら君も一緒に行っておいで。もしかしたら良い出会いがあるかもしれないよ」


ぼくは、どうしたいんだろう。

りこちゃんのいる家に帰りたい気持ちは変わらない。でも、この人たちともっと一緒に過ごしてみたい気持ちもある。


「迷ってるなら行っちゃいなさい!何か感じたんでしょ?直感って案外当たるものよ」


ミキさんの言葉と手が、ぼくの背中を押す。


「もしもまた何かあった時には、すぐにここへ戻っておいで。もう場所は覚えたろう?」


高史さんも手を添えてくれる。


「……っ、ぼく行きます!今まで本当にいろいろとありがとうございました!きっとまた遊びに来ます!」


くるりと向き直り二人へ感謝を伝えると、先に行ったハナさんを追い掛けた。


「ハナさん!」


こうなる事がわかっていたんだろうか。

ゆっくりと歩くハナさんに、すぐに追い付いた。


「ふふ、あなたも一緒に来る?」

「はい!お願いします」


初めて入るハナさんとおばあちゃんのお家は、花で溢れる可愛らしい場所だった。

そしてやっぱりどこか懐かしく感じる匂いがした。


空が明るくなって、ハナさんの持ち主であるおばあちゃんが起きてきた。

ハナさんの隣に知らない間に増えているはずのぼくを見ても「あら?」と一度首を傾げただけで気味悪がる事もなく、むしろ「お友達かしら」なんて笑って歓迎してくれた。


お昼が近くなって、外から車の音がした。

おばあちゃんの息子さんご家族がやって来たみたいだ。

ドアが開く音といくつかの足音の少し後、賑やかな声が近付いたと思った時。


「あ!くまちゃん!」


懐かしい声と同時に強く抱き締められていた。


「くまちゃん!よかった!ずっと探してたの。置いてっちゃってごめんね。また一緒に遊んでくれる?」


ぼくの目を覗き込む小さな女の子。

もう会えないかもと思ったりこちゃんがそこにいた。


「足の刺繍を見た時にもしかしてと思ったんだけれど、やっぱりりこちゃんのお友達だったのね」


しばらく混乱していたけれど、どうやらハナさんの持ち主のおばあちゃんは、りこちゃんのおばあちゃんでもあるらしかった。

すごい偶然だ。ハナさんやおばあちゃんのお家から感じた懐かしい匂いも気のせいじゃなかったんだ。


「よかったわね」


ほくにだけ聞こえるように、ハナさんがそっと伝えてくる。


「はい!」


今度また高史さんやミキさんに会う時は、この驚くべき偶然の話をしよう。


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