海底の本屋

黒鉦サクヤ

海底の本屋

 海底にも本屋がある。

 ただし、陸にある本とはまるで似ていない装丁のものを置いている。水の中でインクが滲んで読めなくなっては意味がないし、紙が破れてしまっても本の意味をなさないから当然と言えば当然だが。

 ここにあるのは、滑らかな海藻に魔法のインクで書かれた本たちだ。子どもの読むお伽噺から、冒険譚など幅広く取り揃えている。

 陸にある本を海版に変えたものが多いが、その理由は簡単だ。海中では本を読む者が少ない。本を読むより歌を好む者や歌が上手い者が多いため、歌い語り継がれるのが一般的なのだ。

 そのため、語り継がれるものを文字でわざわざ読もうという者は少ない。よって、海の者が知らない物語をということになると、陸で刊行された真新しい物語を売るのが現実的ということになるのだ。

 しかし、最近面白い人物がこの本屋にやってきた。自分の書いた本を売ってくれないかというのだ。

 その人物は、薄紫の波打つ髪が美しい人魚だった。柔らかな声音で言葉を紡ぎ、真っ直ぐに見つめる瞳は大きく澄んでいる。

 どんな話を書くのかと聞いてみると、子ども向けの可愛らしい物語だという。陸で子どもたちが読むという絵本を、見様見真似で描いたのだと、人魚は私に数枚の海藻を差し出した。

 海藻に魔法のインクで描かれていたのは、海の中をイルカの子供が大冒険するという物語だった。優しい文章と可愛らしい絵柄が相まって、魅力的に描かれている。鮮やかな色彩で描かれたそれはとても美しく見えた。これは売れるに違いない。そう思った私は、私は二つ返事で人魚の本を売ることを承諾した。


 読む人も立ち寄る人も少なく、閑古鳥が鳴いていた海底の本屋だったが、人魚の本を置いてからは客層がガラリと変わった。読書家は相変わらず来ていたが、子ども連れが増えた。人から人へと噂が広がり、人魚の絵本を求めて子どもたちがやってくるようになったのだ。

 いつも売り切れになってしまう人魚の絵本。中毒性があるとでもいうのか、新作が出るたびに血眼になって求める者が多かった。

 そのうち、奇妙な話を聞くようになった。ある日、子どもたちがいなくなるのだと。何かに操られるように、子どもたちはゆらゆらと波間を漂いどこかへと行ってしまうそうだ。引き留めようとしても、小さな体のどこから出るのか分からない力で引き離されてしまうという。

 不思議なこともあるもんだ、と思いながら、私は今日も人魚の本を売る。

 人魚の本には美しく柔らかな声音で歌う魔物がいつも出てきて子どもを攫うが、これはただの物語だし関係ないだろう。

 私は先程渡された人魚の新作も良い話だった、と魔物の出てくる絵本を閉じた。

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