第10話

 夏の間、シフォニアとライモントは様々なパーティーに参加した。シフォニアはクルエ辺境伯爵領から出られないので二人で行った場所は少なかったが、大切な思い出になったとシフォニアは満足している。幸いにもダヴロスとの一件を悪く言う人とは出会わず、むしろどこどこの誰々が心配していたとライモントから聞くくらいだった。この地に来て良かったと、シフォニアは心の底から幸福に思う。

 落ち葉が庭を覆う頃、クルエ辺境伯爵邸には王都から来客が訪れた。玄関の外で待ちわびていたシフォニアは、車を降りた二人に勢いよく駆け寄った。

「お父様っ、お母様っ!」

「あぁ、ニア、久しぶり」

「ニア……ずっと会いたかったわ」

 ヴィリーズ公爵夫妻に抱き締められ、シフォニアの目には涙がにじんだ。耐えられずぽろぽろとこぼしながら、最愛の両親との再会を噛み締める。手紙で連絡を取っていたとは言え、その温もりは恋しかった。

 春から夏の間、ヴィリーズ公爵夫妻は王都から動けずにいた。社交界ではあることないことが噂されており、それに対抗するにはヴィリーズ公爵領にもクルエ辺境伯爵領にも行くわけにいかなかったからだ。何よりも娘の名誉のために、二人は王都に残ることを決断した。それを分かっているシフォニアは、両親の愛情を一度でも疑ったことを恥じた。

 気が済むまで抱擁とキスをしたヴィリーズ公爵夫妻は、ようやくライモントに向き直った。

「ご無沙汰しています、クルエ辺境伯。この度は本当に、何とお礼を言ったらいいか……」

「ヴィリーズ公爵、どうかお気になさらないでくださいませ。お二人に再びお会いできて光栄でございます」

「ニアがお世話になっているんですもの、そんなに畏まらないで」

「……では、お言葉に甘えて。本日は我が邸へようこそ」

 ヒューヴァイン・ヴィリーズ公爵とフィオラ・ヴィリーズ公爵夫人の言葉に、ライモントは肩の力を抜いた。ゆったりとした動作で先導し、食堂へと案内する。現在はちょうど昼時であり、昼食を共に取ることになっていた。

 王都からクルエ辺境伯爵領までは気軽に行き来できる距離ではないので、ヴィリーズ公爵夫妻は三日間ここに滞在する。往復の日数を含めると、約一ヶ月の旅程だ。二年間の留学もありほとんど会えていない分、シフォニアはこの三日間の過ごし方をよく考えた。両親にはクルエ辺境伯爵領での生活がとてもいいものだと知り、安心して帰ってもらいたい。そのために協力すると、ライモントは快く申し出てくれた。

 昼食のメインディッシュは、鹿肉のソテーだ。玉ねぎで作ったドレッシングのおかげでさっぱりと食べられるので、ヒューヴァインもフィオラも気に入ったらしい。ライモントが狩った鹿なのだとシフォニアが教えると、二人共詳しく話を聞きたがった。それが嬉しいシフォニアも、ライモントに話をせがむ。期待の眼差しを向けられたライモントは、気恥ずかしそうにしながらもつい今朝のことを語った。シフォニアはライモントと両親の関係性を知らなかったが、これを見ている限り良好そうだと密かに安堵する。己の好きな人々が和やかに交流している様は、傍から眺めていて喜ばしい。

 食事を済ませると、シフォニアは両親を庭へと連れていった。今の時季は色づいた葉が美しく、木の実がその隙間を飾っている。遠慮して最後尾を歩いているライモントの代わりに、シフォニアはここの素晴らしさを伝える。来たばかりの頃はこの景色が心を慰めてくれたと言えば、ヴィリーズ公爵夫妻は眉尻を下げたものの、確かに癒やされると共感した。

 時間はあっという間に過ぎ去り、夜が来た。客室で思い出話に花を咲かせていると、フィオラはシフォニアに気遣わしげな目を向けた。

「クルエ辺境伯のことは、どう思っているの?」

「どう?」

 その質問の意図が分からず、シフォニアは首をかしげた。ライモントはこの場にいない。本人の前でも答えられる質問なのに、わざわざこのときを待ったのはなぜだろうか。

 ところが、問いの本意はシフォニアの予想とはずれている。

「あなたが本心から笑えているなら、嫌ではないんでしょう。――けれど、結婚したいと思えているの?」

 結婚、と、シフォニアは口の中で繰り返した。目を逸らしていたわけではなかったが、すっかりと自覚を忘れていた未来に、思考が止まる。

 娘の戸惑いを感じ取ったのか、自分たちも政略結婚だったはずだとヒューヴァインはフィオラをたしなめた。すると、今は時代が違うとフィオラは反論する。ここ二十年ほどの間に恋愛結婚が主流になりつつあり、結婚に愛情を求める人が増えたと。そして、シフォニアもそうであるはずだと。

 視線を向けられ、その通りだとシフォニアは思う。ダヴロスと結婚したいと夢見ていたのも、恋愛感情があったからだ。王妃になりたいとか実家に箔を付けたいとか、そういうことは望んでいなかった。好きだから、一生を共にしたかった。

 では、ライモントとはどうだろうか。シフォニアはライモントに恋をしていて、死ぬまで一緒にいたいと願えているだろうか。

 シフォニアが望むなら王家に抗議すると、フィオラは切に訴える。世間はシフォニアに味方する人々が大半であり、王家も押され気味だと説く。ライモントには申し訳無いが、他の娘を紹介するから気にしなくていいと、フィオラはシフォニアの頭を撫でた。ヒューヴァインも、そう望むならと頷いた。

 沈黙に促されるようにして、シフォニアは想像した。己は他の人を見つけるかもしれないし、独り身のまま人生を終えるかもしれない。どちらにせよ、ライモントは別の人とこの地で生きていく。誠実なライモントは、シフォニアではなくその人を愛そうとするだろう。陽光を通す青葉に似た、あの緑の双眸がシフォニアを真に映すことは、二度とない。

「……嫌です……」

 気づけば、口を突いて出た。そうなの、とフィオラははっとしたようにもう一度尋ねる。――だが、そうではないのだとシフォニアは立ち上がった。

「私は、ライと結婚します!」

「……!」

「まだ一年も経っていないのに、軽薄だと思われるかもしれません。ですが、それでも、私はあの人がいいんです。あの人が私を好きだと言ってくれたように、私は……」

 己が半ば無意識に紡いだ言葉のおかげで、シフォニアはようやく気づいた。春の木漏れ日のように穏やかな心地も、夏の日差しのように上がる体温も、秋の渡り鳥のようにはやる鼓動も、全てがそのせいだった。ずっと気づかなかっただけで、その気持ちはずっと心にあった。――シフォニアは、ライモントに恋をしている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る