宏樹君の休日

代官坂のぞむ

第1話

 矢形宏樹やかた ひろきは、渋谷駅のいつもの乗り換えルートから外れて、地上に上がる階段の方に向かっていた。本来なら、JRから地下鉄に乗り換えて真っ直ぐ家に帰るのだが、最近溜まってきた受験勉強のストレスを発散させないと、どうにかなりそうだったからだ。

 高校三年の夏ともなると、予備校の授業もラストスパートがかかってくるし、模試の結果にも神経をすり減らすばかり。黙って勉強ばかりしていたら、そのうち参ってしまうのは間違いない。予防のために発散しておくのは、必要な受験対策だ。

 自分を納得させるための理論武装をして、駅前にある本屋に足を踏み入れた。


 その本屋は、広くはないが三階建てになっていて、小さなイベントコーナーまである本屋だった。文芸書や詩集の品揃えがよく、著者のサイン会などもよく開催されていたから、以前からよく立ち寄っていた。今日も新刊の小説コーナーをぶらついて、目についた本を読んで気晴らしするつもりだった。

 文芸コーナーには先客が一人だけいた。セーラー服を着た中学生くらいの女の子が、新刊の小説を開いて熱心に読んでいる。


 横に並んで、書棚に平置きされたタイトルを眺めていると、その少女はチラリとこちらを見て横に移動した。近寄るな、という無言の威嚇が、宏樹にも突き刺さるように伝わってくる。

 反発されるほど近づいた覚えはないが、痴漢と言われて騒がれても困るので、宏樹は新刊コーナーを離れ、後ろの既刊の日本文学棚に移動する。そこからは、新刊コーナーも目に入るが、気にせずに前から読みたかった本を手に取った。

 しばらくすると、いきなり宏樹の目の前にその少女が現れて、低い声で言った。

「ねえ。さっきから私のこと、ずっと見てるけど、何か用?」

「いや、別に用はないけど……。てゆうか、君のことなんか見てないんだけど」

 少女は威嚇するような目つきで言った。

「ううん。さっきから見てるでしょ」



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宏樹君の休日 代官坂のぞむ @daikanzaka_nozomu

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