第19話  盗賊姫

 夢を見ていました。

 どこか懐かしく、どこまでもグチャグチャで不鮮明な夢を。

 居心地が良いのに、泥の中のようにもがくしかない無意識の中で、私は縋るように手を伸ばしました。


「モルテラ様っ!」


 伸ばした手が掴むものは無く、見えたのは木目の天井。


「ここ、は……ぐぅっ!?」

「あー、駄目だって。そんな急に動いちゃ」


 全身に走った激痛。

 乱れる呼吸、身体を包み込む悪寒と熱。

 誰かの声。


「驚いたよ。空から急に君が降ってきたんだからさぁ。生きるのが嫌になって飛び降りでもした? 残念ながら生き残っちゃったけどね、ウケる」


 霞む視界、近づいてくる誰か。

 このままでは……何もできません。


「まあしぶとく生き抜いたものは仕方ない。一度死んだと思って人生楽しく」

「――主、よ」

「ん?」

「――癒し、よ」

「……それ」

「――聖女わたしは……此処に」

「その光、君は……」

「――祈りを、想いに」


 癒しの奇跡が、モルテラ様の加護が、私の身体を楽にしてくれました。

 それでも倦怠感は抜けず、すぐには動けそうにありません。


「はは、これは驚いたな」

「……貴女は?」


 どうやら私は、ベッドの上で眠っていたようです。

 小さな、木製の小屋。

 私と同じ16歳ぐらいの、中性的な女の子がベッドの前にいました。


 瑞々しい新緑色の短髪、くりっとした黄金色の瞳と高い鼻。

 細い身体が鮮明に浮かぶピッタリ密着した黒色ノースリーブのボディースーツと、わずかな胸の膨らみ。

 左肩だけ伸びた、左右非対称の濃緑色をしたケープマント。

 マントと同じ濃緑のショートパンツに、土色のロングブーツ。

 腰に交差するように巻かれた二本の紺色のベルトには左右それぞれに鞘入りのダガーナイフ。更に露出した右の太ももにも細いベルトが巻かれ、そこにも一本のナイフが収められていました。

 

 その軽装からおそらく彼女が盗賊シーフだと推測します。

 しかしそれにしては身形が良い、いえ、良すぎるように感じました。


「そんなに熱く見られると照れちゃうなぁ、ボク。女の子同士なのにね、ウケる」

「……失礼いたしました」

「いいよいいよ、ボクそういうのに偏見とかないし。それより、さ」


 彼女は興味津々な子供のような笑顔を向けて。


「どうしてルーチェの聖女様がドラギルト帝国領の山奥にいるの? 密偵? 逃亡? はは、どっちでも面白いけど」


 私に、問いかけました。


「ドラギルト……ここは、ドラギルト帝国なんですか!?」

「え、知らなかったの? アハハっ超ウケる! そりゃ無用心に祈りの奇跡なんて使うよね! いやいや、おかげで良いものが見られたよ!」


 ドラギルト帝国。

 その名前を知らない筈がありません。

 大聖国ルーチェから山を挟んだ北部にある、皇帝が統治する武装国家。

 人がこの世の頂点とするその考えは、過去の歴史上で何度もルーチェとぶつかり合う原因でした。

 今は争乱の時代ではないので表面上は体裁を保っていますが、お父様が死にかけていた時でも隣国なのに使者の1人も送らないぐらいには仲が悪い国です。


「いけません! そんな危険な場所にモルテラ様が」

「だーめっ」

「っ!?」


 起き上がろうとした瞬間、彼女によって組み伏せられてしまいました。

 刹那の早業、私が何の反応もできずに。


「まだ安静にしてなさい! 聖女の祈りだって、万能じゃないんでしょ?」

「で、ですが……!」

「強情だなぁ。聖女ってもっと清廉で清楚で物静かでおしとやかなイメージがあったのに。いや、君の方が人間臭くてボクは好きだけどね。あ、そうだ!」


 私から離れ立ち上がった彼女がまた子供のような笑みを浮かべます。

 今度はまるで、悪戯を思いついたような顔を。


「ボクが誰か、知りたがってたよね最初。うん、そうだ。ボクだけ君の情報を知っているのはフェアじゃない。それじゃあ面白くもなんともない」

「……なにを」


 彼女は二歩後ろに下がり、そこでクルリと一回転。

 まるで舞踏会の主役のように、洗練された美しいステップ。

 左肩のマントが揺れ、その所作に、まるでドレスを着ているように幻視さえしてしまうほど、彼女の動きは完璧なものでした。

 そのまま膝を曲げ、優雅に、私に。


「ボクは、マウ。マウ・ア・ドラギルト。ドラギルト帝国第1皇女で盗賊シーフが生きがいな普通の女の子。よろしくね大聖国の聖女様……やっぱり良い顔するね、ウケる!」


 その名を告げて、大笑いしました。

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