馬鹿な紫陽花令嬢の結婚にまつわるエトセトラ

木曜日御前

第1話 紫陽花令嬢の婚約

 

「モンシェリ国の辺境伯令嬢が、私のお看取り・・・・にくるだと!? 何を馬鹿・・なことを!!」

 

 響き渡るアモール王国前王弟殿下の怒鳴り声は、よわい七〇を超えたと思えないほどに勇ましく、屋敷の使用人たちや衛兵も思わず肩を振るわせた。そして、その声は殿下が住む美しい白亜の屋敷の外へまで聞こえてくる。

 梅雨晴れの青々とした空の下に聞くには、随分と荒々しい雷のよう。

 晴天に降り注ぐ雷音を、屋敷の入口の扉前で薄紫色のドレスとケープ、頭には大きなツバが広がる帽子を身につけた令嬢が、じっと立ち止まり静かに聞いていた。

 

「しかも、あの噂の馬鹿な紫陽花あじさい令嬢! ただの厄介払いに、私を使いおって!」

 

 次に落ちた雷も、もし本人が聞いていたらと思うと、大変失礼な言葉である。それは、この令嬢を迎えに来たと思う執事の一人も思っているのだろう。青褪めた表情で令嬢に頭を必死に下げていた。

 しかし、令嬢はその執事に対して、ぎこちない笑みを浮かべ、頭上げるようにお願いする。その後、自分の帽子を取る。

 アッシュブロンドがきっちりと一つまとめにされ、薄紫の瞳が鈍く光る。特徴的なのはそれくらいで、後は凡庸ぼんようと言わざる得ない顔つきで、少しばかりつり上がった瞳のせいか、ひんやりとした雰囲気が漂っている。

 

 彼女の後ろにいる荷物を持つ顔を布で隠した侍女を引き連れて、令嬢は屋敷の中へと入っていく。

 

「私の伴侶はソーランジェだけで良いのだ、ああ、ソーランジェ、なぜ私より先に死んだのだ」

 

 入口から続く大広間にも響く荒ぶる雷は、次第に嘆きの雨へと変わる。それでも、この殿下は昔幾多いくたの戦場で兵士をひきいてきた人である。その嘆きの雨音も彼の心を表すような音だ。

 ソーランジェは数年前、流行病で亡くなった殿下が愛した彼の妻である。

 

「ああああ、死に際に馬鹿・・な令嬢をめとらされるとは! 私のお看取り・・・・がこんなことになるとは!」

 

「し、しかし、オルテンシアの紫陽花令嬢は、モンシェリ国最高峰の学園である聖ジョシュア貴族学院を首席卒業しておりますし、私も彼女のことをよく知っていますが寧ろかしこいと……」

 

「五回も婚約を駄目にして、最終的にはたかだか騎士爵の若者に嫁いだと聞いてる! 辺境伯の娘がだぞ! 難があるに決まっておろう!」

 

 さっきよりも雷は小さくなっているが、それでもよく響く。勿論、殿下がいる外の廊下にいたら、耳を傷ませるような大声だ。責めるような鋭い内容に令嬢を案内する執事の顔も、青から土気つちけ色へと変わっていた。令嬢はその内容を涼しい表情で聞き、ただ雷の根源へと歩みを進めていた。

 辺境伯と騎士爵の爵位の差は、簡単に埋まるものでもない。何せ、辺境伯は王家、公爵家の次の爵位であり、騎士爵は一代限りかつ最底辺の爵位だ。なぜその二人が結婚出来たのかと一時期国をまたいで笑い話として・・・・・・話題になったくらいだ。

 

「でも、陛下からもお看取りがないと困るからと……」

「そんな馬鹿な令嬢・・・・・にお看取りされる方が問題だ!」

 

 まるで最後に振り絞った雷鳴らいめいに、執事ですらもさすがに飛び上がった。令嬢も思わず、硬直するがそれはあくまでも音に驚いただけだ。

 

 たしかに、お看取りされる人は出来るだけ選びたいだろう。令嬢も殿下の言葉には心のなかで賛成した。

 

 このお看取りというのは、死に行く男性をお看取りするためだけに結婚する女性のこと。

 周辺諸国が皆信仰しているアイア教には、「妻にお看取りされなければアイア様の足元てんごくに行けない」という教義がある。貴族にとって、この教義の遵守は最優先。王族となれば、なんとしてでも守らなければいけない。

 

 思いの丈を叫び疲れたのか、静かになった殿下がいるであろう扉の向こう。

 執事は意を決して、ドアをノックした。

 

「なんだ?」

「オルテンシア辺境伯令嬢がご到着し、ギュンター殿下にお目通り願いたいとのことです」

 

 前王弟殿下ことギュンター殿下の問いかけに、執事は応える。令嬢はその後ろでじっと扉の向こうを見ていた。断るか、どうか。その時を待つ。

 

「わかった。入れ」

 

 どうやら、許されたようだ。令嬢はしっかりと前を見据える。

 そう彼女こそ、馬鹿な紫陽花令嬢と呼ばれ、散々なことを言われ続けていた辺境伯令嬢こと、ハイジア・オルテンシアである。

 

 

 ーーーー

 

「お初にお目にかかります、殿下。モンシェリ王国から参りました。ハイジア・オルテンシアと申します」

 

 ハイジアは扉の向こうに入ることなく、その場で右足を左踵の後ろに向かって斜めに引き、左足もまた膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま挨拶を述べる。

 美しいカーテシー貴族礼であり、その洗礼された所作に近くにいた執事も目を見張るものだった。

 ハイジアは久々にアモール王国での礼法を、頭でしっかりと確認しつつ、丁寧に動いていく。

 

「最低限の礼はできるようだ。オルテンシア令嬢、入室を許可しよう」

 

 殿下が横たわる豪奢で大きなベッド。部屋の壁には彼が愛する家族たちの肖像画が、いくつも飾られている。

 

 ベッドのサイドまで執事に連れられて、殿下の足元付近まで歩みを進めた。そして、もう一度カーテシーを披露した。

 

「勉強はたしかに出来るようだ」

 

 殿下は皮肉げに口を開くが、それに動揺するほどハイジアも馬鹿ではない。礼儀に乗って、まだ頭を下げ続ける。

 

「……頭をあげよ。私もこの令嬢と話したい」

「殿下のお優しい心遣い感謝いたします」

 

 ゆっくりと頭を上げると、ついにハイジアと殿下の目が合う。

 

 殿下の顔はやはり昔の精悍せいかんな面影はあるが、血の気はなく、目は白く濁っている。それはハイジアにも分かるほどに、どことなく死相が出ていた。ああ、強者も老いには抗えないのだろう。

 

「オルテンシア令嬢、いくつか質問しても良いか」

「はい、なんなりとお聞きください」

 

 殿下の言葉にハイジアは、すぐに返事をする。

 

「未亡人とは言え、辺境伯の娘がなぜお看取りに来た。お前なら、引く手数多あまただろうに。それとも、隣国の辺境伯といえ、金に困ってるのか?」

 

 実に率直な質問だ。たしかに、結婚というのはアイア教ではほまれとされており、お看取りなんてものは金に困った下級貴族令嬢がやるものだと思われている。

 しかし、その問いは、ハイジアにとって予想済みのこと。動じることはない。

 

「オルテンシア領は避暑地や別荘地として、国内外から注目されております。娘を頼りせずとも、独り立ち・・・・できるほどかと」

 

 ハイジアの言葉に、殿下も確かにと頷いた。その含みある言葉ごとだ。何故なら殿下は夫人が生きていた頃、二度ほどオルテンシアに足を運んだことがあったため、その土地のことをよく知っていた。

 あのオルテンシアが財政難とは思えないのだろう。

 

「ならば、お前はどうして、私のお看取りという、馬鹿な真似をしに来たんだ」

「馬鹿な真似なんて、そのようなことはどこにもありません。私は私の役目を果たしに来たのです」

 

 殿下は、言葉に貴族的なヴェールで濁すことが苦手なようである。いい意味で予想が外れた。しかし、こういう人はに対して嗅覚が効く人が多い。ハイジアは、率直に話そうと頭の中でプランを切り替えた。

 

「役目? なんだそれは、私を、馬鹿にしてるのか?」

「とんでもございません」

「ならば、お前がこんな酔狂な真似をする馬鹿ということか? なあ、馬鹿な紫陽花令嬢」

 

 ハイジアに対して、馬鹿とののしる殿下。しかし、ある種それは間違ってはいない・・・・・・・・。だからこそ、ハイジアはここで勝負に出ようと喉に力を込めた。

 

「お言葉ですが、殿下」

 

 静かに響く声は、先程の受け答えとは違い、真剣味が増していた。

 

「そう言われるのか、殿下は理由を知っているのですか? 知らずに馬鹿にするのは自ら無知を晒すのと同じですわ」

 

 それは隣国の王族に連なる人に到底投げかける言葉ではない。殿下もまさかのことだったのか、思わず言葉をつまらせたまま、口を歪めた。殿下のような、いい意味でも悪い意味でも真っ直ぐな人とって、この切り返しは辛いところだろう。

 

「なので、これからする私の話を聞いて判断してください。私が馬鹿と呼ばれてるのかを。そして、本当に馬鹿なのかを」

 

 真綿の中で育った令嬢とは思えない凄みを感じさせる言葉。冷ややかな雰囲気の中で、ここまで口が回るとは。

 あまりの前評判と乖離がある姿に、殿下は歪め閉じた口を開いた。

 

「わかった、ならば聞かせてくれ。なぜ、そうなったのかを」

 

 殿下は興味深そうに身を乗り出した。ハイジアはこの瞬間、かかったと心のなかで笑う。

 

「ありがとうございます。それでは、まず、私の身の上話から、そうあれは……」

 

 ハイジアは、少しだけ殿下に近づき語り始めた。

 

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