本屋の神様

星野道雄

「本屋の神様」

   KAC2023 お題①『本屋』

   カクヨムコンテスト9 出展

 

 

       「本屋の神様」

 

 本屋には神様がいるという。しかし神といっても本物の神様じゃない。

 

 むかし、人間のお店ではよく猫や狸や狐や犬。そんな動物たちが守り神を気取って店を守護していた。

 現在でも伝承として、動物たちの恩返しや守り神伝説は広く伝わっているほどだ。それほど昔は当たり前だった。

 

 

 小さな町の小さな個人店、この「田中書店」にも今時珍しく、守り神役として一匹の雌狸が働いていた。

 

 その狸、名をみどりという。

 先祖代々「緑系、緑っぽい」名前を受け継いで来た由緒ある家系の彼女は、心優しく、ふわふわして狸らしくのんびり屋だった。

 

 そんな彼女が何故、田中書店を守護しているのか、それは恩返しのためだ。

 

 翠がまだ子狸の頃、人間に化けて家族と山から街に下りた時に一度迷子になった事がある。一匹ぽっちでシクシクやり、もう化け術も解けてしまった。

 そして小さな毛玉姿で道の端っこにうずくまっていた。そんな時、田中書店の女店主(現在御歳九十)田中光代に助けられたのだ。

 

「あらあら、可哀想に。どこのペットちゃんかしら」

 

光代に優しく抱き上げられ、翠は店の中で毛布に包まれた。そしてクッキーを食べさせてくれたのだった。寂しさと不安でいっぱいだった翠の心は癒された。

 そして、人間に化けた両親が田中書店まで迎えにきて無事に家に帰る事ができた。

 

「大人になったら田中書店の守り神になろう!」

 

 翠は固く誓い、この恩に報いるため化け術の修行に励んだ。

 



          ◯

 そして月日は経ち、翠は晴れて田中書店のアルバイトとして働ける事になったのだった。従業員は店主の光代と人間に化けたバイトの翠の一人と一匹。

 だが二人きりなら思いっきり恩返しができる。翠は張り切って仕事に励み、術で幸運を招き、人を呼び、小さな幸福を店にもたらした。

 

 

 中でも翠が力を入れていたのは店の隅に机と共に設置された「ご要望ノート」である。

 これはもう何十年も前から店に存在するもので、お客さんが「店にこんな本が欲しい」や、「あの文房具を置いてほしい」、「レイアウトはこうしてほしい」など様々や要望が書かれそれを田中書店が可能な限り叶えるというものだ。

 

「お客様とせっかく結んだ縁。大事にしたいじゃない? だから交流の為に置いたのが始まりなのよ」

 

「わあ、それはとっても素敵な事ですね。私も精一杯お客様のお願いを叶えますよ!」

 

 翠はお客様の希望の本を発注し、文房具を取り寄せ、レイアウトの勉強をした。おそらくこの町で翠ほどインターネットに強い狸はいないだろう。

 そうやって一生懸命に田中書店に勤めてあっという間に一年が経過した頃だった。

 



「あれ、これ『ご感想ノート』?」

 

 翠はある日、営業時間終了後の店内掃除中にそのノートを見つけた。

 それは普通のB5規格ノートで、表紙には油性ペンで『ご感想ノート』と書いてあった。これは、この店で買った本を読み、その感想を綴る事で店主の光代や他の読者たちと交流を図るためのものようだ。

 ノートの前半はほぼスカスカで、正直このノートは流行らなかったらしい。

 

 だが、翠は奇妙な点を見つけた。必ず投稿には日付がふってあるのだが、一ヶ月前からは突然ほぼ毎日の様に『感想』が書かれていたのだ。それも読んでいくと書いているのは二人の人物の様だ。光代の書いたページはない。どうやら光代はこのやりとりに気づいていないようだ。

 



 ────。 

 ◯月△日

 

 はじめまして、初めてここに感想(?)を書きます。

 私はこの店に子供の頃から通っています。常連です。

 ですが、恋愛小説というものを買った事はありません。

 

 最近、彼女がほしいと思っていて、せめて小説の中ではキュンキュンしたいなと思っています(笑)

 

 おすすめの恋愛小説などありましたらぜひ教えてください。

 

 P.N ハンサム

 ────。



 このハンサムという人物が投稿した「感想」は恐らく店主の光代に向けたものらしかった。

 翠はページを捲る。このハンサムさんの投稿から一週間後に返信する形でノートに書かれている文章を見つけた。

 


 ────。

 ◯月△日

 

 ハンサム様、失礼します。

 

 私も幼い頃からこちらの田中書店様にお世話になっている常連の者です。

 

 恋愛小説をお探しとの事。余計な事かと思いましたが、私は恋愛小説には少々の心得がございまして、宜しければこちらでご紹介させて頂ればと思います。

 

 ご不快でしたら無視して頂いて結構です。

 

 P.N ナデシコ

 ────。



 ────。

 ◯月△日

 

 ナデシコ様、はじめまして。

 とんでもないですよ! 

 嬉しいです(笑)

 ぜひご教示くださいますと助かります。

 私たちは常連仲間ですし、どうやらこのノートは使われてなさそうですから遠慮なく。

 こちらこそ、宜しければおススメの恋愛小説を教えて下さい。

 

 ちなみに、ナデシコ様は女性の方ですか?

 

 P.N ハンサム

 ────。



 翠はページをめくる手を止めて左手で自分の額をぱちんと叩いた。

 全く、ハンサムくんは文章が全然ハンサムじゃない。最後の一文が「女性ですか?」は失礼だろう。仮にそうだとしても聞いてはダメなのでは。翠は狸だが女の子だ。女心は分かるつもりだ。

 これでナデシコさんはハンサムくんを嫌煙してしまうんじゃないか? 翠はページをめくってみた。

 


 ────。

 ◯月△日

 

 私たち常連仲間ですね^_^

 やった!

 私でよければぜひ、オススメしますね。

 まず、日本人作家の作品だと

 ──…


ええ、女性です。ハンサム様も女性の方ですか? (彼女ほしいって事は男性かな)

 このお店は女性のお客さんの方が多いので交流できたら良いな、と思って(><)

 

 P.N ナデシコ

 ────。



 そして、ハンサムが「読んでみます!」と返信し、さらに一週間が経過していた。

 翠は次の返信を読んでみた。

 


 ────。

 ◯月△日

 

 ナデシコさん! オススメしてもらった本、とても面白かったですよ!

 最後のシーン、彼を思って流した涙にはついウルッときてしまいました(笑)

 

 私はコメディやラノベばかり読んでいたのでこういう純文学っぽいのは新鮮で楽しく読めました!ナデシコさんはセンス良いなあ。

 オススメありがとうございました!ぜひまたオススメしてください!

 

 あ、そうそう私は男性です。これからは「僕」って書いた方が良いかな?(笑)

 

 P.N ハンサム

 ────。



「ハンサムくん…」

 

翠はつい呟いてしまった。ハンサムは何だか空回りしている気がする。しかもやはり文章はハンサムじゃない。

 これはもう、ナデシコは返事しないんじゃないか。翠は思ったが、なんとナデシコは律儀に返信していた。

 


 ────。

 ◯月△日

 

 気に入って頂けて良かったです^_^

 あの小説は私が中学生の頃に読んでいたものなので読みやすくてオススメしちゃいました!

 そんな、純文学なんて高尚なものではないですよ。センス良いのかな、私は笑

 

 コメディお好きなんですね、ラノベも。私はどちらもあまり読んだ事がないので良かったら、ハンサムさんにオススメしてほしいな……なんて( ̄∀ ̄)

 

 ええ! 男性の方だったんですね! 次にオススメする時には気をつけないとですね(*^_^*)

 

 P.N ナデシコ

 ────。



 ────。

 ◯月△日

 

 おお、ナデシコさんは文学少女だったんですね!いやあ憧れます。だからセンス良いのか(笑)

 マジすか、ならオススメしますよ!

 そうだなあ、読みやすいやつだと

 ────…


 この話はヒロインの女の子たちがみんな可愛くて癒されます。ちょっとエッチなシーンあるけど大丈夫かな?(笑)

 ぜひ感想教えて下さい。

 

 ナデシコさんは学生ですか?僕は24歳の新卒社員です

 

 P.N ハンサム

 ────。



 翠はノートを思わず机に叩きつけた。

 

「…ああっ!」

 

そして悔しさで変な声まで漏れた。何やってんだハンサム、せっかく良い雰囲気だったじゃないか。

 ライトノベル、しかも「ハーレムもの」と呼ばれる男性向け作品でさらにちょっとエッチなシーンあり(笑)の作品を最初に薦めるとは。なんだハンサム、何を考えているんだ。お馬鹿さんなのか?

 しかも最後に唐突な自己紹介。これはまずい。ナデシコさん多分ドン引きだよ。

 

「もう、何やってるのハンサム。焦ったいなあ、全然女心が分かってないよう」

 

翠はあまりにヤキモキして思わず化け術を解いて尻尾を出して振り回しそうになるほどだった。

 ちなみに、翠はここでの仕事を通じて本にはかなり詳しくなった。おそらく、翠ほど本に詳しい狸はいないだろう。

 


「翠ちゃん、どうしたの?」

 

 翠がノートの棚の前でバタバタしているので、光代が気になって様子を見に来たのだった。翠はすぐにノートを光代に見せた。

 

「光代さん、見てくださいよお、これ。どう思いますか?」

 

「あら、これ『感想ノート』じゃない。久しぶりねえ。全然流行らないから辞めようかと思ってたのよ」

 

「そうじゃなくて、これ投稿されてるんです。しかも交換日記みたいになってます。光代さん見てください、ハンサムくんとナデシコさんです」

 

 光代はチェーンで首にかけていた眼鏡をかけ直して、ノートを受け取ると読み始めた。

 そして、翠の読んだところまで読み進めると顔を上げて笑った。

 

「これはヒドイわね。ハンサムは相当なウブボーイだわ」

 

「でしょう? 私はもう気になってしまって」

 

「ふふ、見守ってあげたら良いじゃないの。このノートはやっぱり出しておくわ。じゃあ翠ちゃん、今日はあがっていいわよ」

 

「見守る、ですか」


翠はしみじみと呟いた。

 




           ◯

           

 ────。

 ◯月△日

 

 文学少女でした ^_^


 ラノベ、初めて読みました。これはすごいですね……。何というか未知の世界が広がっていました。

 女の子がいろんなパターンで主人公を誘惑したり、駆け引きしたり。さらに趣向を凝らしたキャラクター設定は独特ながら面白く感じました。

 読まず嫌いは良くありませんね。オススメありがとうございました。

 

 ハンサムさんは24歳なんですね!若い!笑

 私はハンサムさんの4つ上です。。( ̄∀ ̄)

 

 P.N ナデシコ

 ────。



 翌日、翠は業務中も空いてる時間にノートを盗み見た。だが、もしハンサムかナデシコに遭遇したらまずいのでお客さんがいなくなるまでは我慢して読んでいた。

 

 そして翠は続きを読み感動した。

 ナデシコさん、なんて人間ができた人なんだ。普通なら、ここでやり取りが終わってもおかしくない局面だったはずだ。

 

 

 翠は会ったことも無いこの人たちの虜になった。応援しているのだ。多分、ハンサムはナデシコにがある。ナデシコの方はあしらったり、意識した言葉を返したり付かず離れずの距離を保って返信していた。

 

「でもさ、必ず返事をするのだから嫌いじゃないんだよね」

 

翠はそう思って見守る事にした。そして店番の時もノートの棚を眺めて見張っていた。もしかしたらナデシコとハンサムに会えるかも知れないからだ。

 翠はナデシコとハンサムのやり取りを少しずつ楽しんでいた。棚に来る人たちは意外と多くいるので、この中の誰かがハンサムであり、ナデシコであると思えば店番も楽しくなった。

 

 

 段々と投稿の日付が現実世界に近づいてくる。翠は読んでいて、二人が少しずつ仲を深めていっているのを感じた。

 

 地元の話だとか、世代間ギャップの話とか、学生時代の話、ついに恋愛話まで始まった。やはりハンサムは彼女が出来た事がないらしい。ナデシコの方は婚約者がいたが、浮気されて別れてしまった。などかなり深くプライベートな話題までしていた。

 だが、このノートはもはや二人しか使わないので問題はないのかも知れない。さすがに本当に知られてはまずい事は二人も書かないだろう。

 

「おや、良い調子だね」

 

翠がこっそり読んでいると、光代が覗き込んできた。翠はさっと光代にも読みやすい位置までノートを移動させた。

 

「ええ、調子良いんです。それでついに次のページが“昨日”の投稿なんです。光代さん、一緒に見ましょ」

 

「良いねえ、何だか悪い事をしてる気分だよ」

 

 光代と翠は笑い合ってページをめくった。これは昨日の書き込みだ。

 



 ────。

 ◯月△日

 

 ハンサムさん、実はお知らせしないといけない事があります。

 

 私は実家に帰る事になりました。前に話した通り、実家は青森県です。

 帰るのは、縁談の話を頂いたからです。

 お相手は地元の名士だそうで、とても良い方だと伺っております。

 多分、もうこの町には帰らないでしょう。

 

 なので、最後に貴方に謝らないといけない事が一つ。

 

 思えば、最初はふと、このノートに気づいて何となくめくり、ハンサムさんを見つけたところから始まります。

 正直、恋愛小説をオススメしたのは自己満足でした。そしたら返信がきて、私はつい調子に乗ってしまい、やり取りを続けました。

 古い町の本屋さんで交換日記。何だか本当に恋愛小説の主人公になった気分でいました。

 

 私はずるい女です。自分の寂しさや虚しさを埋めるため、貴方を利用して夢の世界に逃げていたんです。貴方の気持ちに気づいていながら……。

 

 こんな私の話に真剣に耳を傾けてくれてありがとう。筆をとってくれてありがとう。

 

 さようなら、ハンサムさん。浮気された彼より先に貴方に出逢いたかった。

 どうか、彼女さんを作って、私が踏み躙られた若い時を楽しんで。

 お幸せに、私は願っています。

 

 P.S

もし、最後にワガママを聞いて頂けるなら。明日の16時半にこのお店でお待ちしております。

 

 大和 撫子

 

 ────。




 ────。

 ◯月△日


 僕には、分からない。

 なんて言ったらいいか

 

 ナデシコさん、残念です。

 なんというか残ねんです。

 

 はい、分かりました。

 さようなら

 

 P.N ハンサム

 ────。



光代と翠は顔を見合わせた。ハンサムが最後に書いたページは湿ってくしゃくしゃになっている。

 

 泣くほど悲しいならどうしてこんな事しか書けないんだ。

 泣くほど悔しいならどうして僕が君を奪うと言えないんだ。

 

 翠は歯痒かった。ノートを持つ手が震える。

 

 すると、光代が優しく翠の肩に手を置いた。翠がはっ、と見返すと、光代は力強くうなづく。

 

「翠ちゃんがやりたいようにしな」

 

 光代のその言葉で翠は覚悟を決めた。すぐにノートを机に置いてペンをとり、そこに殴り書きをした。

 

 店内の時計は十六時二十五分を指している。あと五分、いや、もうナデシコが来店してもおかしくない。しかし幸いにもまだ店内には誰もお客はいないようだ。

 翠は「田中書店」のエプロンをつけたまま、店を飛び出した。

 

 

 そして、翠が店を出る時、コートを来た綺麗な女性とすれ違った。翠には分かる。彼女がナデシコだ。

 

「どうか、まっててください」

 

そう呟いて店を飛び出し、町を走った。

 

 

 


「いらっしゃい」

 

光代は何食わぬ顔で来店した女性に声をかけた。すると女性は何も言わず深くお辞儀した。

 その時、光代にも彼女がナデシコだと分かった。彼女の事はもうずっと昔から知っている。この本屋に学生の頃から通ってくれていたからだ。

 

「そうかい、あんただったのかい」

 

光代はそう思い、微笑みを返してレジ奥へあえて引っ込んだ。あとはもう任せる。私の可愛い子狸、この本屋の守り神に。

 



 

 その女性、撫子は感想ノートを最後に確認した。もしかしたらハンサムから追加で何か返信があるかもしれないからだ。

 


 ────。

 ◯月△日

 

 私はこれまでお二人のやり取りを陰ながら見守っておりました。

 勝手に覗き見た事をまずは謝ります。ごめんなさい。

 

 だけど、これは言わせて下さい。

 

 ハンサムさん、これで良いんですか? 私はこの交換日記をまるで物語の様に楽しんでいたんです。

 貴方の物語の結末はこれでいいの?

 最後くらいハンサムにしたらどうなんですか! 男でしょう! 命賭けて戦うくらいやってみせてください!

 

 ナデシコさん、貴女も貴女です。夢から覚めたのなら何故、ハンサムさんを見てあげないのですか?

 なぜ、自分を偽るのですか?

 親の言われるがままで実家に入り、どこの誰と知らぬ名士とやらと結婚することが貴女の夢の果てだと仰るのですか?

 違うはずでしょう?

 

 だから、待っていて下さい。私がきっとお二人を引き合わせてみせます。

 

 突然現れて勝手ばかり言う私をお許しください。

 ですが、恋は求め、愛は与えるもの。求めた末に愛を見つけたならばどうか与えてあげてください。

 

 ────。




 撫子はノートをぱたんと閉じた。時刻は十六時四十分だ。

 

 ノートに書き足されたメッセージの書き手欄には、「本屋の神様より」と書いてあった。

 

       



          ◯

 翠はまず、鷹に化けて上空からハンサムらしき男を探した。この町はそう大きくない。ぐるりとすぐに町を一周した。だが、ハンサムはいない。

 次は猫に化けて町中の路地を回り、猫たちにも聞いてみた。しかし、ハンサムというペンネームと若い男という事以外、手がかりがないのでかなり骨が折れる。

 

 翠は一度人間姿に戻り、先日に契約したばかりのスマートフォンで電話をかけた。

 

「もしもし、お久しぶりです。源氏山翠です。──ええ、人を探して欲しいんです。そうです、とても大事なことです──はい、ありがとうございます」


 こうなれば人海戦術、さらには戦術を使う他ない。翠は知り合いの人間や狸たちに片っ端から連絡をとり、顔も本名も知らない「ハンサム」を探すための大捜査網を引いた。

 

 こんな終わり方なんて嫌だ。せめて最後に会わせてあげたい。これは「本屋の神様」としての使命じゃない。一匹の狸として、人間の友としての願いだ。

 

 

 

 もう日はすっかり落ちて時刻は十九時になるところだった。

 翠はハンサムこと、今市直常いまいちなおとこをついに確保した。

 

 彼は駅前のハンバーガーショップでナデシコに薦められた小説たちを泣きながら読んでいたらしい。連絡を受けてすぐに翠は飛んで行って直常を引っ張り出したのだった。

 

「あの、俺はもういいんです。ナデシコさんの事は諦めてますから」

 

 今市青年は自信がなさそうに背中を丸めている。もう泣き腫らした目も乾いてしまっていた。

 翠はそんな直常を引っ張りながら田中書店を目指した。

 

「良くないです。あんな終わり方は認めません」

 

「俺には最初から無理だったんだよ。調子に乗ってたんだ。異性と交換日記とかガラじゃなかったんだ。俺はダサい奴だし、無理だ。もうフラれた。」

 

「……そうですか」

 

 翠は短く答えると、あとは黙って歩く。直常もとぼとぼとその後についてくる。

 

 そして、田中書店に到着した。既に店は「閉店」の看板が出ている。しかし店のすぐ目の前に光代と、先程の女性が立っていた。

 ふと直常は顔を上げた。そして女性を見つけると釘付けになり、気づけば翠を追い越して走り出していた。

 




「ナデシコ、さん。ですよね?」

 

 肩で息をしながら直常は問うた。店から漏れる光に照らされながら、二人は向かい合う。

 撫子は答えた。

 

「はい、私がナデシコです」


それを聞き、目を見開いた今市青年は、吃りながらも言葉を返した。

 

「ナデシコさん、僕がハンサムです」

 

「知ってます」

 

「本当の名前は、今市直常いまいちなおとこです」

 

「それは、知りませんでした。私は大和撫子やまとなでしこです」

 

「素敵な、名前だ」

 

「なんですかそれ、変なの」

 

直常が間抜けな顔でそう言うので、撫子は思わずくすりと笑ってしまった。

 気がつけば、直常は口走っていた。無意識的に出た言葉だった。

 

「好きです。俺は、貴女の事が好きです。」

 

 その言葉を聞き、撫子は「知ってます」と短く答え、そして付け足した。

 

「私も好き。ナオトコさん、可愛い名前ね」

 

「俺は、ナオトコです、俺は……。ナオトコです、ナデシコさん!」

 

「ええ、知ってましたよ。ゆっくり、二人でいろんな本、一緒に、読みましょうね」

 

 意外にも、撫子が先に嬉し泣きしていた。するとつられて直常も泣いた。

 二人はついに、出会ったのだった。

 

 

 

 このあと、この二人がどうなったのか、それはまた別の話である。

 しかし、幸せになるオチ結末が待っているのだから、それは敢えて語る必要もないのかも知れない。

 

 

         

      


          ◯

 本には人を惹きつける魔力がある。文章には人の気持ちを動かす力が宿る。

 そんな本たちが集まる本屋もまた、不思議に満ちている。故に奇跡くらい簡単に起こってしまう。ご都合主義でも良いじゃないか、その方がきっと面白い。

 

 

 本屋には神様がいるという。神と言っても本物の神様じゃない。もっと小さくてふわふわで可愛い守り神だ。

 その神様は、人と人を繋ぎ、誰かの元に小さな奇跡を起こす。

 

 ここは小さな町の小さな個人店、この「田中書店」にも、守り神役の狸が働いていた。


────彼女の名は、源氏山翠。

しがない本屋の神様だ。





────「本屋の神様」完

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