File??:どこにでもいる 完




「はぁ……」


 連戦連敗。

 就職活動を始めてから今まで何社落ちたかもう覚えていない。というのは嘘だけども。きっちり覚えているがそれを思い出すと死にたくなるから忘れたふりをしているだけだ。

 カンカンカンと踏切の警報音が響いてくる。格好からして恐らく男子高校生の二人組が走って私を追い越していった。


「うわ、絶対待ちたくねぇ!」


 と、二人組の片方が叫ぶ。表情は窺えないが、この機会を逃すと結構な時間待たなければいけないんだなと察せられる程度には煩わしそうな言い方だった。

 ちなみにどれくらい待たなければいけないんでしょうか、なんて見知らぬ男子高校生に尋ねる度胸はない。そんなものがあったらとっくに内定を貰えている。多分。きっと。

 健全な白シャツの背中はぐんぐんと離れていく。私も走れば遮断機が下りる前に渡れそうだけれど、パンプスで全力疾走はしたくない。転ぶという根拠のない自信があった。それも踏切のど真ん中で。


「ははは……今日もツイてない……」


 斜陽が目に染みる。泣きたい。今回の面接もきっと駄目だろう。手応えなんてものは何一つなかった。

 数歩先で遮断機が下りる。警報音が喧しく鳴っている。

 高校生たちの去っていった方向をぼーっと眺める。他にすることもなかった。ざあ、と生ぬるい風が耳を撫でていく。

 さっさと家に帰って母の作った夕ご飯を食べたい。実家暮らしって最高。封筒が届くたびに、面接から帰るたびにものすごく気遣った笑顔で「どうだった?」って聞かれるのはとっても気まずいけれど。


「あ」


 踏切の向こう側に誰かがいた。誰か。誰だろう。母だろうか。多分きっとそうだ。二本足で立ってるし、服っぽいものを着ているし、髪があるし、私を見てにっこり笑っている。あ、でも、目はないみたい。鼻も。耳は髪で隠れているのかな。


「   」

「うん。行くよ。行かなきゃね」


 母に声をかけられたので。警報機は煩いけれど私を阻むものは何もない。ほら、遮断機だって、ずっと上がりっぱなしだ。



◆◆◆



 黄昏時ってのは碌なもんじゃない。


「待て。危ないだろ」

「……い……」


 肩に掛けていた黒い鞄を掴んで引き留めるが、女性――格好からして恐らく就職活動中の大学生――は無反応だった。ぶつぶつ言っているが聞き取れない。ひたすらに遮断機の下りた踏切の向こう側を見つめている。


「またかよ」


 眼鏡越しでも視える。幽霊……とも呼べぬ何か。化け物、あるいは怪異と呼ぶべきか? どっちも同じような意味か。今回は人の形こそしているけれども。

 バランスがちょっと……かなりおかしい。手足が異常に細長く、おれの十倍はありそうな巨大な顔の半分以上をびっしりと臼歯の並んだ口が占めている。顔にあるのはそれだけだ。眉毛も目も鼻も耳もない。だが、見られていると感じる。満面の笑みを浮かべていると想像できる。息遣いを体験している。


「おい。しっかりしろ」

「……た……い……」


 女性の肩を掴んで揺らした。軽率に触れたくはなかったが、鞄を捨てて向こう側に行かれては困る。女性はおれを無視したまま、しかし鬱陶しそうにおれを振り払おうとする。

 警報音が鳴り響いている。女性の抵抗を抑えながら線路を確認する。電車はまだ来ない。もうすぐ来るはずだ。早く、早く来い。ただし第三者は来るな。状況がややこしくなるし通報されかねない。

 アレは他に何をするでもなく女性かおれが来るのを待っている。やはり時間や空間をどうこうできるほど大した力は持っていないようだ。異界の混じりやすくなる黄昏時に乗じて、心の隙間の大きな人を釣って食おうとするだけのどこにでもいるもの。これまで飽きるほど視てきた。


「……いま」

「ただいま、か?」


 尋ねたところで返事はなかった。女性はただいまと繰り返しながら髪を振り乱して前のめりになっている。抵抗がこれ以上激しくなると無傷でとはいかなくなるぞ。金にもならないのに、余計な労力はかけたくない。

 女性の目にアレがどう映っているのかまではさすがに分からない。おれよりは人間っぽいものが見えているのだろうか。

 アレが人間を食うのは『核』を保って消えないようにするためだ……とおれは考えている。ああいう類は獲物を選ばない。だから今まさに食われる寸前の女性に恨みがあるわけでも悪意があるわけでもましてや好意があるわけでもない。

 ただ一瞬、目が合ってしまっただけだ。きっと女性は自覚もしていなかっただろうが。その場に他にも人がいたなら大人しく引き下がったかもしれない。アレはそれくらい脆いものだ。彼女は運が悪かった。そして同じようなことがどこでも起こっていて、犠牲者が出ている。


「……ま……いま……」


 女性の呟きと警報音に重なるようにガタガタと電車が線路を進む音が聞こえてきた。後はあっという間だ。おれたちとアレに線を引くように電車が踏切を通過していく。アレが視えなくなる。アレからもおれたちが視えなくなる。


「……」


 ようやく警報音が止んだ。遮断機が恭しく上がっていく。アレはいなくなっていた。逃してしまったが、やむを得ない。女性を放置するわけにもいかなかった。


「……おい、大丈夫か?」

 

 呼びかけてみたものの、女性は黙り込んで静止していた。万が一を考慮して肩は掴んだままだ。できれば今すぐにでも放したい。事情を知らない人からしたらセクハラ野郎にしか見えないだろう。

 緊張しながら女性が正気を取り戻すのを待った。おれに配慮したわけでもないだろうが、三十秒ほどで女性はこちらに帰ってきた。二度三度瞬きをする。おれは素早く女性から離れた。


「……ん……え? え? あなたは? え? 私今何してました? え?」


 女性は困惑しきりだった。当然ではあるが、さて、どこから説明しようか。


「どうもこんにちは。おれは隠と言って――」


 それから自己紹介と簡単な状況説明を済ますのに三十分、そして詐欺師でも不審者でもナンパ野郎でもないことを信じてもらうのに一時間はかかった。女性を宥めて念のために『御守』を渡して(まあすぐに捨てられるだろうが)、駅に送り届けた頃にはすっかり日は暮れていた。

 そしておれは再び踏切に戻ってきた。遮断機は上がっていて、あのときの騒がしさが嘘のように静かだった。アレのいた場所に立つ。今はここにいなくとも、いずれまた現れて獲物を探すだろう。

 しかしながらおれは何をしているのだろう。ため息をつきたくなる。金にもならないのに。どこにでもいるものをいちいち気にしていては仕方がないと骨の髄まで理解しているはずなのに。


「要は気が小さいんだよな、おれは」



◆◆◆



 街灯に照らされた隠の足元から影がじゅくじゅくと広がる。地面から踏切の警報機へ、続けて遮断機を覆った黒い染みは瞬く間にそれらに焼き付いて見えなくなった。

 タイミングを見計らったように警報機が鳴り始める。誰もいない。何もいない。


「きっちり核を潰してやるから、なるべく早く出て来てくれよ」


 とだけ虚空へ言い残して、隠は去った。ただ一つの存在にだけ向けられた呪いは静寂に蠢いて時が来るのを待っている。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る