File1:S高の幽霊『普通のひと時』完


 麗らかな日曜日の午後。彩花は理絵の病室を訪れていた。


「……ごめんなさいって? 幽霊が?」


 目を白黒させる理絵に彩花はしみじみと頷いた。

 そうしている間も理絵のベッドを囲むカーテン越しに同室の患者と家族が何事か喋っているのが聞こえてくる。

 見舞客が自分以外にもいて良かった。この騒がしさであれば二人の会話にわざわざ聞き耳を立てる人もいないだろう。いたとしても正確に聞き取ることは難しいはずだ。

 

「隠さんが言うにはそうらしいよ。信じられないけどね」

「それを言い出したら全部信じられないよ。幽霊かぁ……」


 白いシーツに埋もれた足先をぼんやりと見つめる。理絵が何を思うのか。彩花は想像しようとして胸を突く罪悪感に意識を奪われてしまう。

 彩花は霊に取り憑かれはしたものの隠のおかげで怪我一つせずに済んだ。理絵は違う。今も額を覆うガーゼや腕に巻かれた包帯が理絵の負った傷をありありと表している。目には見えない傷だってまだ全然癒えていないはずだ。

 何かしなければ。でも何をすればいいか分からない。謝る? 自分だけ助かってごめんなさいって? 理絵がそんな薄っぺらな言葉を望んでいないことくらい今の彩花にだって分かる。

 無意識に彩花は隠の言葉を思い浮かべていた。


「でも、とにかくもう危ないことはないって」

「うん……」


 理絵は俯いたまま動かない。理絵の両親に相談した上とは言え、やっぱりまだこの話をするのは早すぎたのだろうか。事故として処理されることにはなったが、事の経緯は彩花から話した方が理絵も安心するし受け入れやすいのではと隠に助言されてはいたけれど……。

 背中にじっとりと冷や汗が滲む。不可思議な理由だとしてもどうしてこうなったのか分からないまま夜を過ごすよりはいいと彩花は判断した。でもその不用意な言動が理絵を傷付けたかもしれない。


「……理絵?」


 彩花が恐る恐る呼びかけると理絵は勢いよく顔を上げる。傷が痛まないだろうかと心配になる力強さだった。


「幽霊が他にもいると考えたらさ……怖くない?」


 怖くない? と同意を求めているわりには目が輝いていた。彩花の好きな悪戯っ子の瞳だ。あの日以来理絵から失われていたものでもあった。もしかすると彩花が見ようとしていなかっただけかもしれないけれど。

 彩花は丸椅子から身を乗り出して理絵を覗き込んだ。無闇に大声を出したくなるのをぐっと我慢する。


「怖い。すっごく怖い。どういう基準で目を付けられるのか分かんないしさ」

「だよね。しかもあたしたち取り憑かれてたんだよ? そんなの全然気付かなかった!」


 と小声の中の大声で訴えながら理絵は大げさに震えた。忙しなく二の腕の辺りを擦ってもいる。しかしおどけた仕草だけではぷつぷつと立った鳥肌を隠すのには足りない。彩花も同じだったから。

 それでも二人は笑顔でいた。楽しいことしか知らない幸せ者のふりをしていた。これ以上挫けたくはなかったから。どちらからともなく手を重ね合う。手のひらは汗ばんでいた。

 けど……と理絵が呟く。


「もし何かが起きても隠さんに相談できるって思うとちょっと安心できるかも。まぁあたしは会ってないけど。怖い人ではないんでしょ?」

「うーん……怖くはない……けど」

「けど?」


 理絵が興味津々に促してくる。これは言っていいものか。彩花は逡巡の後に理絵が相手ならセーフだろうと緩い判断を下した。


「……詐欺師っぽい?」


 みるみるうちに理絵の頬が震える。ついには吹き出して笑い声を上げた。おまけに片手でベッドを激しめに叩いている。傷が痛まないだ以下省略。


「あはは、何それ助けてもらっといて失礼なやつー! あ、痛ッ……ちょっと! 笑わせないでよ!」

「理絵が勝手に笑ったんでしょ!?」


 案の定傷に響いたらしい。しかも理不尽に怒気のこもった目でこちらを睨んできた。彩花も負けじと強気に言い返せば途端にこそこそと顔を寄せてくる。


「写真撮ってないの?」

「ない」 

「ええー」


 理絵は肩を落とした。ふりではなくしっかりと落胆している。役立たずめ……と言外に訴えるのも忘れていない。いつもなら怒るが、今回に限っては彩花も後悔していたので大人しく傍らの鞄を漁った。

 片手だと思うように目当てのものを探せない。が、何とか中のファイルから名刺と白いお守りを取り出した。


「でも連絡先は知ってる。理絵にも教えといてくれって頼まれたんだ」


 名刺を理絵に手渡した。名前と携帯番号、そして携帯のメールアドレスが書いてあるだけのシンプルな書面を理絵はしげしげと見つめている。


「もし何かあったら連絡してくれって。些細なことでも相談に乗ってくれるらしいよ。あとこれも」


 と言って太ももの上にお守りを置く。すぐに理絵が拾い上げた。

 黒糸で『御守』とだけ刺繍してあるお守りは彩花の携帯電話にもストラップ代わりに付けられている。以前に貰ったお守りは駄目になったからと隠に新しく貰ったものだ。

 隠は詳しく説明してくれなかったけれどお守りが彩花を助けたのは確からしい。当の彩花は押し売りか? と疑っていたと言うのに。


「お守り。過信するのも良くないって言ってたけど……大抵の良くないものからは逃げる隙を作ってくれるから、全力で逃げてすぐに自分に電話してくれって」


 彩花の話を聞きながら理絵は人差し指で何度もお守りを撫でていた。


「うわぁ、いい人だ……それをあんたは詐欺師って……」

「もう! 失言したって自覚あるんだから蒸し返さないでよ!」


 いつものように肩を叩きたかったがこの状況でそんなことができるはずもなく。彩花は片手を振り上げて叩くふりをして理絵に食って掛かる。

 ごめんごめんと謝る理絵は言葉に反した屈託のない笑みを浮かべていた。つられて彩花も顔を綻ばせる。二人は少しの間だけ周囲のことを忘れてけたけたと笑った。

 起きたことは変えられず、得体のしれない不安が去ることはないけれど。あんなことがあったってまたこうして笑うことができたのだから何とかなるはずだ。一人で抱えるには心もとない自信も二人ならきつく抱きしめて進んでいける。

 繋いだ手に力を込める。カーテンに区切られた世界で時間が来るまで二人の少女は未来について語り合った。願望も現実もごちゃごちゃにあることないことを次々にお喋りする。そういう普通のひと時を過ごしていた。



File1:S高の幽霊~完~

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