おいでませ三日月書店

桃波灯紫

三日月書店の店主

 季節は夏半ば。本格的に暑くなってきた。日課である散歩もつらくなってきている。ラジオを聴くために装着したヘッドホンの所為で耳回りがムズムズした。

 つい耳を当てるスポンジ部分の匂いを嗅ぎたくなってしまう。


 ラジオももう半分が過ぎたころ、駅前に到着。駅ビルに入っているマックを買って帰るのが常だ。

 西口から入り、ビジネスマンらしき人らの波をかき分けると駅ビル入り口が見えてきた。


 ふとそこで騒がしい声が聞こえてきた。

 その声の先には見知った顔が五人。学校の同級生だ。彼らのグループはいつもクラスの中心。僕とはほとんど関りがない。

 

 さりげなく通行人の陰に入ってばれないように。

 気づかれる前に駅ビルに入ってしまおうと思い、通り過ぎようと踏み出した。


「あれ? 亮介じゃん」


 気づかれてしまった。さわやかな笑みを向けて話しかけてくるのはクラス理事をやっている東條だ。

 悪い奴ではないのだが、正直何を話したらいいのかわからない相手なので苦手である。


「よ、よぉ」

 こちらがぎこちなく挨拶をすると、さらに東條は近づいてくる。


「どこ行くんだ?」


「とくには……。散歩だよ」

 目をそらして答える。


「じゃあ、俺たちとゲーセン行かね?」

 僕が答えに窮している間にも、東條は「お前らも別にいいよな」と後ろの友達たちに話しかけていた。


「え、遠慮しておくよっ。じゃあね……」


「ああ、またな。次は行こうぜ」

 東條はさっきと変わらない笑みで返してくる。


 さすがにそっけなかっただろうか。しかし、やっぱ行くとは言えずにそのまま彼らから離れる。


「亮介ノリ悪いよな」「東條、なんであいつさそったよ?」


 後ろからそんな会話が聞こえてきた。




 マックを買って帰路につく。その間も東條との会話を繰り返し頭の中で反芻していた。そっけなかっただろうか、怒っているように見えたのではないか、目を合わせていなかったのはまずかったのでは――と、何度も考えてしまう。


 そのせいだろう。自分がどの道を歩いていたのかわからない。僕はいま道に迷っている最中だ。周りを見渡すが、見たことあるようなものはない。


「スマホは――」

 ポケットを探すが見つからない。どうやら家に置いてきてしまっていたようだ。




「三日月書店……?」

 小さなお店だ。それに壁の塗装がところどころはがれていて、正直ぼろい。

 何の気なしに歩いていたら気づかなかったかもしれない。入り口には小さな看板がつるさっていて、デザインは三日月に座っている女の子のシルエットのように見える。


 道に迷ってからどれくらいたったか。家を出たときに流していたラジオはとっくにおわってしまっていた。


 ちょっと休憩しよう。


 僕は吸い込まれるようにして扉に手をかけた。




 カランとベルが鳴る。


 正直驚いた。あのぼろっとした外装からは想像できない店内だったのだ。

 天井からは様々な形をした暖色ランプがいくつもつるさっていて、幻想的。おしゃれな本棚は天井に着くくらい高く、所狭しと置いてある。


「いらっしゃいませ」

 びくっとする。本棚で分けられた通路の先、カウンターに同じ高校の制服を着た女の子が座っていた。


「君、どこかで……」


「あっ」

 黒のショートボブでリンゴの形をしたイヤーカフ。彼女は伊藤涼香。いつもクラスの端っこで本を読んでいる物静かな子だ。


「伊藤さん?」


「やっぱそうだよね、同じクラスだ」


「亮介っていいます……」

 いつも、だれであっても、名乗るときには緊張してしまう。毎回語尾はかすれて相手には聞こえない。何回も聞きなおされるのが常だった。


「亮介くんね、ゆっくり見ていって」

 伊藤さんはそういうと視線を下に、何か仕事を始めてしまった。


「ありがとう」

 このほど良い感じがちょうどいいのかも。


 彼女は仕事中。僕は本棚に視線を移す。


 二人の間に沈黙が下りてきた。



 カランとベルがなった。


 また誰か入ってきたようだ。何気なく見てみると、黒いコートを着た中年くらいのおばさんだった。


 あまり広くはない店内をせわしなく回り、本を開いては閉じている。短時間で僕の後ろを何回か通った。


 そんなに急いでいたら見つかる本も見つからないのではと思っていた矢先、「ちょっと店員さん、聞きたいことが」と、おばさんが僕の後ろで立ち止まった。


「はぁい! ちょっと待ちください~」

 カウンターの方から伊藤さんの声が聞こえてきた。

 それからバタバタと何かをしているような音。


 てっきり本屋の店番って本を読んでられるのだと思っていたのだが、仕事でもしていたのだろうか。


「早く来なさいよ!」

 

「うお!」

 真後ろでおばさんが急に怒鳴ったのだ。つい声が出てしまう。


「どうかなさいましたか?」

 怒鳴り声から少しして伊藤さんがやってきた。


「どうかなさいましたか? じゃないでしょ。お、客、様、が呼んだんだから早く来なさいよね!」


「も、申し訳ありませんでした」

 伊藤さんは頭を下げて謝った。

 

 お客様は神様思考の人らしい。実際にこういう人いるんだな。


「まあいいわ、今回は大目に見てあげる」

 おばさんはフンッと鼻を鳴らすと、本棚の方に向き直った。


「聞きたいことがあるのだけれど、『時計の針は動かない』っていう小説はどこにあるのかしら」


「蔵書の確認してきますね」


「信じられない! あなた、店員なのに本の場所がわからないの!?」

 おばさんの金切り声が耳を突き刺す。


 さすがに横暴だろう。心配になって伊藤さんの方をうかがう。


 カウンターに向かおうとしたのだろうか。すでに背を向けていた伊藤さんは、ビクッとしてからおばさんの方に向き直った。


 めんどくさそうな表情である。


 こんな顔をするんだな……ってそれは今関係ないか。


「申し訳ありません」


「狭い本屋なんだから、本の場所位覚えておきなさいよね」


 もはや誹謗中傷だ。思い通りにならないと気が済まないのだろうか。

 

 同級生がクレーマーに文句を言われている場面。割り込もうと一瞬思ったが、逡巡してしまう。

 ただのお客が出しゃばりではないか……。


 気まずくて視線を棚に戻してしまった。


 あ。



「まったく、使えないわね~。本当にあなた本屋の……」


「あ、あの…」

 僕はおばさんの言葉をさえぎって割り込んだ。

 こちらをにらむ目はとても鋭い。話しかけたことを後悔してしまいそうになる。


「何よ? あなた。邪魔しないでくれるかしら」

 おばさんはすぐに僕から視線を外し、伊藤さんの方に向き直った。


「さすがに、言いすぎじゃないですか?」

 僕の言葉に、おばさん再び振り返る。そして唇をわなわなと振るわせた。


「あ、あの、これ、ですよね?」

 舌は緊張か恐怖で乾いてしまった。おばさんに睨まれながら、恐る恐る一冊の本を見せる。


「え、ええ……」 

 おばさんは僕が掲げた本を見ると、「……これいただけるかしら」と歯切れ悪くつぶやいて僕から本を奪い取った。

 そして足早にレジへ向かっていった。




「亮介くん、ありがとう」


「いや、気にしないでいいから」

 突然のお礼に驚いて目をそらしてしまう。

 そっけなかっただろうか。


「……これを」

 自分がいたたまれなくなり、さっと本をを出して会計を済ませる。


 本を受け取って足早に出入り口まで歩く。すぐに扉を開けて、「それじゃあ」と声をかけて外に出た。


「またのお越しを待っています」

  扉が閉まる直前、伊藤さんが飛び切りの笑みを浮かべているのが見えた。

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