第12話  夢の続き 

 働くことが決まった次の日、バイクでは肌寒い晴れた朝で私は私はM工房の敷地内にバイクを止めて、作っている途中の小屋を眺めていた。二、三分小屋の周りをうろうろしていると『何してるんだ。君は勝手にバイクを止めてうろうろするのが普通なのか?』『すみません。興味本位でつい…』『まあいい。来なさい。』砂利道の私道を登り奥の建物に案内された。



 仕事に対して厳しい方だと松田さんを知る人は口にする事が多い。私自身もその言葉に納得していた。

 

 『これから修行が始まる』ひと呼吸し気を引き締めて木造二階建ての工場に入った。中はひんやりとしていて室内は手前と奥が二つに仕切られており、手前は四十畳ほど、奥は十畳くらいと四、五人の工人が悠々と作業出来る広さのスペースがあった。その中には今まさに作っている最中のテーブルの脚が重なっていた。七台作る予定で納期が十日先に迫っており、このおかげで私は工房に入る事が出来た。


 指示以外の事でやってほしい事は、掃除、お茶の準備、ストーブに入れる薪の管理が基本的な仕事になった。

 製作の方は角ノミという機械を使い、木材に四角い穴をあける作業をするようにと指示を受けた。

 機械を一度セットすれば基本的には同じ穴があく事になっているので作業は難しくないと思っていた。

 ハンドルで横方向にスライドさせ穴の長さを調整するのだが、大きさにムラがあると指摘され0.3ミリほどの誤差が出ていた。それだけ目を使えていない事、見れていない事が分かった。Mさんより照明を使うように指導を受け誤差を0・1ミリ程度まで抑える事が出来るようになった。


 最初の三日間は大きな失敗などで叱られる事もなく、悪いところを言葉静かに指摘される程度で済んでいた。しかし一週間が過ぎる頃にはダメ出しが一日中続くようになった。

 木の粉で節穴を埋める際の手順を間違ってしまいなんで同じように出来ないんだと凄い剣幕で怒られた。鬼のような形相は去る事ながら声も大きくてびっくりした。


 『すみません何が間違っているんでしょうか?』『分からないのにやっているのか?これはお前の物じゃないんだぞ!』この言葉は修行中ずっと言われ続けた。

 コーヒーを入れればなんでそんなに遅いんだと怒鳴られ、早くできる方法を見つけて了承を得る事を怠り先ほどと同じ調子で『なんで勝手な事をするんだ!バカ野郎!』なぜやる前に聞かないんだと怒られる日々が続いた。


 新しい職場に入れば基本覚える事が多い、作業手順、使う道具の場所、手の運び、お客さんの対応、それらの細かい事のインプットが一杯になって忘れてしまう事が多くなってきたのだといまでは理解している。その当時は必死で目の前の仕事に向かい、出来ないと口にする選択肢の使い方が良く分からなかった。


 師匠の怒りを体験し以前体験した頭が真っ白になってしまうくらいに人格を否定され叱られた。その時はもっとショックだった。少し慣れているのかもしれない。しかし同じような体験を繰り返したからと言って覚えが早くなっている実感を得た事は無かった。この体験って自分にとって必要な事なのかな?自分に問いかけながら休憩の時間に障害の話をしてみる事にした。


 『あの松田さんすみません。少しお話よろしいでしょうか?』


 『どうした、言ってみなさい。』


 『すみません。私の障害の事でお話したい事があります。』入る時に渡した資料を持ち出し、ナビゲーションブックに書いてある内容を見せて話した。


・大声で叱られたりすると萎縮してしまい、何を話してよいか分からなくなったり、

 言葉使いがぎこちなくなることがあります。


・持ち物の置き忘れが多い


・同時進行で複数の作業をこなしたり、優先順位が変わるような仕事は苦手です。



『だから何だというんだ。私の言う事が聞けないというのか?』と問われ『いえ、精一杯指導に従えるように努力します。』と答え、こちら側の意図は伝わっていると理解し気持ちを切り替えた。 

  

 三週間が過ぎ、松田さんから名字で呼ばれている事に違和感があるような言葉を耳にした事から今後は師匠とお呼びして良いかと伺いを立て、了承を得てそのようにお呼びする事にした。このように事細かく了承を得る為に筋道を立て、言葉遣いを選びながら師匠との時間を重ねていった。その一つでもおかしな事があれば容赦なく怒り、引っかかった場所が悪かったり、返答の仕方次第で更に激怒されるのがM工房だと段々と理解していった。見聞きした事を理解し行動に移してよいかお伺いを立て、その都度経過を報告し仕事をする。日々これが日常の訓練となった。


 師匠との会話は基本的に私から話しかけて始まる事は少なかった。入って間もなくから何かして激怒されるのが嫌になり臆病になっていった。聞かれた事に答えるとその答えが師匠に気にくわないと一時間も二時間も説教される事が週に二、三回あるのが普通になっていた。


 ある日、師匠から以前私が勤めていた職場の話になった。師匠から『あそこの商品は偽物しかない、無垢(天然物の木材)の製品がないのに仙台箪笥を作っていると言えるのか』という話につい言葉を挟んでしまった。入ってまだ一カ月に満たない経験でつい言葉が出てしまった。『二棹ほどあったと思います。』師匠の目の色が変わり、それはどこにあるんだ、今その商品が現行品で存在するのか、その情報はいつの話だとたたみかけるように否定された。その時は一時間ほどのお説教ですんだが、叱られている間に、使っている言葉について指導を受ける事も増えてきた。時に指導の時間、お説教は半日から一日に及ぶこともある。


そして更に師匠から言葉を掛けられた。


 『君は今日の時間しっかりと働いたと言えるのか?』


 『いえ』

 

 『そうだよな』


 『普通どうすると思う?』 


 『どうしたらよいのでしょうか?』 

 

 『君の指導の為、何時間も私の仕事も止まる。どれだけの損失があるのか考えたらわかるんじゃないのか?』


 『申し訳ありませんでした。私のお給料分だけでもお返ししたいのですが、それで何とかならないでしょうか?』


 『仕方がないな。…』と作業時間の改ざんを誘導された。


 

 その当時は、私の生活保護受給が丁度決まったところだった。月の収入が生活水準に満たない場合には足りない部分を補填して貰えたので家計的には支障はきたさなかった。それがなければ、とてもじゃないが続ける事は出来なかった事だろう。


 この頃から『なぜ君は私にため口を使う。』そう言われる事が多くなってきた。


 私は直ぐに反応し敬語の使い方について必要な事だと敬語の本を買って読み始めた。

 読み進めているところで師匠から買った本の事を聞かれたので、7、8割くらいは自分でも出来ていると話してみた。

 交わす問答の中からどうやら、師匠のいう言葉の話は本の内容のさらに奥の話だという事が分かった。



 

例えば

・このようにして下さい。お願いします。

・このようにしていただけないでしょうか?

・このようにして頂きたいと思うのですが、これでよろしいでしょうか?


 など、同じような表現の中で自分をいかに下げ相手の目線よりも下に来るか状況に応じて選ぶのだと教えられた。


 その後、本屋にそこまでの音韻学上の話やニュアンスの違いについて書かれた物を見つける事は出来なかった。私自身も言葉についてきちんとした言葉使いの出来る大人に魅力を感じていた為、師匠の指導を大切にしたいと考えるようになっていった。


 今度は『セールスマン』と言葉にした時、師匠は反応した。


 セールスマンていう言葉はさげすんだ言葉なんだと言われた。


 いいことで使う場合は形容詞が必要だと指導を受けた。トップセールスマン、スーパーセールスマンなど


 言葉に対してとにかく厳しい、地元で有名な高僧に塩沼亮潤大阿闍梨という方がいらっしゃる。その人がラジオに出ていたので、『すごい方ですよね』と車で会話してみたら知り合いなのかと問われ『いえ、決死の修行を成就された方くらいしか存じ上げていないです。』と答えると本は読んだのか、会って話もしない人を知った口で話すな。とたたみ掛けられた。結果その後三十分の説教を頂く事になった。



 一日のうち、口にする7割方いやそれ以上間違いだと指導を受け咎められた。

 間違った事していると、なぜ聞かないんだと不機嫌な顔で怒鳴られ、

 『ここが分かりません』と聞いたら『なんでそんな事を聞くんだ』と叱られ、見ればいい事をなんでしない。

 そして別の日に聞かずに現物を測っていると『なぜ聞かないんだ。自分は計測は苦手です。どうか口頭で教えて頂けないでしょうか?と聞けないんだ!』と言われた。

 まさに一休さんのとんち禅問答の世界だと思った。



 毎日同じような日々を繰り返した。そういう指導法で性格がそうゆう方なんだと理解し修行とはそういうものだと自分に言い聞かせ少しでも覚えられるように精進し持てるエネルギーと神経すべてを投じた。

 木工の仕事で付きものなのはちょっとした間違いやミスで材料が使えなくなってしまう事が多い。

 そんな失敗をすると、当たり前だが正直に報告しなくてはならない。一度切ってしまったものは元通りにはならない。

 また、隠してその事が見つかった時の事を想像すると、正直に話す事を出来るだけ選んだ。

 ある日、師匠が書いた赤線よりも大きく切断するように指示を受けた。

 ひとつだけ線が数センチ繋がっていないものがあり、私はそれを勝手に繋がっている物と判断してしまい切断してしまった。


 ADHD注意欠陥・多動性障害の私にとって向かない仕事なのかもしれないと感じた失敗だった。


 師匠の指示を聞いて、目で見て、問題ないか数回見直して、その後もう一度予定する作業が完結できているか良く見る必要があった。そこまで時間をかけていても、どうしても見逃してしまう。犯している失敗と見逃している失敗を指摘され続けた。

 また、初めて作る構造の物も多く技術的に出来るものとして仕事を頼まれても、私には引き受けられない範囲の物だったのだと今では思う。当時は少しずつでも覚えられると思って必死で理解しようとしていた。

 そのような上達の見えない日々でも木の仕事ができるうれしさを体で感じ、明るくなれる自分を知った。


 二カ月過ぎても、変わる事はなく叱られるのが仕事の様だった。厳しく指導を受けた後、時に師匠はうれしい言葉をかけてくれた。


『出来ないから言ってるんだ。忘れるんだからしょうがないよな、何回でも怒ってやるからな。』


『すみません。ありがとうございます。』そしていつも恐怖を植え付けるように𠮟り付けるのだと師匠は続けた。


 師匠は真っ赤なBMWに乗り十時の休憩前に現れるのが決まりだった。その時の登場パターンを五種類と私が勝手に決めて判断していた。

 ひとつはホトケ師匠。1カ月に一、二回ほどあり硬い表情で能面の様に笑っている。二つ目、無表情(普通)、三から五つ目は怒り、怒りは大中小あって大は仁王様のように拳を高々と上げ今にもふるおうとして襲い掛かってくる。

 中以上になるとお説教時間として一時間そしてのちに手の止まった事に対して代償を求められる事もしばしばあった。



 毎日私の悪い所を指摘された。それは以前にも話したがADHDの発覚時に勤めていた時とほぼ変わらなかったので耐えられていたと思っている。自分のダメを出され自己嫌悪に陥っていながらもあの時とは違うと自分を信じて改善するように努めた。  

 県内でこの環境での木工をできる所はほとんどない。苦しい、きついと思っている中で、木の仕事が出来る事を喜びに変えながらヘタクソでも前を向こうと毎日踏みとどまった。また、心の中にあの時出来なかった『石の上にも三年』の言葉を思い続けたいと願っている自分がいた。


 人生で何度も転職した経験からいろいろな会社を見る事が出来たが、そこに入れば組織に従い。従う以外に残された道の選択肢は極端に少ない事を知っているつもりでいた。

 今の仕事場で発する言葉は毎日が問答だった。良く師匠から『君はどう思うんだ?』と問われる事が沢山あった。私は一休さんになり代わったように答えを求めてその時に考え、思いついた事を口に出して答えた。半年以上過ぎた頃『もしかして、一番いい答えは分からないと答える事なのでしょうか?』と聞き返した事がある。師匠は『そうだよ。』とあっさり答えた。

 M工房に入って間もない頃、師匠から言われた事がある。『私は人より優れている。』師匠は中学生の頃、学校の先生を良く言葉でいいまかしていたと語っていた。就職して三年で工場長になり、重要なポストになっていたとそれまでの軌跡を話してくれた事があった。

 その為に自分が出来ると思っている事が他の人にはとても難しく、何十人もの人が辞め、理解出来ないといい工房を去って行ったと話した。

 私も師匠がする仕事や言葉の意味、話に対してついて行けていない時も多く、同等の能力ではないのだとすぐに理解できた。したがって私はそれをわかるようにする以外になかった。

 この工房を辞め独立した友人から話を聞いた事だが、今まで数えると百人以上門をくぐり辞めていると話していた。早い人は三日も持たないという。その中で私ほど直接教えて貰った人はいないと思った。

 

そのくらい私は出来なかった。

そのくらい私は分からなかった。

そのくらい私は出来るように成りたかった。

そのくらい私は分かりたかった

しかし出来る、分かるようになるとはかぎらない。


師匠はいう

『出来る人は出来る。出来ない人は一生出来ない。ただそれだけの事だ。』


この言葉を身を持って教えて貰った。私にとって重要な言葉になった。


出来る人は何も考えなくても出来るし、頑張れば出来る人もいて、頑張っても出来ない人がいる。それを認める事が大事だと教えてもらった。今まで無知のままにもがいていた事を知った。

 

いい事を教えて貰ったとつくづく思った。



 三カ月が過ぎようとする頃の事である。

 師匠が夕方お客さんの所に出かけると言って、その間作業台の天板(1.5m×3m)を平らに削るように指示を受けた。

 その頃の師匠の指導は私の出来る事が出来なくなった時に自分勝手に進めずに師匠に必ず聞く事、自分で判断しない事を肝に命じられていた。 

私は迷っていた、その聞く行為をすぐ聞くべきか、いつ聞くべきか。そのタイミングを間違っただけで、睨まれ、憤慨される事が一日中続くのだ。

 そんな心の状態で作業台を平らになるように鉋で削り出した。削り出していくうちに、作業台に付いているジグ(作業具)があるために削り進める事が出来ない事が分かった。

 どうしようと思い。どうしよう…聞かないと…電話…師匠に電話した。何て言おう、


 『すみません。作業台削るのにジグがあって外さないと…』

 

 『やらなくていいから、掃除でもしてなさい』電話が切れた。


 掃除をしているとほどなく師匠が帰って来た。



 これは!

 


 怒りモード大。鬼のような形相で拳を高らかに上げ近づいて来た。


 『なんで俺に指図するんだ!言ってみろ!仕事先で大事な話をしている時に!あっ言ってみろ!』地響きが起きるくらいの怒声をあびせられ、『何がいけなかったんでしょうか?』聞くと私がいきなり話始めてしまった事が間違いで、ジグの外す行為を口にした事も気に障ったようだった。



 『なんで外さないといけないんだ!あっ』私は思い込んでいた事がそこで分かった。


 ジグはそのまま削ればいい。


 何が問題なんだ。


 結局その後それ以上削る事もなく私が工房を去るまでそのままだった。




 木の仕事は日を追うごとに出来なくなっていった。出来ていた事が出来なくなっていくのが分かった。



 私の持つ発達障害ADHDを行動しないやり方以外で回避するすべを見つけられない時間が過ぎて行った。



 出来ないかも知れないと思った場合、出来ないかも知れない理由を完結に説明して理解してもらえるだけの言葉を持っていない以上、それ以外の方法で師匠を怒らせずに問題を解消させる道は自分には見つけられなかった。

 

 その頃は指導、叱られ、怒鳴られるのを繰り返し恐怖におののく中、師匠から『なんで嫌そうな顔をするんだ!』と言われるようになっていた。日頃、自分のモチュベーションを上げるために『ありがとうございます』の言葉を意識的に使うように心がけていた。しかしここに入って三カ月間で改めて自分の無能さを知り、役に立たない世界から私は暗く考え、顔がこわばる表情を抑えられずに仕事をしている事が多くなっていた。

 いやそうな顔を無理やり笑顔に変え師匠を見てやった事があった。『なんだそのいやらしい顔は』きっと気持ちが出たのだろう。その後も中々気持ちを明るく保つことは出来なかった。



 もうすぐ、4ヵ月が過ぎようとしていた。


 工房では家具製作の簡単な作業をしていたが、製作する物が変われども技術を身についている感触はなく、自分では自問自答しながら少しでも成長できるようにと思いながら過ごしていた。


 師匠からは時を同じく『君には感謝が見えないね。』そんな話をされた。


 確かにそうだ。『申し訳ありません…』かといって今の状態で心から感謝する事は中々難しかった。


 師匠と休憩している時、前々職での職場の話になった。『お前とは一緒に仕事したくない』と同僚から言われ、そんな状態の仕事も出来ない君をずっと雇い続けた会社があるのだと諭された。

 こちらにも言い分がある。非番の時に長時間のお使いを頼まれた事もある。パワハラにあたる行き過ぎた指導を受けた事も何度もあった。


それぞれの言い分が混在する中で社会は生まれているくらいの考えでいた。


師匠からのその言葉から過去の事を感謝の思いとして膨らませる事が出来れば自分自身に明るさを生むきっかけになるのだと思えた。

 私と他の人との繋がりには契約、尊敬、金銭、愛情など様々な要因が入り乱れて関係が築かれている。

 その中で抱かれている感情もそれぞれに違う。その自分の感情が心から感謝の思いとなった時、感謝から未来を変えられるのだと分かった。

 もしも、どこかで知人にばったり出会ったらどうするだろうか、挨拶する。見なかった事にする。その行動は自由かもしれないが、そこで私が感謝の言葉を口にしたらどうだろうか?いやな気持になる人はそうそういないのではないか。

とてもいい生き方を教えて頂いたと思った。


 実際に想像し今まで出会った人に再開した時、暗く陰鬱でどこか障害や境遇を理由に引け目を感じている自分から明るくなれた瞬間にまた涙がこぼれた。

 


 『ありがとうございます。』

 その頃から、工房で涙を流すことが増えた。

 


 特に家族の事、自分の弱さや汚さ、過去の過ちに対して。涙が出る事が多かった。

 謙虚さが足りない。 

 

 もうすぐ4カ月という頃、君には『謙虚さが足りない、出来ると思っているからやるのだろう。出来ないと思っていれば勝手な事はしないだろうそうならないのは謙虚さが足りない証拠だ。』といわれた。

 


『出来もしないのに勝手にやりやがって』という言葉が耳に残っている。


 崇高な人の前においては、へりくだるに越した事はないと教えていたんだと思うが、その時の私の感情から態度として実行に移すことは出来なかった。



 師匠からの指導で『やってはいけない』『やるな』と言われた事を『やってしまった!』と振り返り不思議に思う経験を何度もした。

 頭の中では分かっていても、パニック中だったり、ストレス値が高くなっていると、潜在意識に反発の感情や否定的感情があると体は抑えきれないのだと理解した。

 馬鹿な事をやる。犯罪なんかもそうなんじゃないかと理解出来たりしてガッテンがいった。


 捕まると分かっていたってやるし、恥ずかしい事だと分かっていたってやる。


 危険だって犯す。


 ストレスMAXってそういう事なんだって理解した。  

『勝手にやりやがって』の指導が増えていた。『なんでお前はやってはいけない事をやるんだ。』『やる前になんで聞かないんだ。』そんな事を繰り返し自分が障害者である事に納得もできた。 



 もうそろそろ半年が過ぎようとする頃、師匠から目標を出すよう言われた。私は目標を技術的なものには出来ず、姿勢や心の持ち方に目標を定めた。



目標

明るく軽やかな会話ができるように


1,ガサツな行動、仕事を止める。きれいな仕事を心がける。

2,パニック、混乱、不安になった時は自分を疑って間違いやなんでそう思うか振り返る。

3,落ち着いて、思いやりのある会話、美しい言葉を使い自分で決めつけず状況を伝える。 

 


その頃、師匠から運命を変える言葉を聞いた。

①初めに会話、言葉遣いが変われば(挨拶)

②周りの態度が変わり(態度) 

③態度が変わると性格が変わる(性格)

④性格が変わると自然と良くなる(人格)

⑤運命が変わる

 

 言葉、会話から運命が変わる。

 

 自身ADHDの障害によって会話した内容をメモに取らない限りは声として記憶する事がほとんど出来ません。


 ここに書いている事はこんな事を言っていたという内容を文章にしているだけである。

 厳密にいうとフィクションになるかもしれない。

 だとしても人は間違い、聞き違いをする動物だと思う。

 その結果生まれたズレが思わぬ方向に行ったりする。必要なのはそのつど失敗したら修正し上手くいくように仕向ける事が大切なんだと気が付く事が出来たように思う。

 しかしこれだけ文章を書いているのにも関わらず本業としての木工の事を思い出す事がわずかだという事がわかった。


 秋になり、工場の大きな栗の木下で栗拾いをしている頃、師匠の友達が県産木材を使う事で助成金がもらえる情報を持ってきた。話をよく聞くと、経費の3⁄4が補助される助成金を利用して家具が欲しいという事だった。締め切り間近で事務書類を早々に仕上げ受理まで漕ぎつけた。また師匠と友達堺さんがその助成金を広め結果三件の仕事を受ける事になった。個人の工房で百万円クラスの仕事が三件重なるという事は大変な事だ。私の想像を上回りもちろん私がどうこう口にする事など出来なかった。

 工場は一気に忙しくなり休めなくなるだろうと見越して病院に薬を貰ったりと冬支度に備えた。


 12月になると知り合いの鉄砲打ちから電話が来た。師匠は毎年イノシシをもらっているらしく納期が遅れているにも関わらず、往復3時間かけて取りに行くように命じられた。

そして師匠がさばくはずが私に回って来た。

 『君、イノシシさばいてみないか』『私でよろしいのでしょうか?綺麗に出来ないと思いますが…』放置すると食べられなくなってしまうからと私が解体する事になった。

 食育に興味があったので生命の恵みに感謝の合掌して解体中のイノシシを教わったように皮をはぎ、首元に刃物を入れ、感謝の思いでもう一度、目をつむって頭を背骨から切り落とした。落とした頭は一輪車に乗せ裏の空き地に置いてまた合掌しまた肉の切り落としに戻った。そうして三十分も立たないうちにカラスが騒ぎ出しうるさくなった。カラスの鳴き声を聞きながら骨から肉をそいで肉の塊を作っていく。木工の仕事同様簡単に師匠のように綺麗なさばき方など出来なかった。

 この所、仕事が忙しいせいなのか、はたまた私が少し師匠の心が読めるようになって来たのか半信半疑であるが穏やかな気持ちで日々を過ごせていた。

 解体したお肉をもらえる事になり、最近会っていなかった友達に上げる事にした。いい機会になり、近況の交換をイノシシを通じて友達の温かみに触れる事が出来た。

 人は何気ない会話だけで明日のやる気が起きるものだと思えるひと時だった。

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