賢い古本屋にて

桑鶴七緒

賢い古本屋にて

「この古本、売れるのかな?」


この街に引越ししてきてから3年が経つ。

僕の住んでいる地域には古本を買い取ってくれるところがほとんどない。

隣町に出るまで車で片道でも1時間はかかるし、なんせ平日勤務の身で休みの日に限ってちょうど本屋は定休日だ。


インターネットでも数店は取り扱ってくれるサイトはあるものの、この古本に関しては売れるかどうかさえ疑問なのである。一般的な古書とは違い、取り扱う人物が変わるとある変化をもたらしてしまうものなのだ。

たった1冊のために会社を休んでまで隣町に足を運ぶのもどうかと思うが、果たしてこの古書自体売れるのだろうか。


数日が過ぎたある日の夕方の帰り道。融雪による渋滞が起こり他の車もなかなか進まずにいる状況の中、ローカル局のラジオから流れてきたある話に耳を傾けた。


「続いてのメールです。いつも楽しく番組を聴いています。ところで私は読書が趣味なのですが、部屋の中に棚に入りきれないくらい本が山積みになってどう処分しようか悩んでいます。以前自分の住む街の近くに、古本を扱うお店があるそうなのですが、その本屋に行くとどんな珍しい本でも買い取ってくれるという噂があるのです。私の友人もこの間行ってみたところ、店主さんが快く対応してくれたんです。……まぁ確かに本屋さんの数は年々減っていますからね。ただこれって量的にはどうなんでしょうかね?あまり大量に持って行かれてもこの古本屋さんも困ってしまうところあるかもしれませんね。では、続いてのメールです。……」


そうこうしているうちに車の流れが良くなり市街地の明かりが見てきていた。

数十分ほどしてある商店街沿いの交差点に差し掛かり停車した。右車線の歩道側に目が行き明かりのついている各店を眺めていると、見慣れないある店の外観が視界に入った。


「マガイ古書?あんな所に本屋なんかあったか?」


やがて信号が青に点滅したので再び車を走らせた。自宅に着いて夕食を済ませた後、スマートフォンを開いてインターネットを探っていた時、ふと先程の本屋の存在が気になりマップで試しに検索をしてみた。


……出てきた。


さっきの商店街の所を拡大していくと、あの本屋の名前が表示されている。名前と住所、電話番号も載っているじゃないか。閉店時間が21時か。こんな閑散とした街の中なのに、遅くまで空いているんだな。

物は試しようかと思い立ち、その本屋に電話をして、店主に自分の売りたい古本の事を話すと、一度どんなものか見てみたいと返答してきた。


次の日の夕方、仕事帰りにその本屋に立ち寄ってみた。近くの駐車場に車を停め、少しばかり歩いていくと商店街のあの店が見えてきた。


マガイ古書、ここだ。


引き戸を開けて店内に入ると、見かけは昔からある古本の匂いが引き立つ本屋の雰囲気と変わりがない。奥のカウンターに行くと店主らしき男性が1人椅子に腰をかけていたので昨日電話をかけた者だと話しかけると、すぐに気づいてくれた。


「この古本なのですが、鑑定してもらえますか?」

「しばし、お待ちください」


店主はかけていた眼鏡を外して別の度の厚そうな眼鏡にかけ替え僕の古本をじっくりと眺めていた。


「天使の絵画に呪文のような言葉が並んでいるな。……これはヘブライ文字の言葉だね?」

「よく、気づきましたね。」

「いやぁ、私も久しぶりにこの手の古書を手にしたよ。別の場所に勤めていた時に似たような古書を読んだ事がある。しかしだ……なんであなたがこのような物を手にした?どこで手に入れたのだ?」

「実は、大学院の図書館にあった本棚の中に類似の古書を見つけて以来、別の場所にあるか探し回ったんです。その後、学校の帰り道にある人物と出会いまして……その方からこの古本を受け取りました」

「そやつは、人間か?」

「いえ。何と言いましょうか。……背中に翼をつけた人物でした」

「もしかして、あなたに何かを託したくて渡した物だったのかい?」

「その頃僕は家族と離散したんです。家に帰ると誰もいなくてしばらく待っていたのですが……結局誰も帰ってきませんでした。」

「その古本に書かれている呪文らしきものを読み上げたことはあるかい?」

「あります。ヘブライ文字を一所懸命辞書で読み漁ってノートに書き写して読み上げたんです」

「何か起きたか?」

「渡してくれた人物が本の中から出てきて、抱えている悩みを教えてくれと言ったきたんです。家族を戻して欲しいと告げたら、その人が呪文を唱えて……部屋の中に家族が現れました……」

「その後ご家族さんとは?」

「しどろもどろでしたが、話し合いをして、とりあえず母だけは家に残る事ができました」


不可思議な出来事が起きた話をしているのにも関わらず、店主は冷静に僕の話を聞いてくれた。その後はその古本をクローゼットの隅に置いて数年は開かずにそのまま放置しておいたと話して、自分のやった事にもずっと誰にも言えずに困っていたと伝えた。

母親だけでも一緒にいれているのならいいじゃないかと助言をして、店主はその古本を買い取ってくれる事にしてくれた。


「貴重なものだ。この国には置いておく訳にはいかない。いずれ諸外国の元の持ち主に返す事になりそうだ。わざわざ持って来てくれてありがとうございます」


店主は優しく微笑んで僕を見送ってくれた。


しかし、1週間ほど経ち、仕事から帰ってくる途中、あの商店街の店に差し掛かろうとしたら、看板や外観の窓ガラスなどがすっぽりとなくなっていた。


自宅の駐車場に車を停めて歩道を歩いていると、電柱の灯りから何やら白いものがはらりはらりと舞っているのが目に入り、近づいていくと、以前出会った人物がそこに立っていた。

何故あの古本を売ったのか尋ねてきたので、自分にはもう必要がないと返答すると、本屋で売り渡したはずの古本がその人の手元に現れて、この古本だなと告げてきた。


「我々にとって大事な古書。これは、私が預かります。」


そう言うとその人物は白い翼を広げて夜空の彼方に向かってその導く光の中へ飛んで消えていった。

いわゆるその人物は天使という存在だったと、その時に改めて気づいた。

それから僕は何事もなかったかのように仕事に明け暮れていった。


更に1ヶ月が過ぎた日、自宅に着いて玄関を開けると居間から賑やかな声が響いてきた。中に入ると、離散したはずの父親と姉が母親と楽しげに団欒していた。

何故帰ってきたか尋ねると、離れて暮らしているうちに僕達の存在の大切さに気づかされて再び復縁してやり直したいと言い、突然過ぎる要望に呆然としながら皆んなの話に耳を傾けていた。


古本屋といい天使といい、再び家族と一緒に暮らす事になった展開に頭がついていけず複雑な心境になったが、全ては良い鞘に収まったのかと考えると、それも僕の宿命みたいなものだと捉えることにした。


その晩、寝室に入りベッドに横になろうとした時に窓を叩く音がしたので、開けてみると季節外れの雪がしんしんと降ってきていた。

手を外にかざすと何かが中に入っていたので、よく見てみると、いつか見た白い羽根が乗っていた。


僕はこれから良い知らせがあるのだと奇跡を信じてみようと考えた。


そう、あの古本屋で起きた出来事のように。


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賢い古本屋にて 桑鶴七緒 @hyesu

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