第10話 宿と硬貨

オフェリエはさすがに限界が来たのか、まかないを食べ終えるとカウンターに顔をついて眠ってしまった。

私はミケルさんとイオさんに良い夜をと言い。

貸してくれた宿の部屋にオフェリエを運ぶ。

その部屋唯一のベッドに寝かせ、掛布をかぶせる。

オフェリエを起こしてしまわぬように、なるべく静かに部屋の鍵を閉めた。


部屋の中には年季が入った木椅子が一脚あった。

よく磨かれてつるんとした表面の木椅子に腰をかけ考える。

これからどうするのか。


私の目的は場所が定められたものではなく、期限も遥か先だ。

先を急ぐ理由はあまりない。

ミケルさんの腰の調子が戻るか、代役が努まる人を宛てがうまでは、数日間ほどここでお世話になるのか。

しかし、オフェリエのことは急がねばなるまい。

オフェリエは何故か私に同行するつもりでいるらしい。

森の中の街道でであった全裸の男だった私に着いてくるなど、普通ではない。

だが、他に宛てもいないのであろう。

昨日の昼過ぎに街に着き、オフェリエを抱きかかえながら少し彷徨ってみたが、街に知り合いがいる様子もなかった。


この街は馬車で別の街に向かう途中に通過したことがあると言っていたから、この先の街や村に知り合いや用事があったのかもしれない。

あいにく、オフェリエには行先までのルートは知らされていなかったらしい。

幼いオフェリエには付き人がいたようだが、その人なら行き先やルートを知っていたのかもしれない。

だが、残念ながら私が見た時には、付き人らしきテレサという女性は既に死んでいた。


手がかりはこの街から馬車で行ける場所というだけ。

この街は王都へ続く街道が繋がっているが、各地の要所へもだいたいは街道が通っている。

王都の衛星都市だ。

行ける先には数限りない。

あとはどのくらい時間がかかったかがわかれば、少しは行き先が絞りこめるかもしれない。


━━


考えているうちに木椅子に座ったまま眠ってしまったようだ。

どうやら死ねないといっても睡眠は必要ということか。

昨日よりも頭がすっきりとしている気がする。

目を覚ました私の前にはオフェリエがいた。


「すまない、寝坊でもしてしまっただろうか?」


オフェリエは少しだけ機嫌が悪そうに私に何か視線で訴えている。

しかし、私には検討も……。

いや、トイレに行きたいのか?

オフェリエはもぞもぞとしきりに上体を動かしており、ロングスカートのドレスも揺れている。


私は部屋の鍵を開けると、オフェリエは素早く共有トイレに駆けていく。

やはりそうだったか。


子供だからかトイレに行きたいと言い出せなかったのか、あるいは昨日会ったばかりのよく分からぬ男には、さすがに言いにくいということもあるだろう。

オフェリエの口の達者さからすれば、後者の方である可能性は高い。

私の方も少し気にしておく必要がありそうだ。


部屋に戻り、しばらくするとオフェリエが戻ってきた。


「おはよう、リオネル。

ごきげんいかが?」


すっきりしたといった顔つきと声音。


「ああ、おはようオフェリエ。

ごきげん……いかが?


すまぬが、なんと返すのが作法なのかはわからぬ。

しかし、機嫌が悪いということはないから安心してほしい」


「ええ、それでけっこうですわ。

それと、さきほどはありがとうございました」


少し早口にそういうと、オフェリエは顔を少し背けてしまった。

トイレのことを恥ずかしいと思っているのかもしれない。

私は牢に入っていた際に、人に見られながら用を足すということもあったので、そういう恥ずかしいと思う気持ち自体はない。

が、一般的な感覚として恥ずかしいと思うのは仕方のないことだと認識している。


子供のことはよく分からないし、貴族のこともよく分からない。

その上、私の境遇は普通ではないので、一般的な感覚も持ち合わせていない。

本当は、はやくこの子を誰かに引き払うべきなのだと思う。

オフェリエが不自由に思っていたとしても、私にはどうしてやることもできない。

もしかすると、オフェリエの方が頭が回る上に、色々と知っているようだから、私を置いて出ていくことも可能かもしれない。


「オフェリエ。

昨日はベッドでよく眠れただろうか。

貴族のお前には固く窮屈なものだったのではないか?」


私の方に向き直るオフェリエの瞳は見開かれていた。

微かに黒い塊の蒸気が上がった気がする。


「そ、そんなこと、ございませんでしたわ。

このとおり、しっかりねむれましたので、ごしんぱいなく」


私が心配していると察することができるオフェリエは、やはり常人離れしているように思う。

この子のような子供のことを神童というのだろうか、あるいは貴族社会で幼い頃から過密な教育を受けた賜物だろうか?


「そうか。

ところで、なにか入り用なものは無いか?

昨日の稼ぎで買いに出かけたいのだが」


本当はこれも、私が入り用なものを把握して全て買ってくるというのが、保護している者の務めだろう。

しかし、私は買い物をしたことがない。

必然的に保護者に求められる務めなど果たせそうにない。

オフェリエならば買い方はわかるだろうかという期待がある。


「かいにでかける?」


オフェリエは私の言葉を繰り返した。

そして、続くオフェリエの口から出てきた言葉で、叶わぬ期待をしていたことに気づかされる。


「おうせつまに、しょうにんのかたがおみえになるのではないのでしょうか?」


おうせつま?

ああ、客をもてなすような貴族の家の部屋のことか。

娘をさらう際の見取り図でなら見たことはある。

どうやらオフェリエの常識では商人の方から出向いてくれるのが定説らしい。


「オフェリエ。

ここは宿だ。

私たちが好きに使える応接間などは備えていない。

それに、私のような貴族ではないもの達のところには、商人は出向いてくれない。

そのような待遇は、おそらく上級貴族や王族だけだろう」


つまり、オフェリエは上級貴族であるらしい。

私が送り届けるまでもなく、今頃大々的にオフェリエを捜索していることだろう。

噂などがたっていないか、調べてみる価値はありそうだ。


しかし困った。

買い物はぶっつけ本番、教えてくれる者はいないということか。

せめて硬貨の数え方くらいならオフェリエに教わることができるかもしれない。


「時にオフェリエ。

昨日もらった稼ぎだが、どの硬貨がどんな価値があるのかは知っているのか?」


「こうかのかちでございますか?

もちろんですわ」


それさえわかれば、少しは買い物ができるだろうか。


━━


どうやら、硬貨の種類は20種類もあるらしい。

さすがに全て覚えるのは無理だ。


私の持つ袋に1番沢山入っているのは、青銅貨の5オーツだ。

それから次に多いのは1オーツの青銅貨。

どちらも縦長の形状は似ていて色も同じだ。

しかし、サイズや厚みが少し違う。

描かれている顔も違うらしく、どちらも歴代の王をかたどったものらしい。

どの王が何をしたのかまでオフェリエは知っていた。

しかし、私には覚えられそうもなかった。


先日まで王であった魔王が象られたものはすぐにわかった。

いちばん新しい王は、まずはオーツよりも価値の低いルッソという単位の硬貨になるらしい。

魔王は1ルッソ。

1番市場に出回っているもので、市民に最も馴染みを持たれるようにということらしい。

それから次の王に変わるまでに成したことによって、どの硬貨に刻印されるのか、または消えるのか、新たな種類の硬貨が作られるかが決まるらしい。


昨日の夜、服と2日分の食事代にと50オーツを渡していたことになる。

オフェリエが数えたところ、私の稼ぎの1割程度を支払ったことになるらしい。

ミケルさんとイオさんにはあまり多く支払っていないということなのか。

価値の分からない私には判別のつけようがない。


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