第25話 夜の電話


 お風呂上り、純さんから帰宅するとPINEが届いたからすぐにオムライスを完成させてフライパンと自分が使ったお皿を洗いました。清さんのお皿はいつも通りもうすでに片されています。こういうところはいい子の片鱗が残っているとは思うのですが。


 自室に戻ろうと階段を上がる途中、正面玄関がガラガラと開かれる音が聞こえて静かに足を速めます。自室のドアを閉めるタイミングで向こうの部屋から清さんが出てきたのが見えましたが、黙ってそっとドアを閉めました。



「あれ、武蔵くんからですね」



 勉強机に座ってふとスマホを見ると、武蔵くんからのPINEが届いていました。



『好きなときに電話かけてきて』



 今の時間は10時ちょっと前。遅い時間に含まれる気もしますし、武蔵くんからのPINEが届いたのも9時過ぎです。


 少し悩んで、やっぱりかけることにしました。このあと僕に用事がある人はいないでしょう。それに聖夜くんと武蔵くんと付き合うようになってからは勉強の時間を確保するために毎日4時に起きて家事をこなすようになりました。そのおかげで夜は自由な時間があるから電話もできます。



『もしもし。会長?』



 電話をかけてツーコール。コール音が途切れて低い震えるような安心する声が聞こえました。3人でグループ通話をすることもあるから聞き慣れてはいますが、今日はやけにホッとします。



「はい。武蔵くん、ありがとうございます」


『何がだよ。俺が無理言ってんだから会長は気にしなくていい』



 砕け切った口調はぶっきらぼうだけど優しくて、良い友人以上の大切な存在だと胸が温かくなります。



「それで、何を話せば良いですか」



 きっとさっきの起業とか実家を継がない話とかなのでしょうが。



『そうっすね、って、ちょっと待ってください、すみません』



 慌てた様子でそう言われてすぐ、僕の返事を待たずに声が遠くなりました。よく耳を澄ますと、誰かの泣き声と武蔵くんの厳しい声が聞こえます。我が家ではありえない状況に驚きましたが、微かに聞こえる会話に耳を傾けます。



『大和、こっちおいで。そんなに大声で泣いたら声枯れちゃうから、ね? 落ち着こっか』


『んっ……むさしにぃ……』


『どうどう。大和、お前は何がしたかったんだ? チョコを盗むような子じゃないだろ? 乙葉も、大和は言葉を考えて整理したり口にするのが苦手なことは分かっているだろ? 俺にするのと同じように矢継ぎ早に理詰めにしたらパニックを起こすことぐらい分かってただろ』



 想像するに、大和さんが乙葉さんのチョコレートを盗ったところを乙葉さんが見つけて追及した結果、大和さんが泣いてしまった、ということでしょうか。



「お兄ちゃん、しているんですね」



 僕や聖夜くんに対しても理論的かつ柔らかい物腰で会話を進めている印象はありましたけど、ずっと兄弟の仲裁役をしていたからこそ身に着いたことなのでしょう。


 みんなも怖がってばかり、噂を信じてばかりいないで会話をしてみれば良いのですが。そうすれば武蔵くんの良いところなんてすぐに分かるはずです。ただ問題が1つ。聖夜くんは武蔵くんの良いところをみんなに知って欲しいと言いつつも、顔に嫉妬の色が浮かんでいるのは見れば分かります。



『僕は、乙葉姉ちゃんが頑張ってるから、チョコを渡そうと思ったの。でも、でもね……』


『うん』


『ちゃんと、言えなかった。ごめんなさい』


『私も、ちゃんと話を聞かなくてごめんね。テスト前で焦ってたとは言っても、大和に当たるべきじゃなかった』


『よろしい。じゃあ兄ちゃんは電話の続きしてくるから、母さんたちが帰ってくるまで喧嘩すんなよ?』



 元気の良い返事が聞こえたと思ったら続けて足音が聞こえました。



『すみません。お待たせしました』


「いえ、大丈夫ですよ。良い話を聞かせてもらいました」


『そうっすか? そんなに珍しいもんでもないでしょ。会長だって兄弟いるならこんな喧嘩ぐらい日常茶飯事……ってわけでもないんでしたっけ』



 そう言えば前に、なんとなく家庭状況が好ましくないとは話したことがありましたね。



「はい、そうですね。僕の家は少し特殊なんでしょうし」


『その辺、聞いても良いっすか?』


「はい。武蔵くんなら、話しても良いかなと思います」


『言いふらす相手もいないんで安心して話しちゃっていいよ』


「自虐が過ぎますよ」



 武蔵くんの自虐ネタのおかげで僕自身も気が付いていなかった緊張が解れました。最近は周りとも距離が近くなってきたようですし、それもあってネタにするような余裕もできたのではないかと推測するとその意味でも安心します。



「どこから話しましょうか」


『出生からでも聞きますよ』



 ドアが開く音が聞こえてギイッと椅子に腰かけた音もしました。電話の収音機能も馬鹿にはできません。



「じゃあ、そうさせてもらいますよ」


『はい』


「僕は地元の大病院の次男としてこの家に生まれました。兄は13個年上で、その兄の支えになるようにという目的で作られた子どもだと言い聞かされて育ちました」


『は? いや、それで?』



 キレたようないつもよりも低い声が聞こえてビクッと肩が跳ねました。すぐに落ち着きを取り戻した武蔵くんに促されて、少し言葉を選びながらもう1度口を開きました。



「両親、特に父が僕のことを嫌っていまして、顔も覚えていないほど会ってなかったんです。幼いころからお手伝いさんに家事を叩き込まれて、一通りできるようになったころには1人でこの家の家事をやることになりました。真面目な兄は優秀で、もうすでに父の病院で働いています。2つ年下の弟はもっと優秀で、この間の全国模試で1位を取るくらいなんですよ」


『え"っ』



 え、に濁点が付いたような声を出して驚いた武蔵くんは、誤魔化すようにゴホンッと咳ばらいをしました。



「大丈夫ですか?」


『いや、全国模試の1位ってAIだと思ってたんで』


「ははっ、ちゃんと人間ですよ。昔は可愛かったですし、僕が両親や兄から守らないとって思っていたんですから」


『そうなんすか?』


「今でも大切には思っていますよ? だけど、大切に思っている子から冷たくされたり胸ぐら掴まれるのは結構辛いものですね」



 ついつい愚痴っぽくなってしまいましたが、武蔵くんはただそっか、と言っただけでした。



「まあ、家族とはほとんど会いませんし、僕が何か気分を害すようなことをしなければ向こうからは寄って来ませんから」


『そうなんすね』


「はい。だから病院を継ぐことはできませんし、勉強時間の確保もかなり難しいんです」


『でも、よくこっちの高校に入れてもらえたな』


「はい。まあ、世間体がありますからね。学力が高いところを目指していると吹聴してそこに本当に入れるのならば利益になりますし、どうでも良いんです。小さいころもパーティーのときだけは連れ出してもらっていましたし」



 だからこそ甲斐田くんたちとも知り合いでした。



『隠したりしないんすんね』


「母のお腹が大きかったことは隠せませんから」


『それもそうか』


「まあ、行ったところで兄や弟と比べられるだけですけどね。2人と比べて出来が悪いって卑下されるためだけに行ってた感じだったんです。周りの人にも両親に似ていないからって、愛人の子だとかなんとかいろいろ言われていました。もちろん大人がそんな話をしていれば子どもたちにも伝わるでしょう? ほとんどの子には遠巻きに見られていましたね」



 あの頃は甲斐田くんや右京くん、左京くんたちもかなり遠巻きに見ていた人たちの中に含まれていました。高校で再会したときもそこまで仲が良かったわけではありません。何度か交流を繰り返すうちに少しずつ、という感じでした。なんなら右京くんの視線はずっと痛かったですが。



『なるほどな。なんとなく分かったかも』


「何がですか?」


『ほら、俺のイメージ良くしようと考えてくれて、いろんなところで人目に着くように、とか考えてくれただろ?』


「そうですね」


『自分の経験があったからそういう考えが出たんだなって分かった。まあ、そのおかげでレオさんと接するきっかけにもなったんで感謝してるんすよ』



 聖夜くんに釣り合う男になりたいと真剣な顔で言ってくるから、とりあえず知ってもらうことだと思っただけだったのですが。意外と上手くいっているようですね。



「上手くいってるなら良かったです。僕なんかの考えが上手くいくとは思っていませんでしたし」



 僕の言葉に、電話口から深いため息が聞こえて身を竦めました。



『会長は自分を卑下しすぎっすよ。学校にいるとそんな感じあんまりないのに、家にいるからっすか? それとも、今日がそんな気分だから?』


「どちらも正解、ですかね。本当に人のことをよく見ていますね」


『ああ、まあ。うちの弟、話すの苦手なんで察してあげないといけないことも多いんすよ。だから人のことをよく見る癖がついたんすかね』



 幸せそうな声色が羨ましい。ご両親は普段から帰りも遅いらしいですし、2人の兄弟の面倒を見るのは大変なことも多いのだとは思いますが、幸せそうです。本当に家族のことが好きなんだと伝わってきます。



「なんだか良いですね。僕には、家族のことを幸せそうに話すなんてことができる日は来ないのでしょうし」


『いや、それはないっすよ』



 つい漏らしてしまった不安。武蔵くんは間髪入れずに否定してくれて、お世辞かもしれないとは分かりながらも少し嬉しく思いました。



『今後、聖夜や俺と家族になるつもりなんだろ? 俺たちのことも幸せそうに話せないのか?』


「え」


『なんだよ。家族の定義なんて人それぞれだろ。実際、申し訳ないけど俺からしたら会長の親御さんとかご兄弟は家族に思えねぇ。俺らの方が会長のこと大事だと思ってると思うぞ』



 最後の方は照れているような声音だったから、きっと今頃耳は真っ赤なのでしょう。こういうところが聖夜くんの好きなのですね。口にしたら嫌がりそうですし言いませんけど、僕も好きです。


 ふと、廊下に気配を感じて振り返りました。耳を澄ましていると無言になってしまっていました。



『会長?』


「ん? ああ、すみません。なんだか廊下から気配を感じまして」


『もしかして、電話してるだけでも文句言われたりするのか?』


「そこまで干渉してくる、というより僕に興味がある人たちでもないですよ」


『そっか。で、もう1個聞いても良いっすか? ほら、起業の方』



 気配も消えてまた電話に集中します。そういえば、起業のことは話していませんでした。



「それはですね、何人かの友人と一緒にオンラインの学習の場を作ろうと話しているんです」


『オンライン塾的な?』


「はい。僕は塾に行くなんて夢のまた夢ですから。何歳の人でも無料で学べる場を作りたいんです。家からも、公共機関からもアクセスできるようにしたいと思っています。端末を持てない子もいますから。でも、家から出られない、端末を持てない子にはどうしたら良いのか分からないんですよね。そこはこれからの課題です」


『会長は経験を生かせるから、凄い人ですね』


「急に敬語ですか?」



 やけに優しい声で言われてなんだか気持ちが温かくなりました。普段使われない敬語を使われているのも、なんだかこそばゆいです。



『実は尊敬してるんすよ』


「そう、なんですね」


『そうなんすよ。あ、会長朝早いんすよね。長々とすみません』



 パッと時計を確認するともう11時を回っています。本当に、楽しい時間はどうしてこんなにも早く過ぎてしまうのでしょうか。



「大丈夫ですよ。こちらこそごめんなさい」


『いーえ。じゃあ、おやすみなさい』


「はい、おやすみなさい」


『会長』



 電話を切ろうとしたら呼び止められて、スマホに耳を付け直しました。声に寂しさが出てしまったかと不安になりましたが、何か用事を忘れていたのかと思い直しました。



「どうしましたか?」


『金沢土産、俺は煎餅が良いんでよろしく。じゃ、おやすみ』


「え、ちょっと」



 ツーツー、と鳴り続けるスマホを呆然と見つめていると、なんだか笑えてきました。僕の部屋の近くに人がいる可能性は限りなくゼロに近いですが、一応声を殺して笑いました。


 武蔵くんは僕を笑わせる天才なのでしょうか。



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