第15話 ヘアスタイルと姉ちゃんと

side吉良聖夜



 粋先輩と鬼頭くんとお付き合いを始めて数日、少しづつお互いの気持ちを伝え合いながら無理のないルールを作ることになった。提案してくれたのは鬼頭くん。みんな恋愛事は不得手だし不満とかストレスですぐに別れたいって言われたら嫌だから、なんて言っていたけどきっとボクのため。ボクの勉強スタイルを聞いた鬼頭くんはなんとなくボクの思考を理解しているらしい。



「人付き合い苦手って言ってたけど、そんなことないんじゃないかなぁ」



 ついついぼやいてしまって、慌てて空いていた左手で口を塞いだ。ちらっと背後でお弁当を詰めている夕凪姉ちゃんを盗み見ると、聞かれてはいなかったみたいでほっとした。


 真昼姉ちゃんと夕凪姉ちゃん、ボクの3人分、朝昼2食分のご飯を盛り終わってテーブルに運ぶと、夕凪姉ちゃんが作ってくれてあったお味噌汁を温め直す。


 我が家はお父さんが海外の会社に単身赴任している。ボクが小学生のときにはそんな生活で、お母さんは近所のスーパーでパートタイムで働きながら姉3人とボク、4人姉弟の生活を支えてくれていた。


 ずっと5人で暮らしていたけど、去年1番上の姉が結婚して家を出て4人暮らしになったと思ったら、今年の初め、ボクが高校生になったと同時にお母さんがお父さんのところに行ってしまった。お母さんは時折帰ってくるくらいで、あとは1週間に1回くらいのペースで近況報告がてらテレビ電話をしながらお父さんも含めて5人で食卓を囲む。


 普段は大学2年生の真昼姉ちゃんと高校3年生の夕凪姉ちゃん、そしてボクの3人で暮らしているから、お互いの学校や勉強の兼ね合いを考えながら家事も分担している。昔から家のことはこの家に住んでいる全員でやる、というお母さんの方針の下であらゆる家事を叩き込まれてきたから、それぞれ得意不得意はありながらも困ることは少ない。



「聖夜、お味噌汁盛り終わったら真昼姉ちゃんが上にいるから、お手伝いお願い」


「分かった」



 味噌汁もテーブルに運んで、箸も一緒に並べてから2階のベランダに向かった。大きい窓からサンダルを履いて外に出ると、真昼姉ちゃんの隣りに置かれた洗濯籠にはあと4分の1くらいの洗濯物が残っていた。



「真昼姉ちゃんおはよう。手伝うよ」


「ふふっ、聖夜おはよう。ありがとうね」



 手分けして洗濯物を干していると、真昼姉ちゃんの機嫌がやけにいい。人前で歌うことが苦手な真昼姉ちゃんが鼻歌を歌っているなんて珍しい。



「どうしたの、なんか良いことあったの?」


「ん? ふふ。それは聖夜でしょ? 前に言ってた星ちゃんと月ちゃんの話が減ったなぁと思って心配だったけど、2人と何かあって仲違いしたにしては楽しそうだし、ほかに友達ができたのかなって夕凪と推理してたの。どう? 合ってる?」



 我が家で1番頭も良ければ勘も良い真昼姉ちゃんに隠し事はできないことは昔からよく知っている。今までたくさんの心配をかけてきたから。でも、今回気づかれたのは理由が理由なだけに照れ臭い。



「友達とは違うけど……、うん、凄く楽しいし、幸せだよ」


「ふーん。そっかぁ」



 真昼姉ちゃんがニヤニヤと笑うのを見て、何か失言をしたかと焦る。



「まあ、聖夜が幸せならなんでも良いの。また話したいと思ったら教えてね?」


「うん」



 2人で干してしまえばあっという間に干し終わって、ボクが洗濯籠を持って一緒に階段を下りた。



「ボク、洗濯籠置いてくるね」


「ありがとう。先に行ってるね」



 籠を洗面所の後ろに置かれた洗濯機の前に置いてキッチンに戻ろうとした。でも、ふと鏡に映った自分が目に入って足を止めた。


 粋先輩と鬼頭くんのまっすぐな整えられた髪に比べて、ボクはくせ毛と寝癖が混ざって緩く巻いている状態。色も粋先輩はカラスみたいな艶やかな黒髪で、鬼頭くんは明るい茶髪。鬼頭くんは光を通すと金色に光るのもキラキラしていてかっこいい。ボクのよくいる焦げ茶色の髪は2人と並ぶとより平凡に思える。


 鏡の前に並べられた真昼姉ちゃんのヘアワックスと夕凪姉ちゃんのヘアオイルが目に入って、手に取って香りを嗅いでみる。夕凪姉ちゃんのヘアオイルからははちみつの香りがして、粋先輩の髪からもはちみつの香りがしていたことを思い出した。



「ボクもこれを付けたら」



 もっと2人に可愛いと思ってもらえるんじゃないかと考えたけど、頭を振って2つを並べ直してリビングに戻った。



「聖夜ごめんね、遅かったから先に食べちゃってるよ」



 夕凪姉ちゃんがそう言う隣で、口いっぱいにご飯を詰め込んだ真昼姉ちゃんが箸を持っている手を軽く上げた。



「ボクも遅くなってごめんね」



 夕凪姉ちゃんの前の椅子に座って挨拶をしてからボクも食べ始める。お味噌汁を1口啜ると程よく冷めていて、お味噌とお出汁の味をしっかり感じられる。



「美味しい」


「ふふっ、ありがとう」



 ほとんど毎日のやり取りではあるけど、美味しいものは美味しいからついつい言ってしまう。その度に姉ちゃんたちも嬉しそうにしてくれるからまあいいか、と思っている。


 黙々と食べていると、時計を見た夕凪姉ちゃんが立ち上がった。



「ご馳走様。真昼姉ちゃん、あとお願い」


「うん。了解」



 夕凪姉ちゃんは足早にお皿を流しに置いて水に浸したら、そのまま2階に上がって行った。髪を梳かすだけで寝癖も直さないボクとは違って、夕凪姉ちゃんは寝癖を直したり結わえたりするからボクよりも時間がかかる。


 夕凪姉ちゃんも真昼姉ちゃんもボクと同じ最寄り駅にある学校に通っているけど、駅からの距離は夕凪姉ちゃんの方が遠いからボクはそれに合わせて家を出て、同じ電車に乗る。


 真昼姉ちゃんは大学生だから始業時間が少し遅い。乗る電車も1時間違うから、いつもお皿洗いをしてから大学に行ってくれる。ボクはお皿洗いもしていないし、身なりを整える時間もそこまで必要ない。ということで制服に着替えて髪を梳かしたら昨日の夜のうちに集めておいた燃えるごみを捨てに行ってくる。



「ごみ捨ていってきまーす」


「気を付けてねー」



 玄関から叫ぶと真昼姉ちゃんの声だけが聞こえてきた。夕凪姉ちゃんも曜日で分かっているだろうし、1人に伝わっていれば心配させることもない。


 住宅が軒を連ねるブロックの裏手にある、ご近所さんたちの畑に続く道。その途中にある小屋型のごみステーションの中にごみ袋を並べてドアを閉めて鍵を掛ける。そのままなんとなく駆け足で家に戻ると、やっぱりいつもより出発まで時間がある。手を洗ってから部屋に戻って、リュックを持ってリビングに降りる。リュックはリビングの出入口近くの床に置いて、キッチンでお皿を洗っている真昼姉ちゃんが洗ったお皿を拭こうと制服の袖を捲って隣りに立った。



「せーいーやー! ちょっと来て!」



 布巾に手を伸ばしかけたとき、洗面所にいるはずの夕凪姉ちゃんの叫び声が聞こえて手が止まった。真昼姉ちゃんと顔を見合わせると、真昼姉ちゃんは少し困ったように笑いながら頷いた。



「行ってあげて」


「ごめんね。これ、お願い」


「大丈夫だよ。ほら、いってらっしゃい」



 真昼姉ちゃんの声に背中を押されてキッチンを出て、夕凪姉ちゃんがいる洗面所に行くと、夕凪姉ちゃんはヘアアイロンを片手に手招きしていた。



「こっちおいで」



 言われるがままに夕凪姉ちゃんと鏡の間に立つと、肩に手を置かれて高さを下げるように示されたから中腰になって膝に手をついた。



「それはそれで遠くてやりにくいな。空気椅子無理?」


「それは無理」


「だよね」



 洗濯機の上に置いてある詰め替え用の洗剤を取るとき用の足台を持ってきた夕凪姉ちゃんはその上に立った。



「よし、これなら届く」



 そう言って気合いを入れた夕凪姉ちゃんは何やら魔法をかけるみたいに手を動かして、あっという間にくせ毛を緩くふわふわに変えてしまった。



「おぉ」


「まだまだ」



 そう言って笑った夕凪姉ちゃんは自分のヘアオイルを手に取ると、それを手に広げてボクの髪に丁寧に塗った。ボクの髪からはちみつの匂いがする、不思議な状況が変に気恥ずかしい。



「どうして急に?」


「んー? なんとなく?」



 そう言った夕凪姉ちゃんはニヤニヤ笑っていて、またバレたかと察した。中学のときも好きな人ができたことが何故かバレてたんだよな。


 いつか必ず、2人のことを姉ちゃんたちに伝えたい。



「夕凪、聖夜! そろそろ時間だよ!」



 真昼姉ちゃんの声に2人で慌ててリビングに向かってお弁当箱を持ってリュックを背負った。そのまま玄関で靴を履いていると、後ろから真昼姉ちゃんの足音がした。



「聖夜、今日可愛いね」


「そ、そう? 夕凪姉ちゃんがやってくれたの」



 可愛いと言われて嬉しくなったのが顔に出てしまった気がするけど、ギリギリ誤魔化せているんじゃないかと思いたい。楽しそうに、嬉しそうに笑っている姉ちゃんたちに背を向けてドアを開けて玄関を出た。



「いってきます!」


「ちょっと待って! 私もいってきます!」


「いってらっしゃい! 気を付けてね」



 粋先輩と鬼頭くんに会ったとき可愛いって思ってくれるかな、と期待する気持ちが膨らむと、自然と足取りも軽くなった。


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