第6話 ツキを照らすホシ

side柊月



 体育の前にセイが思い出したように声を掛けてきて、今日は一緒にお昼を食べられないと言われた。明日は一緒に食べたいと言っていたけど、どうなることやら。きっと今日一緒にお昼ご飯を食べるのは北条先輩と鬼頭くんだ。あまりいい予感はしない。



「るなち、お昼食べ行こ」



 きらこに呼ばれていつも通り別棟の入口の横の開けたスペースでお弁当箱を広げた。朝コンビニで買ったお弁当を開けて卵焼きを口に含む。黙って咀嚼すると、苦手な甘さの卵焼きに今日も気分が落ち込んだ。



「るなちはさ、会長さんのこと知ってるの?」


「ゴホッ……ッ!」



 突然のことに驚いて卵焼きの破片が気道に引っかかった。水筒のお茶で気持ち悪さを流し込んで息を整えて、背中を擦ってくれたきらこに視線を向けた。



「どうしてそう思うの?」


「だってセイが会長さんの名前出してから様子おかしかったじゃん。るなちは普段わりと冷静だし顔にも出づらいしね。あれだけあからさまなら、なんかあるのかなって思うでしょ」



 花柄のアルミホイルにくるまれた手作りのおにぎりをかじりながらさも当然というように言ってのけたきらこに嘘を吐くことはしたくないけど、かといって本当のことも言いづらくて口籠もる。


 北条先輩の過去を話せば、高校生になって地元を離れてからはすっかり振る舞いも人も変わった北条先輩の努力を無駄にすることになりかねない。でも、北条先輩のことを良い面と悪い面から客観的に見ることはセイのためになるかもしれない。


 ここだけの話、ときらこに顔を近づけて声を潜めた。



「私、北条先輩と同じ中学の出身でね」


「そうなの?」


「うん。もちろん学年も違うから話したこともあまりないけど、いつも周りにたくさんの取り巻きを連れて歩いてたのはよく見かけてた。北条先輩の御両親は県内でも有数の大病院を経営している人たちで、あの辺りでは1番の権力者だから。子どもに仲良くならせたい親も多かったみたいだよ」


「それって本当の話だったんだね。北条医院といえばこっちでもCMが流れているから、そんな噂はあるよ。まあ、会長さんが認めてないからデマだと思われてたらしいけど」



 驚いて開いた私の目をじっと見つめながら近づいて来たきらこを軽く押し返す。ケラケラと笑って唐揚げを口に含んだきらこは能天気ともまた違う。シリアスとシリアルを自在に操る天才だ。きらこには真面目と不真面目を両立させることができる妙な特技があるから不思議だ。


 私は自分のことを誰も知らない場所に来たくて地元から電車で1時間以上掛かるこの学校を選んだ。私が通っていた中高一貫校からこの学校に入学したのは歴史を遡っても北条先輩くらいだった。中高一貫校だから当然大半の人たちはエスカレーター式に進学するし、ほかの学校に行くにしても公立校を選ぶ人は少ないから向こうでは認識もされているのか怪しいくらいだ。そんな考えで来ているわけだから入学当初は本棟どころか別棟にも、学年に誰1人として知り合いはいなかった。


 1人でいた私にセイが声をかけてくれたことをきっかけに、セイと仲が良かったきらことも話すようになった。きらこと仲良くなってからは体育で一緒になる人たちと友達とは言えないまでも話すようになったけど、正直噂には疎いのが現状だ。通りすがりの人たちの話を盗み聞きして情報を得るので精一杯。少数精鋭の噂好きな友達がいるきらこには勝てっこない。



「小学校からずっとそんな環境にいたからなのか、北条先輩は来る者拒まず去る者追わずって感じの人付き合いをしていて」


「へえ。みんな仲良くなれるようにって言いながら上手い具合に本当に大事だって思う人とそれ以外の線引きしてるって聞くから、ずっとそうなのかと思ってた」



 今の北条先輩は確かにきらこが聞いた話の通りの人だ。入学してすぐ、校内で数人の友人と屈託のない笑顔で話している姿を見つけたときは、この1年で何があったのか、それを考えることが怖かった。先輩の変わりようはそれくらい大きな変化で違和感しかなかった。



「最近の北条先輩が昔と違うことは分かっているんだけど、セイのことを傷つけるようなことをされたらって思うと……怖い」



 あんなにも人に興味がなさそうで周りにいた人間の名前もろくに覚えていなかった人が、いくら変わったといっても好きになった相手を大事にできるのか、そもそも人を好きになれるのか。信じ難いのが本音だ。地面を見る私の隣から聞こえる咀嚼音が止んで顔を上げると、真面目な顔をしたきらこと目が合った。



「セイが信じたがってるんだもん、私たちは見守ってあげよう? まあ、万が一にもセイがあの人たちのせいで悲しむことがあったら、そのときはそのときだけど」



 ね? と自信満々な様子でニヒルに笑うきらこに頷いて、お弁当に視線を戻した。


 きらこは私とはまた違う。仲間がいて、その人たちを守るために戦ったせいで敵がいる子だから相手を泳がせるのも上手い。私はセイと同じように周りから存在を忌み嫌われていて、でも家族からは愛情をたくさん注がれていたことが分かる素直なセイとはやっぱり違う。2人よりも遥かに、誰かのためにと考えて動くのが苦手だ。感情表現も苦手な私を受け入れてくれるきらことセイのために自分が何をしてあげられるのか、そんなことをいつも考えている。



「きらこはすごいな。本当に尊敬してるよ」



 私の中では脈絡があったけど、きらこからすれば急な話。訝し気な顔をされることには慣れているのに。



「私だってるなちのこと尊敬してるよ。勉強ができるところも自分でなんでも決めちゃうところも、いつも私たちのことばっかり考えてるところも。るなちが努力してきたことと当たり前にやってることが私には羨ましいし、かっこいいなって思って尊敬してる」



 きらこはなんでもない顔で何倍にもして返してくれる。オシャレで可愛くて優しくて、ちょっと喧嘩っ早いきらこだから大切。


 お互いになんとなく照れくさくて、特に会話もなくそれぞれのお弁当を食べ進めた。私が空のお弁当箱を洗って捨ててからきらこの隣に戻ると、きらこも空のお弁当箱の蓋を閉めて仕舞い始めた。



「セイはどっちを選ぶのかな」



 不意にきらこが言った言葉に、私はすぐには何も返せなかった。体育館に遊びに来た人たちが騒がしく通り過ぎて行くのを見送って、静かになった中庭で揺れていた木の葉がふらりと落ちた。



「分からないけど、セイが幸せそうに笑ってくれるならそれでいいかな」



 きらこは私の答えにふふっと笑って息を吐いた。



「どんな形に落ち着いても、大人になったセイの結婚式には呼んで欲しいな」


「セイはタキシードかな、ウエディングドレスかな?」


「ええ、タキシードはもちろん似合うしかっこいいでしょ? でもなあ、ウエディングドレス姿で照れてはにかんでるところも見たい!」



 私の夢のような妄想に、きらこは笑うことなく大真面目に考え始めた。その夢が、いつか現実になったとき、私ときらこの隣りにもそれぞれ大切に思う人がいたりするのかな。



「どっちも着てくれないかなあ!」



 結局、結論が出なかったきらこはそう言いながら後ろに手をついて空を仰ぐと目を細めた。私もつられて見上げると、校舎の隙間の狭い空に太陽が輝いていた。



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