第5話 抜け駆けと決意

side鬼頭武蔵



 昼休みはいつも先生の授業終わりの言葉を聞き次第、ロッカーに入れて鍵をかけているもの以外の荷物を1つ残らず全部持って教室を出る。そして時間いっぱい人気のない管理棟の中でも1番人が寄り付かない物理講義室まで堂々と歩いて逃げ込む。


 なるべく誰にも会わないようにと思って居場所を探しているうちに見つけたここに居続けていると、入学して2か月が経つころには噂が広がってこの辺りには誰も寄り付かなくなった。中学のころのように腕力が全て、という考え方をする人が少ないことも幸いした。


 災いしたことは、この学校では大半の人たちが噂好きなくせに噂の真相を解明することに興味がないことだ。結局、みんな勉強や青春を謳歌できる貴重な時間を無駄にしたくないし、面倒な揉め事に巻き込まれたくはない。でもそのおかげで俺は、何かしたわけでもないのに中学のころに立てられた噂がそのまま信じ込まれてしまった。


 興味も憐みも感じられることなくただ恐れられて、腫物扱いされ続けるくらいなら関わらないのが得策だ。声をかければ脅されたと喚かれて、目が合っただけで睨まれたと吹聴される。そんなことは大迷惑。だったらこれでいい。


 今日もチャイムが鳴ってから3分後に数学の先生から告げられた終わりの合図と同時に筆箱のチャックを閉じる。教科書とルーズリーフをまとめてお気に入りの艶のある黒いリュックに仕舞い込む。それを背負って後ろの出口から教室を出ようとする間に俺の前を遮る人はいないことを悲しく思う時期はもう過ぎた。


 教室を出て2階に下りる人通りの多い階段を遮るものなく下ると、2階の管理棟に向かう渡り廊下の途中で今一番会いたくない人が壁に凭れかかって立っているのを見つけて180度向きを変えた。



「ちょっとちょっと。逃げないでよ武蔵くん」


「なんすか。来ないでくださいよ」


「へえ、じゃあ僕は聖夜くんと2人きりでお昼ご飯を食べるとしますか。抜け駆けはだめかなと思ったんだけ、どぅ」



 なかなかに大きな声で話す会長の口を手で塞ぐ。



「声でかいっすよ」



 わざと眉を顰めて声を低めたけど、周りからひそひそと話す声が聞こえてパッと手を離した。



「すみません。俺には人目があるところで関わらない方がいいっすよ。それじゃ」



 耳元で囁くようにそれだけ言っていつものところに行こうと会長の隣を通り過ぎた。俺の後ろからついて来る足音を無視して管理棟の階段を上がろうとしたのに、急に逆らえない圧力のある笑みを浮かべた会長に手首を掴まれて止められた。


 逃れようとするけど階段が近いし万が一にも会長が転げ落ちるようなことがあったら、と考えると本気では振り払えなくてそのまま階段を下らされた。



「ちょっと!」


「武蔵くんは喧嘩最強って聞いてはいるけど、さっきの感じからすると自分から仕掛けたりするような考えなしなタイプのヤンキーじゃないでしょ」


「いや、そもそもヤンキーじゃないっすよ」



 1階に着いたところで足を止めて振り返った会長はニッと笑うと小さく、やっぱりと呟いた。



「無実なら濡れ衣全部振り払う勢いで聖夜くんにアタックしなよ? 遠慮している間に僕に掻っ攫われていっても文句は言えないんだから」



 俺の手を離して前を歩いていく会長の背中は俺なんかのよりずっとでかくて、本当に全力でいかなければ敵わないことがひしひしと伝わってくる。



「掻っ攫わないんすか?」



 俺の言葉に足を止めた会長は深くため息を吐くと振り返って俺をビシッと指さした。



「聖夜くんはそれを望んでいない。彼は本気で僕たちに向き合おうとしてくれているんだよ。その気持ちに報いたいと思うのは間違っているかな?」



 その視線の鋭さに何も言えずに押し黙ってしまった俺を見てふっと表情を緩めた会長は、俺の方に戻ってきた。



「俺は中学生のころ、最低ことをしたことがあるから。武蔵くんに偉そうな口を叩けるような資格はないんだけどね」



 そう言いながら俺の頭を雑に撫でた会長を見下ろしたけど、その表情は一切変わらず笑みを湛えていた。どんな過去を抱えて生きているのかは分からないけど、助けになれないかと思ってしまった心を押し潰して歩き始めた。



「行きますよ」


「ふふっ、そうだね」



 後ろから追い抜いていったその背中を追いかけて隣に並ぶと、肩を並べて別棟に向かう渡り廊下を歩く。ちらりと左を見ると育ちの良さそうな艶やかな黒髪がふわふわと揺れて、音程のぐちゃぐちゃなさんぽのメロディーが小さく響く。遠くから俺たちに向けられる熱視線と冷ややかな視線をひしひしと感じながら、別棟の入口をくぐった。


 吉良くんがいる教室がある2階を目指して階段を上がると、教室は空っぽで誰もいない。小窓から中を覗いて時間割を確認すると、ちょうど体育に行っているらしい。



「着替え終わるまで帰って来ないかもね」


「連絡は? してあるんすか?」


「一応ね。朝のうちに迎えに行くとは伝えておいたよ」



 1度は聞き流しかけたけど、朝のうちにという言葉に引っかかった。



「会長って吉良くんの連絡先は知ってるんすか?」


「いや、知らないよ」



 ドア横の壁に寄りかかりながら言う姿が無駄に絵になっていてむかつく。日が高く昇ってあまり光が入ってこない廊下でも黒光りする黒髪も自分にはないものだから、むかつく。



「てことは、朝吉良くんと会ったんすか」


「うん。2人で登校したよ。手も繋いだし、ああ、抱きしめたりもしたね」



 ニヤリと口の端を上げた会長。すげえむかつく。



「めっちゃ煽るじゃないっすか。ってか、あんなこと言ってたわりにめちゃくちゃ抜け駆けしてません?」


「やだなあ、たまたま電車の時間が一緒だっただけだよ」


「マジでたまたまなんすか? それに、煽ったことは否定しないんすね」



 しれっと視線を逸らしてまた音程のぐちゃぐちゃな口笛を吹いて、何故か校歌を奏でた。その音に反応して、こちらに向く視線が増えた気がして背筋が冷えた。聖夜くんのクラスが無人なだけで隣の2組には人がいるから注目を浴びまくっている。ひそひそ話す声に黄色い声と怯えたような忌み嫌うような声が入り混じって聞こえて気分が悪い。でもそれも当然だ。会長は全校生徒に認知されて人気もある人で、片や俺は悪名高いヤンキーもどき。グッと噛みしめた奥歯が痛い。



「粋先輩! と、鬼頭さん?」



 パタパタと足音を立てて階段を上がってきた聖夜くんは会長を見てから俺に視線を移すと、俺がいるとは思わなかったと言わんばかりに驚いた。それから嬉しそうに笑って会長に視線を向けると慌てた様子でロッカーを開けてお弁当箱を取り出した。鍵をかけ直して立ち上がった聖夜くんは3階に上がる階段を2段上って、俺たちを手招きした。



「3階は人も来ないし静かですよ。あ、教室に戻るのに遠いですかね?」



 上に立っているのに上目遣いになって小首を傾げた聖夜くんの可愛さに呆気にとられる。



「構わないよ。僕たちもせっかくこっちに来たし、普段行かないところには行ってみたいな。ね、武蔵くん?」


「え、あ、はい」



 会長に背中を押されて聖夜くんの後ろから3階に上がると、左奥の部屋に入った聖夜くんは端に積まれた机と椅子のうち1セットを引っ張り出した。俺と会長もそれぞれ1セットずつ引っ張り出すと、聖夜くんを正面に、2人並んで席を配置した。



「なんで会長の横なんすか」


「僕だって聖夜くんを正面から見たいから。誘ってあげたんだから文句言わないの。今日1日僕だけが聖夜くんを独占しても良かったんだよ?」


「また煽る」



 はあ、とため息を吐いた俺を見ながらクスクスと笑った聖夜くんは視線を逸らすと会長に微笑みかけた。



「粋先輩、鬼頭さんを誘ってくれてありがとうございました。ボクは鬼頭さんのことももっと知りたかったので」



 はにかむ笑顔に、会長の言っていた通りだと痛感してまた勝手に悔しくなる。それに、さっきから結局最後には会長を見るのが悔しい。


 会長の言う通りもっと積極的にアタックしないと。俺は会長と違ってイメージも悪いだろうし、登下校の方向も真逆で一緒にいる時間を簡単には取れない。そんな俺が会長に勝つためにはまず少しずつ距離を縮めていって、吉良くんが俺のことを、俺が吉良くんのことをもっと知るための時間を積極的に作らないと。



「吉良くん」


「うん? どうしたの?」


「聖夜って、呼んでもいいか?」



 俺の言葉にキョトンとした吉良くんは、考え込むように眉間に皺を寄せ、ようとしているのか眉間をただ盛り上がらせた。ぷにぷにしていそうで触れたい欲が膨らむ。邪な気持ちを振り払う俺をよそに明るい顔になった吉良くんはうんうん、と頷いた。



「じゃあ、ボクは鬼頭くんって呼ばせてもらおうかな?」


「……武蔵でも、いいけど」



 俺が小さく言うと、頬を赤くした聖夜は俯いた。



「それは、ちょっと、恥ずかしい……」



 顔はあまり上げないまま視線だけ上げたその仕草も顔も存在自体も愛おしいことを初めて知った。



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