タケルの話

和響

本を買う

 タケルは本屋に向かって歩いていた。風は冷たく時々突風が吹いてくる。伊吹おろし。この辺じゃ小学校の校歌にも出てくるくらい有名な風の名だ。でもタケルはこの風に名前がついていることを知らない。校歌を歌ったことなどないからだ。


 コートを引き剥がすくらいの強風はタケルの髪の毛をボサボサにし、さらには行手を拒むように圧をかけてくる。それでもタケルは負けじと足を踏み進め、本屋に向かい確実に一歩一歩近づいている。


 目的地の本屋は幹線道路沿いにある。ビデオレンタル店と横並びになったこの本屋は地元の人に愛された古い本屋で、明日閉店してしまう。


「大渕堂がなくなったらどこで本を買えばいいんだよ」

「そんなの簡単じゃん。ネットだよ」


 タケルの家にはネットがない。学校に行けばタブレットでインターネットが使える。でも、ネットがあるかないかの問題じゃなく、タケルは『大渕堂』で本を買うのが好きだった。お母さんのしている仕事を手伝ってお駄賃にもらう数十円。それを貯めて、それを握りしめて本を買いに行く。本棚に並んだ文庫本の背表紙。そこに書かれた文字をみて、「これだ!」と、思うものを買って読む。


 読む。読む。読む?

 細かくて難しい漢字がいっぱい並んだ文庫本。

 買ってきた文庫本を読みながらタケルは毎回小首を捻る。

 お話の内容は正直言って分からない。


 でもそれでもタケルは気にしない。だって、いつか読める日がくると知っているから。そして、その内容を理解できることも知っているから。だからタケルは『大渕堂』で、「ピン!」と、アンテナが動く本を買う。


「大渕堂がなくなったら困るよな」


 タケルの目から涙が溢れた。それを風が吹き飛ばしていく。何度かそれを繰り返し、タケルは決めた。踵を返す。向かい風は追い風となりタケルの背中を押している。家に帰り全財産を握りしめ、大渕堂へ。タケルは今日、国語辞典を買った。




 完




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タケルの話 和響 @kazuchiai

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