fairy tale 1:不思議な本屋

紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中

雨宿りした場所は不思議なお店でした

「めずらしいな」


 空が癇癪を起こしたみたいに、土砂降りの雨の日だった。慌てて駆け込んだ軒下で雨宿りしていると、不意に背後から低い男の声がした。

 びっくりして振り返ると、貸店舗だったはずの建物のドアを開けて、ひとりの男がこちらを見つめていた。無精に伸びた長い前髪とまばらに生えた髭が、少しだけ野暮ったい。おまけに黒縁の眼鏡も相まって、男の胡散臭さがより際立っているようだ。

 猫背なのか、それとも背がそんなに高くない私を見下ろしているからなのか。を感じさせる大きな体がのし掛かってくるような、そんな威圧感がびしびしと伝わってくる。


「あ、あの……勝手に雨宿りしちゃってすみません。貸店舗だと思って」

「そりゃそうだ。元々、ここは閉じているから」

「え?」

「お前がそこにいると時空が歪む。雨宿りなら中でしてくれ」


 どうやらこの店の店主なのだろう。店先で雨宿りされると迷惑だとも言われた気がして、私は彼の言う通り店内へお邪魔することにした。

 一歩中に入ると、ふわっと本の匂いがした。奥行きのある店内に、アンティーク調の本棚がいくつか置かれている。外からはわかりづらかったが……というより貸店舗だと思っていた場所はたぶん、本屋だ。

 なぜ「たぶん」なのかは、その内装が中世のお城にあるような図書館みたいだったからだ。行ったことも見たこともないけど、たぶん想像はそんなに違わない気がする。豪華に見える何かしらの模様が彫られた本棚の向こうから、今にもお姫様が現れてきそうだ。


「雨が止むまでいていいが、一番奥の本棚には近付くな」

「わかりました」


 指摘された本棚は、何となく薄暗い気がする。近付く気もなかったので、とりあえず一番手前の本棚を眺めてみることにした。

 並べられた本は、どうやらすべて古本のようだ。背表紙を見てみると、日本語で書かれたものもあれば、読めない文字のものもある。興味本位で一冊抜き取ってみると、表紙絵にはエプロンドレスを着た少女と、懐中時計を手にしたうさぎの絵が描かれていた。


「不思議の国のアリス?」


 パラパラとページを捲ると、見覚えのある挿絵が目に飛び込んできた。帽子屋、芋虫、トランプ兵。子供の頃に読んだ絵本の記憶がよみがえり、つい夢中でページを開いていくと、独特の笑みを浮かべるチェシャ猫が現れた。

 子供の頃はこの猫が何だか怖かったなと、そう思った瞬間――挿絵のチェシャ猫が瞬きをして、歪んだ口角を更に大きく釣り上げた。


「えっ!?」


 びっくりして本を落とした拍子に、視界が暗転する。そして。


「あぁ、忙しい! 忙しい!」


 次に目に映ったのは、懐中時計を手に走っていく一匹の白うさぎの姿だった。


 意識はこれ以上ないくらい驚いているのがわかるのに、体がまったく自分の意思で動かせない。さっきまで本屋にいたはずなのに、あり得ない現状に驚くことも考える時間もなく、私の体は白うさぎを追って走り出してしまった。

 そして想像と違わず、目の前に現れたうさぎ穴に頭を突っ込んで――。


 落ちる――と、思った瞬間、今度はくんっと体が上に引っ張られるような感覚に目を見開いた。


「あっぶね……っ。そういやお前、共鳴しやすいタチだったな」


 気が付くと、私は床に座り込んでしまっていた。本を読んでいるうちに倒れてしまったのだろうか。抱き起こしてくれた店主の男性の顔が思った以上に近くて、ちょっとだけ違う意味で鼓動がうるさい。


「私……うさぎ穴に落ちて……」

「あぁ、そうだな。お前、さっきまでアリスだったからな」

「アリスって……、あのアリス? ですか?」


 一応年上っぽいので、慌てて敬語を付け足した。けれど男性はたいして気にも留めていない風で……というより、それ以上に不可解なことが起こっているので、この際口調は問題ではないような気がする。


「ここにある本は、読めばその本の内容を体験できるように作られてるんだ。普通は人間以外にしか効かないんだが……お前はちょっと、こっち側に近いらしくてな。それで一瞬、本の世界に入り込んじまった」

「えぇと……言いたいことはわかりましたが、頭の理解が追いつきません」

「だろうな」


 そう言って、彼は長い前髪をわしわしっと掻きむしった。それから私をゆっくりと立たせてくれる。最初は胡散臭くて少し怖い印象だったけど、意外と気を遣ってくれる優しいところもあるようだ。


「雨、止んだみたいだ」


 窓の外を見れば、さっきまでの雨が嘘のように、うっすらと日が差し込んでいる。


「もう帰れ。無理してこっち側を理解する必要もないだろ」


 開かれた扉の向こう、流れ込んでくるのは雨に湿った空気なのに、なぜかとても新鮮な匂いに感じてしまう。これがいわゆる「世界」の違いなのだろうか。

 何となく後ろ髪を引かれる思いで振り返ると、困ったように彼がまた前髪を掻きむしった。


「何だよ。まだ何かあるのか?」

「名前……は」

「もう会うこともねぇのに、なんで名乗りなんか……」

「あ、えぇと……お店の名前を聞こうと思ったんですけど……その、何かごめんなさい」


 みるみるうちに彼の耳が赤くなっていくので、とても悪いことをしてしまったような気がして、慌てて頭をさげてしまった。


「違うんです! その、何て言うか……不思議なお店だったので……せめて名前でもと。……あっ、も、もちろんお兄さんのお名前も……ふがっ!」


 顔に何かを押し付けられて、言葉が不自然に途切れてしまった。はらりと落ちる前に受け止めれば、それは一枚のショップカードで。


「わかったら、とっとと帰れ。もう来んな!」

「あっ! お兄さんの名前は……」

「知らん!」


 言葉を被せるようにして、バタンッ!と扉が閉められる。雨上がりの日差しに照らされて一瞬だけ反射した扉は、瞬きする間もなく空気に溶けるように色をなくして――そして完全にそこから消え失せてしまった。


「……夢? ……ううん、夢じゃない」


 何より、手元に一枚のショップカードがある。

 開いた本の上に、羽を広げて飛ぶ妖精の絵が描かれたカードには、流れるように美しい字で、こう書かれていた。


「”fairy tale”」


 雨宿りの間、ほんの束の間に見た世界は、店名のように現実離れしたおとぎ話のようなひとときだった。


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