2-3

 ヘンリエッタの言葉を聞いたダンテが、深い溜息を吐き出した。

 表情を読むまでもなく、関わりたくないという感情がありありと浮かぶ顔をしている。


 ダンテがセオフィラスを苦手としていることはわかっている。

 正直に言えば、ヴィクトリアとて好き好んで積極的にセオフィラスに関わりたいとは思わない。

 そもそもセオフィラスと積極的に関わりたがる人間など、その容姿と諸々に騙された頭の緩い花畑女か、危機管理能力が著しく減退している者、そうでなければご同類ぐらいだろう。


「まあ、その状況であれば、セオフィラスがやったかやらせたかしたんだろうな」


 セオフィラスがそこにいて、そこで人が死んだのなら十中八九、犯人はセオフィラス・キャロルだ。

 根拠や証拠など必要ないし、この際実際に手を下したかどうかも問題ではない。

 ダンテの言葉通り、どちらにせよやったかやらせたかしたのだろう。うっかり殺人現場に遭遇してしまった、なんてそんな可愛げのある人物ではないのだから。


「ええ、間違いないかと」


 咄嗟にヘンリエッタはこの毒針を拝借してきたが、こんなものでは公の証拠にはならないし、するわけにもいかない。

 ただ、事実を確認するため、ヴィクトリアの思考にとっては役に立った。この毒針と状況が示している事実。犯人は間違いなくセオフィラスである。


「そうするとあとは証拠か自供か。証拠、としてはちょっと足りないだろうな。自供……セオフィラスが自供……? 無理じゃないか?」


 がんばって考えたダンテの言う通りである。自供はあり得ない。

 皿に並ぶヤマネの型のクッキーが自立し走り出すことを期待する方が、まだいくらか可能性を感じられる。


 例えそれが白昼堂々衆人環視の中での殺人事件だったとしても、自らの不利益になると思えば絶対認めないし、また認めないでも許される状況を作り上げる、セオフィラス・キャロルはそういう人間である。

 真っ当に相手をするのは危険だし、敵対はすべきではない。敵対などしたところで無駄な上、命がいつくあっても足りないだろう。

 彼を弾劾したところで、得られるのは身の危険だけだ。


「セオフィラスを弾劾する気はありません。それに……」


 ヴィクトリアは、ほんの一瞬、ちらりと従兄の顔を見た。


「それに?」


 ダンテは、この生き馬の目を抜くような貴族社会において、珍しく真っ当な思考を持つ人間である。

 ドッドソン侯爵が戯れに手を出して孕ませた使用人の子ども。一応ドッドソンを名乗り侯爵家の一員として認められてはいるが、唯一親身であった母親は早くに失くし、家の中では肩身の狭い思いをし、心情的には決して恵まれた幼少期ではなかった。

 それでも歪まず、真っ直ぐに在るのは生来の性格なのだと思う。


 だから、というわけではないが、ヴィクトリアはとりあえず今はまだ口を噤んでいることにした。


「……いえ、何でもありません。とにかく、色々と準備をしなければ。侯爵のおかげで色々と予定が狂ってしまいました」


 ほんの少しの皮肉を混ぜたヴィクトリアは、しかしすぐに思い直した。


「失礼。あなたの父君ですね。配慮に欠けた物言いでした。ごめんなさい」


 しかしダンテは初めて気付いたように何度か瞬きをして、苦笑した。


「ああ、気にするな。いいんだ。実際父親という意識なんてないし、死んだからって特に何も思わない。ここ数年は遠目から見かけるぐらいしかしてないし、向こうも使用人の子どもが血を分けた息子なんて事実は忌々しいぐらいにしか思ってなかっただろ。最後に直接言葉を交わしたのがいつだったのかすら覚えてないぐらいだ」


 ダンテは何でもないことにそう言って、お茶を飲んだ。彼の傍らに控える初老の執事の表情に僅かに過った哀情。ヴィクトリアはそれには気付かない振りをする。


 その言葉の通り、なのかもしれない。

 確かにそうなんだろう。ドッドソン侯爵にとってのダンテは。

 侯爵は結局ただの一度も、息子への情を示すことはなかったのだろう。

 本当に、何から何まで腹立たしい。


 ダンテは、今となってはもう、本当に何も感じていないのかもしれない。例えそれが実の父親の死であっても。

 それらしいことを何も感じなくなってしまったのだろうと、思う。

 でも、その心情に至るまでをヴィクトリアは知っている。父親に認められたくて、振り向いてもらいたくて、当たり前に与えられるべき情を求めた少年を知っている。

 大きな目を潤ませながら勉学に励んだかつてのダンテを。


「むしろ、俺は君のことが心配だヴィクトリア」


 かつての少年は、父親に認められたくて、寂しさを紛らわせるように剣を振るった。

 騎士の中でもほんの一握り、近衛という位を与えらるまでとなってなお、決して父親に認められることは無いのだと思い知るまで。

 認められないからこその、特別な存在だったはずだ。

 ここに至るまでには諦めがあった。諦める何かが、かつては間違いなく存在していたのだ。


 今はもう、血縁があるだけの他人。かつて拠り所としたいと望んで、そうはなり得なかったもの。

 ダンテが持つ騎士道も、博愛精神も、自身の父親に向かうことは決してない。

 あの人は、そんな情を向けることすら許さなかった。そんなことすら、この従兄には与えてやらなかった。


「……心配には及びません。私には、やるべきことがありますから」


 愛してくれた父と母がいたヴィクトリアでは、理解できない気持ちがきっとある。

 だったらその逆も、あるのかもしれない。

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