2-4

 ドッドソン侯爵の屋敷を出たヴィクトリアは、次の目的地へと向かうために馬車に揺られていた。


「で、なんでついて来たんですか?」


 その馬車の中。向かいに座るのは、先ほどまで着崩していた喪服をきっちり着込んだ従兄である。


「急に非番にされて暇だったんだよ。ちょうど散歩でも行こうと思ってたんだ」


 そう答えつつも、ダンテの泳いだ目が窓の外へと逸らされた。その言葉を、ヴィクトリアは無感動に繰り返す。


「散歩」


「そう、散歩。それに、マクミラン商会を相手取るなら用心するに越したことはない。商会に行くんだろ?」


「まあ、そうですが、先程も言った通り相手取る気はありませんよ」


「……邪魔なら戻るけど」


 ヴィクトリアが重ねて言うと、その口調がほんの少し、拗ねたようになった。

 守らせて欲しい、そう暗に告げてくるダンテにヴィクトリアは内心苦笑するしかない。

 今は御者替わりをしているヘンリエッタもいるし、そもそも荒事に向かっているわけでもなく、護衛は足りている。


 そう突っ撥ねることは容易い。

 でも。ここで「帰れ」と言ったら、この従兄はきっと捨てられて傷付いた子どものような顔をするに違いない。

 ダンテにそんな顔は似合わないし、して欲しいとも思わない。


「いいえ、感謝します」


 ヴィクトリアの言葉に満足そうな顔をしたダンテは、照れ隠しらしい咳ばらいをして、下手な話題転換をした。


「そういえば、旅行はどうだったんだ。帝国まで行ったんだろ。なんだっけ、あの偏屈爺さん」


「ナイト教授です」


 この国に隣接する帝国、その帝国では研究や学問が盛んである。

 その帝国で規模の大きな研究会があることを知り、ヘンリエッタを伴い国境を越えて出向いたのが先月のことだ。

 せっかくだからと色々と用事を済ませてきたが、まあ旅行と言っても差支えはない。最大の目的であったナイト教授の特別講演については完全にヴィクトリア自身の趣味によるものである。道楽、と言い換えてもいい。


 ナイト教授は帝国の重鎮でもあり、研究者でもありその他様々な肩書を持つ一風変わった老人である。国の内外にコネクションを持ち、あらゆる意味で高名な人物である。

 何よりその知識の深さと洞察力、明瞭な思考、そして世界中を飛び回る活力と飽くなき好奇心が多くの者から支持されている。

 帝国内外からたくさんの人物が、その特別講演を拝聴しに集まった。


 幸運なことにナイト教授と既知の間柄でもあるヴィクトリアは、同行して顔を合わせることの多いヘンリエッタ共々、孫のように可愛がって貰っている。

 と同時に、人を紹介してもらったり、口を利いてもらったり、教授には色々と世話になっているのだ。

 ちなみにわりと偏屈な人物ではあるため、一度偶然もあって引き合わせたダンテは見事に無視されていた。教授にとって、ダンテは少々面白みが足りないらしい。


「なんか講演を聞きに行ったんだろ? 楽しめたのか?」


「ええ! もちろんです! 今回もとても面白いお話を聞かせていただきました。ダンテはモルフォ蝶を知っていますか? 美しい青い羽根を持つ蝶なのですが、この蝶はその羽根自体が青いわけではないのです。色素ではない別の要素で青く見えている、という状態なのですが、この青い色というのが光によるもので、本来青いわけではないものが青く見える、という現象があるということが………………すみません、失礼。喋り過ぎました」


 前のめりで早口でまくし立てかけたヴィクトリアに、ダンテが苦笑する。


「……あ、いや、いいけど……そうか、あの爺さん虫の研究までしてるのか」


「この世界の全てが、興味深い研究対象だと、そのように仰られていました」


 ヴィクトリアがナイト教授を初めて知ったのは、その著書でだ。

 父親の蔵書にあった一冊、風土の違いによる文化形成について書かれていたその本を、幼いヴィクトリアはとても気に入っていた。

 子どものヴィクトリアには少し難しい部分もあったが、時間をかけて丁寧に読み込んだ。世界中の色々な国の風土の違いと、異なる文化。色々な角度から考察され、時にユーモラスを交え、イラストと共に紹介されており、夢中になって読み耽った。


 ナイト教授の著書は、およそ三年に一冊程度の間隔で刊行される。

 空に浮かぶ星について書かれたもの、世界中を移動して回る渡り鳥について書かれたものなど多岐に渡る。そのどれもがとても面白く、興味深く、新しい著書が出る度に何度も繰り返し読み込んで、その感想を何枚もの便箋にしたためて、当時は見ず知らずだったナイト教授本人宛に送り付けた。


 最終的には新刊でない著書でも読み返すたびに、感じ入った部分を記し、更新された感想をしたためて手紙を送っていた。恐らく、各月ぐらいの頻度で。


 珍しくこの国で行われる学会に参加すると聞いて、父に強請って聴講したのがちょうど五年前。熱心な幼い読者を、ナイト教授も記憶にとどめていたらしい。

 とても歓迎され、食事に招待され、たくさん話をしてもらった。以来の付き合いである。


 世界中を飛び回るナイト教授は多忙を極め、そうそう直接会うことはできないものの、何度かリデル伯爵領の屋敷を訪れてくれたこともある。家族ぐるみの付き合いと言えるだろう。


「ナイト教授と今回も色々とお話できて、おかげさまで実りある旅に…………でも、その間にお父様は急逝され、混乱に乗じて当家で手掛けていた事業は買収され、爵位も私が不在だったせいで王家預かりに……」


 ヴィクトリアの顔は無表情のまま。でも、その声音が僅かに震えてしまうのは堪えられなかった。


 馬車の小さな窓の外には、賑やかな王都の街並みが広がっている。

 父が愛したリデル伯爵領のどこまでも広がる草原と、青い海と、それらが描く稜線はここからでは望めない。

 田舎と誹られることは多いあの地を、それでも父が愛していたことを、ヴィクトリアは知っている。


「看取ることも、できませんでした」


「ヴィクトリア……」


 ぽつりとこぼしたヴィクトリアのその言葉に、ダンテが分かりやすく表情を歪めた。

 ダンテの手が、黒衣の肩に伸びる。


「着きましたが?」


 その手がヴィクトリアに触れるより早く、いつの間にか停止していた馬車の扉が開かれ、ヘンリエッタの凍て付く視線がダンテの不埒な手を刺し貫いた。

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