7-4

 テーブルの下で、いつの間にか握り締めていた黒いドレスを掌でひと撫でした。

 まだ油断はできないが、ひとつの大きな山場を越えた。


「では、もうひとつ。この事件の首謀者を詳らかにし、証拠ないし自白を引き出す、について」


「ああ、その前に」


 王太子が声を上げ、ヴィクトリアの言葉を遮った。その視線が、ひたすらに気配を消していたダンテを見る。


「そこの近衛騎士。近衛騎士だな。見覚えがある」


 騎士として呼ばれたらしいダンテは、明らかに考えるより早く、恐らく身体に染みついた条件反射で立ち上がり背筋をぴんと伸ばした。


「は! ダンテ・ドッドソンであります!」


「煩いのは好かんのでな。帯剣を許す」


「は! ……はい?」


 王太子の合図で、宮廷に仕える従僕が鞘に収まった長剣を携えダンテの前に立った。跪いて差し出されたそれに、ダンテが戸惑いつつも手を伸ばす。やはり条件反射的に半ばまで抜いて改めた刃は、窓から差す陽光を反射し鋭利な輝きを放った。


「ちょっとその辺りで立ってろ」


「は、はい!」


 王太子がダンテに示したのは、顔色を悪くしている副社長の斜め後ろ辺り。

 背後に凶器を手にした者に立たれた副社長が、恐怖に慄いたのが分かった。


「以降、この場において私の許可なく発言した者は即刻斬り捨てろ」


「は、は?」


「聞こえなかったのか?」


「いえ! 失礼いたしました! ご命令、承知いたしました!」


 フロックコートを脱いだダンテに、従僕が剣を吊るすためのベルトを差し出した。

 姿勢を正したダンテが、佩いた剣の柄に利腕である右手を置く。抜剣したその一閃で副社長の首が飛ぶ、そんな距離感。

 それを確認した王太子がヴィクトリアに先を促した。


「いいぞ。続けろ」


「では、遠慮なく」


 発言を封じられた副社長が、蒼白な顔で小さく震えている。ヴィクトリアはその様子を一瞥するに止め、王太子を真っすぐに見た。


 ひと月前のあの夜と同じだ。整った相貌に薄っすらと冷えた笑み未満の表情を貼り付け、威圧感と威光とを備えるこの国の王太子。

 そこに坐すリチャード・テニエルを見据えたヴィクトリア・リデルの声は、静まり返ったティールームによく響いた。


「事件の首謀者は、そこにいるマクミラン商会の副社長であるこの方です」 


 ヴィクトリアの言葉に、副社長は一瞬呆けたような表情をした。


「なっ……!」


 数秒かけて言葉を呑み込んだらしい副社長ではあったが、勢いよく立ち上がったそれに合わせ背後に立つダンテの手元、剣が鞘から浮いた音を立てる。


「ダンテ・ドッドソン。私の許可なく席を立つ者も斬り捨てろ」


「かしこまりました」


 副社長は大量の脂汗を垂らしながら、それでも大人しく座り込んだ。まるで崩れ落ちるように。

 ヴィクトリアはその姿を横目に納め、つらつらと淀みなく話し続けた。 


「彼はドッドソン侯爵と共謀し、マクミラン商会の乗っ取りを企んでいました。しかし副社長が手に入れたヴァンホー商会、その扱いを巡って侯爵と仲間割れを起こし最終的には殺害に至りました。不敵にも王太子殿下の主催する夜会にて人を使い、毒殺を決行。そして口封じに下手人すらも殺害」


 副社長は千切れるのではないかと思うぐらい首を横に振っているが、それを見せるべき相手、王太子は少しも副社長を見ていない。


「なるほど。恐ろしい事件だな」


 縋るような視線を向けられたセオフィラスは、まるで副社長とは別の次元に身を置いているかのように、場にはそぐわない穏やかかつ優雅な空気を振り撒き、ベリーのジャムを乗せたスコーンを片手に紅茶を楽しんでいる。


「それで、自白させるのか? それとも証拠が?」


 副社長を気にかける者などこの場にはいない。王太子の言葉にそれを痛感したらしい副社長は、深く項垂れ両の掌で顔を覆った。

 その隣で、穏やかで胡散臭い笑みを浮かべたセオフィラスが指先に付いたスコーンの欠片を払いながらカップを置いた。

 カップとソーサーが触れ合うかちゃりという音に、副社長の肩が怯えたように揺れる。


 セオフィラスのその目が、ヴィクトリアを見た。この期に及んでなお、どうしようかと問うている。

 その視線を受けヴィクトリアもセオフィラスを見た。十分差し出した。これ以上渡すものはない、そう瞳で告げる。


「ええ、証拠はございます」


 ヴィクトリアの言葉に、セオフィラスが笑い混じりの溜息を吐いた。仕方ないな、と言わんばかりだが、そう不愉快そうなわけでもない。

 一拍置いて、セオフィラスの片手が上がった。


「セオフィラス・キャロルの発言を許可する」


 王太子の許可を得て、セオフィラスが居住まいを正した。


「ありがとうございます。証拠については私から。私にとっても商会と親族に関わる大事。ゆえにかねてよりヴィクトリア・リデルと協力して探っておりました」


「!?」


 副社長が最高顧問のすました横顔を見開いた目で凝視した。信じ難いものを目にし、信じがたい言葉を聞いた。そう雄弁に語るその表情、その口元は最早声を出すこともできないらしい。


 まあ、そうだろう。

 事実、副社長が毒殺事件において潔白なことぐらい、本人でなくともこの場の皆が知って、理解している。

 なんなら潔白でない者がこの場で、その潔白である副社長を弾劾しようとしているのだ。

 その歪さを、正す者はおろか、指摘する者すらいない。


 このお茶会は、王族と貴族による社交の場である。

 真実など役には立たない。正義などない。求められるのは、揺るぎない真実すらも塗りかえるだけの何かだ。


 ここに来てから色とりどりに顔色を変える副社長の隣で、そちらには一切目もくれず、セオフィラスは懐から次々と手品のように「証拠品」を取り出した。


「下手人と副社長のやり取りの書簡そのいち、そのに。そしてこちらが使用した毒の残り。副社長の私室、机の一番上の引き出しの奥から見つかりました」


 存在するはずのない証拠品をテーブルに並べ、セオフィラスがヴィクトリアに片目をつぶって見せた。


「ありがとうございます」


「他でもない従妹殿の頼みだ。これくらいお安い御用さ」


「この上ない証拠だな」


「ばかな!」


 堪りかねてだろう、叫んで立ちあがった副社長の首元に、即時背後から抜身の剣が音も無く突き付けられた。


「――次はない」


 抜身の刃と同じぐらい鋭いダンテの声が、その挙動を諌めた。


「斬り捨てろと命じたんだがな。まあいい。それで、副社長とやら。発言の許可はせんが、申し開きはあるか? ないな。安心しろ。私は今いつになく気分がいい。温情を大盤振る舞いしてやるから喜べ。よし。もういいぞ。さっさと連れて行け」


 誰が言葉を挟む隙もなく言い切った王太子が軽く手を振れば、副社長は虚脱して呆けたまま扉の外へと連れ出された。


「ヴィクトリア・リデル。見事である。人脈、機転、弁舌、爵位を預かるものとして何よりも必要なものだ」

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