7-3

 これでダメなら最初に言った通り、隣で気配を消している従兄に婚約でもなんでもしてもらうしかない。


 永遠とも思える僅かな時間の沈黙の末に、セオフィラスが顔を伏せ再び肩を揺らした。声もなく笑うその姿を、ヴィクトリアはじっと見つめる。


 そして、セオフィラスが顔を上げた。

 ヴィクトリアの顔をひたと見据えるその表情は、僅かな一瞬、底冷えするような凶暴さを滲ませているような気がした。セオフィラスのその表情に、ヴィクトリアは思わず内心で息を呑む。


「なんてことだ、まさかぼくの大切な従妹殿がそんなにも困っていたなんて」


 セオフィラスが芝居がかった仕草で大仰に天を仰いだ。

 再びヴィクトリアを見るその顔は、いつもの華やかで胡散臭い笑みを浮かべている。


「もちろん、我がキャロル侯爵家が喜んで後見役を引き受けようじゃないか」


 思わず吐きそうになった息を呑み込む。ほっと息を吐くにはまだ早い。

 ヴィクトリアは、あえて淡々と応じた。


「まあ、なんてありがたいお話でしょう………………あら」


 そして、先刻から沈黙している王太子を伺う。


「あら、どうしましょう……王太子殿下が出された条件は確か婚約だったような……わたくしの記憶違いでしょうか。恐れながら王太子殿下、今一度ふたつ目の条件についてお話いただいてもよろしいでしょうか?」


 絶妙な無表情で頬杖を突き、茶番劇じみた寸劇を眺め紅茶を飲んでいた王太子は、無言のまま背後に控えていた従僕にカップを差し出しお代わりを要求している。

 そうしながら、ひと月前の自らの言葉に多少のアレンジを加えた上で、台詞のように諳んじた。


「二に、ヴィクトリア・リデル、お前の婚約者、及びそれに準ずる者、あるいは後継人となり得る者を連れて来てもらおう。いざという時にはお前のスペアとなりうる者、あるいは後継問題を解決する者として。別に隠し子でも構わない」


 つまらなさそうに口にされた台詞には、譲歩という言葉がありありと見えている。

 だが構わない。ひどい茶番劇だがそれでも十分だ。

 断じられた自殺を覆したひと月前に続いて、他でもないこの王太子から譲歩を引き出すことができたのだから。


「感謝いたします。記憶違いがあったようです」


「では王太子殿下、我がキャロル家が年若いリデル伯爵の後見役として盛り立て、また有事の際はその責を全うすることを約束いたします」


「ふん。まあよかろう。では条件の二は解決だな」


 ヴィクトリアが目礼するに合わせ、セオフィラスが姿勢を正し王太子に宣誓をした。そして、王太子が鷹揚に頷く。

 しかし、解決を宣言したはずの王太子は、そのまま言葉を続けた。


「と言いたいところだが。ヴィクトリア・リデル、あまりに口約束が過ぎないか?」


 ですよね。

 まあそうだろう。そろそろ突っ込まれる気はしていた。ヴィクトリアが王太子の立場でも、おそらくこの辺りで一度確認する。

 口約束だけではない、何かの存在を。


 ラトウィッジ海運もナイト教授も、彼らにとっては既知ではない。

 本当にただの令嬢でしかないヴィクトリアに、彼らとの渡りを付けるだけの力はあるのか。

 希望的観測ではないことを示す何か。今提示された口約束に過ぎないものを担保する何か。あるいは約束が反故にされた時に、ヴィクトリアを弾劾するための何か。

 確かに、必要なものだろう。


 ヴィクトリアはとりあえず無言でお茶を飲んだ。

 無視とは取られないぎりぎりの沈黙。悪足掻き以外のなんでもない。いや、ここまで来たら悪足掻きでもなんでもする。


 紳士である王太子もセオフィラスも急かしたりはしない。思わせぶりな沈黙を保ったまま、ヴィクトリアはこくりと喉を鳴らした。


 唇からカップを離したタイミングで、遠くから鐘を打つ音が聴こえてきた。時間を知らす鐘の音が、これ以上引き延ばすことはできないと告げてくる。


「……もちろん、書面のご用意も」


 ヘンリー。


 心の中で従者を呼ぶ。

 書面はある。きっとあるはずだ。

 そしてヘンリーは必ず戻ってくる。ヴィクトリアのために、絶対に。


 そんな思いに応えるかのように、鐘の音に紛れ、いつかのように遠くから近付いてくる喧騒、ではなく今回は足音があった。

 いつもなら決して立てない規則正しい足音が、扉の前でぴたりと止まった。


「――ええ、ございます。もちろん、ございますとも」


 ヴィクトリアはカップを置いた。思わずこぼれた笑みに、王太子が僅かに目を見開いたのは見間違いだったかもしれない。

 扉を控え目にノックする音が小さく響く。


「入れ」


 王太子の許しを得て入室してきたのは、いつも通りお仕着せのエプロンドレスを着たヘンリエッタ。リデル家の従者、もとい侍女は、扉の前で深く腰を落とし頭を下げた。

 ほんの少しの疲弊を感じさせはするものの、常に纏うその平静さを損なってはいない。


 ヘンリエッタは無言のままヴィクトリアに近づき、跪いて手紙を恭しく差し出した。

 その口元が、僅かに持ち上がる。ふわふわの前髪から覗く瞳はどこか得意げなもの。

 差し出された手紙の封蝋は、ラトウィッジ海運が掲げる紋章である。


 全て、ヴィクトリアが思い描いた通りだ。


「ありがとう」


 深く頷き手紙を受け取ったヴィクトリアは、それをそのまま正面のセオフィラスに差し出した。


「失礼いたしました。使用人に忘れ物を取りに行かせていたものですから。セオフィラス、こちらが先ほど申し上げたラトウィッジ海運との会談に関する内容を書状にしたものです。確認を」


 王太子とセオフィラス、二人の視線が手紙の封蝋を捉えた。


 セオフィラスがその長い指で封を開き、文書に目を通す。


『リデル家に代わりヴァンホー商会の舵を取ることになるマクミラン商会最高顧問セオフィラス・キャロル氏と会談を希望したし

双方の展望と発展を見据えた実りある会談になるものと期待している

ただし、貴国で最初に取引をした信用のおけるリデル伯爵の同席を条件として提示するものである

リデル伯爵の同席と会談の実現を切に希望する』


「確かに。君の言っていた内容と相違はない」


 お見事、とセオフィラスが声には出さずに言う。頷いて見せるセオフィラスに応え、王太子が良く通る声でヴィクトリアに告げた。


「いいだろう。条件の二は認める」


「ありがとうございます」


 これで、ひとつ。

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