2.近衛騎士は誠実でヘタレ

2-1

 翌日、喪服を纏ったヴィクトリアは、王都内にあるドッドソン侯爵家の屋敷を一応弔問という体で訪ねた。

 ドッドソン侯爵家の本邸はもちろん侯爵領にあるため、こちらはあくまで王都滞在時に侯爵が一時的に使用するため、という名目の別邸である。


 普段は王都在中で近衛に席を置く騎士でもある末子のダンテ・ドッドソンが屋敷の管理を任されている。

 管理と言っても、非番の日にたまに屋敷に居ることはあれど、ダンテは通常騎士として王宮の敷地内に在る宿舎で寝泊まりしている。屋敷にいるのは数名の使用人のみ、ということがほとんどである。


 だが、さすがに昨日の今日、父親を喪った息子として騎士の職務は数日非番とされたらしい。

 屋敷を訪ねたヴィクトリアは、あくまで一応、喪服を纏ったダンテに応接室で迎えられた。喪に服す黒いシャツに黒いウエストコート。上着もタイもなし。

 ラフな格好で出迎えたダンテと丸テーブルを挟んで座ったヴィクトリアは、出されたお茶が冷めるのを待たずして本題を切り出した。


「ダンテ、私と婚約しませんか」


 ちょうど紅茶を口に含んだところだったダンテが、口からお茶を吹き出した。

 一応咄嗟に横を向くぐらいの配慮はあったため、ヴィクトリアには飛沫ひとつかかることはなかったが、上等な絨毯が濡れてしまった。絨毯自体が濃い色をしているため、染みにはならないだろうことが不幸中の幸いと言えるだろうか。


「は!? ……っいや、は? ちょ、え!? な……!?」


 同齢の幼馴染で従兄でもあるダンテが、最近精悍さを増しつつあるその顔を真っ赤に染め上げているのを横目に、ヴィクトリアは良い香りの紅茶を一口飲んだ。

 さすがドッドソン侯爵家のお茶だ。茶葉も上等。淹れる者の腕も申し分なし。

 脇に控えていたドッドソン家の顔馴染みの執事に「おいしいです」と伝えれば、初老の執事はとっておきだったらしい上等なクッキーも出してくれた。こちらもとてもおいしい。


「ちょっ、ちょっと、落ち着けヴィクトリアなななななななんだって……?」


「落ち着くのはあなたですダンテ。婚約ですよ婚約。それとも結婚の方がいいでしょうか」


「けっ……!? けけけけけけ……!? けっ……きゅ、急に何を言ってるんだ! なんで急にそんな……いや、なんでかはわか、わかるけど……! けけけけけけ、けっこ……」


 怪鳥のように一音を繰り返す従兄は今日もなかなかに面白い。


 その生まれにより、父親であるドッドソン侯爵からはほぼ無視されていた末子のダンテではあるが、一応侯爵家の一員として、昨夜の夜会を訪れる権利を有していた。

 一方、厳密に言えば現時点で爵位のないヴィクトリアは貴族とは言えない。招待状のないヴィクトリアは、ダンテ・ドッドソンの同伴、という形で王宮に潜り込んだのである。

 それ故に、もちろんあの場に居合わせていたダンテも事の顛末は見ていた。

 自分の父親が死んで、ヴィクトリアが難題を吹っ掛けられるところまで全て。本当に、呆けてただ見ていただけだが。


 本来であれば、昨夜のヴィクトリアの目当ては伯父であるドッドソン侯爵との面会だった。

 衆人環視の中であればあまり酷い扱いもできないだろうと踏んで、後は強引にでも爵位返還のための後ろ盾になってもらうつもりだったのである。何と引き換えにしても。

 しかし、その侯爵は死に、結果は随分とおかしなことになってしまった。どこかの誰かが余計過ぎることをしでかしたせいだ。


「無理ならいいです」


 そもそもこんな状態での結婚も婚約も本意ではない。

 幼い頃から親しくしている従兄なら、とかちょっと思ってみただけだ。世間で言うところの適齢期を、お互い過ぎつつあることだし。


「そうは言っ」


 ダンテがピタリと言葉を切って、丸テーブルの上に視線を移動させた。


 テーブルに置いた掌のすぐ横に、小さなナイフが深々と突き刺さっている。あと僅かにずれていたら指が何本か離れていたかもしれない。


「失礼。不愉快な虫がいたような気がしまして」


 無表情でテーブルからナイフを軽々と引き抜いたヘンリエッタが、再びヴィクトリアの背後に戻っていった。音もなく、エプロンドレスの内側にナイフをしまい込みながら。


「……いや、いなかっただろ」


「いますよ。そこにクソみたいな虫野郎が」


 クッキーにたかる害虫を見るような目で主人の求婚を蔑ろにしたクソ虫野郎を見るヘンリエッタに、ダンテは頬を引きつらせた。


「ちょ、ちょっと、待て。別に断ってるわけじゃ……ないし…………無理じゃないっていうか、むしろありがた……いや、違くて。……いや、違くないんだけど……あー、ほら、そのーあれだ……あれ、……えー……ほら、誰でもいいならもういっそヘンリ……エッタでもいいんじゃ、な、いか……とか……?」


 混乱のあまりおかしなことを口走った、とはっきり分かる表情で、ダンテが自らの発言に項垂れた。

 言った瞬間から後悔している様が、ヴィクトリアから見てわりと面白い。「いっそ殺せ」とか思っているのが丸わかりで。


 静かに憤怒の表情を浮かべるヘンリエッタを背にして、言われたヴィクトリアは一応ダンテのその発言を一瞬だけ吟味した。あくまで一瞬だけ。


 王太子に与えられた期間は一月。長いようで短いそのひと月で何を成すべきか、どう動くか。

 特に「婚約者及びそれに準ずる者」については手当たり次第に一晩であらゆる可能性を吟味した。

 ヘンリエッタはもちろん、最近朝食のクロワッサンを焼いてくれる昨年結婚したパン職人や、産まれたばかりのその息子、果ては引退した職人の祖父の可能性まで、手当たり次第に考えた。

 その上で、ダンテに話をしている。だから、ヴィクトリアは首を横に振った。


「ヘンリエッタに、そんなくだらない雑事をさせるわけにはいきません」


「くだらないって……え、俺は?」


 ダンテの呟きに「確かに」と思ったヴィクトリアだったが、何か話がおかしな方へ転びそうな気がしたので、気付かなかったことにした。


 別にダンテとヘンリエッタを比べて、ダンテを軽く見ているわけではない。

 と、思う。


 ヘンリエッタは家族同然だが、ダンテだってヴィクトリアにとって、大切な従兄なのだから。

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