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 まあ、この場まで下手人を連れて来ることができただけでも僥倖と言えるだろう。 


 ドッドソン侯爵が倒れた瞬間、離れた位置に居たにも関わらずヴィクトリアの視線ひとつで意を汲んで給仕をした男を捕らえるために走った侍女、ヘンリエッタのお手柄である。


 音もなくヴィクトリアの傍に寄って来たヘンリエッタは、僅かに無念さを滲ませた無表情で項垂れた様子を見せた。


 下手人のこの男はどちらにせよ長生きはしなかっただろうとは思う。だからこそヘンリエッタを走らせ捕縛を急いだ。

 この間に、既にトップハットの男は姿が見えなくなっている。不気味で嘲笑めいた笑みを残してどこかへ消えた。


「さて、振り出しに戻ったか?」


 王太子が静かに言葉を発し、ヴィクトリアは再び玉座へと向き直った。


 まあ死んでしまったものは仕方がない。

 嘆くほど情を掛けるべき相手とも思わない。

 死体が無暗に増えて楽しい気分になることはないが、この際なんでもいい。生きていてくれた方が何かと都合は良かったが、遅いか早いかの違いしかないのだし、最低限の目的は果たしている。問題は無い。問題になどさせない。


「口封じをされた、というその事実こそが下手人である何よりの証拠かと」


「あくまで黒幕がいる、と主張するわけか。そこの侍女…………侍女?」


 王太子の視線がチラリとヘンリエッタを捕らえる。そして、訝しげに眉根が寄った。当のヘンリエッタはヴィクトリアの背後で、無言のまま顔を伏せ深く膝を折っている。本来であれば王族を始めとした貴人の集まる中で姿を晒すことすら不敬だが、そこは目を瞑ってもらいたいところだ。


「当家の使用人でございます」


 実に微妙な、一瞬の沈黙があったような気がする。


「……まあいい。その者が手を下した可能性諸々については言及しないでおいてやろう」


「感謝します」


 目礼したヴィクトリアを無感動な目で眺めた王太子は、ゆったりとした動作で長い脚を組んだ。玉座に肘をつき、あくまで気だるげに見えるが、依然としてその口元は悦に歪んでいる。


「それなりに面白い見世物だった。それゆえ、特別に訂正してやろう。私の多少の不手際と下手人たるあの男の際立った手腕の結果、ドッドソン侯爵は何者かの思惑により毒殺された。これで満足か?」


 ヴィクトリアも、その赤い唇を笑みの形に変えた。


「恐れ入ります。ですが、満足とは申せません。黒幕を暴き真実をつまびらかにしたいと考えます」


 そのヴィクトリアの挑発的な笑みを、王太子が獰猛さの滲む笑みで受け止めた。


「ほう、真実を」


「ええ。国と王家の忠実なる臣下として、このような出来事と不届きなる者を野放しにはできません」


「よく回る口だな」


「お褒めいただき光栄です」


 ヴィクトリアの言葉に、王太子が喉の奥で笑った。常に倦んだような雰囲気を纏う王太子には珍しいことに、それは誰の目から見ても笑っているように見えた。

 明らかに面白がっている、この状況を。


「まったく、忠臣とは恐れ入る。その忠節に涙が出そうなほどだ。王家としてその忠節に報いないわけにはゆかぬな。よかろう。首尾よく運べば褒美をとらせる。望みはあるか?」


 その言葉を待っていた。

 ヴィクトリアの凛とした声が、高らかに告げる。


「父が亡くなったことで一時返上している爵位の返還を求めます。わたくし、ヴィクトリア・リデルに爵位を」


 恐らく、要求は予期されていたのだろう。王太子は些かも表情を変えないまま疑念を口にした。


「爵位はただの名誉称号とは違う。領地があり領民がいる。理解した上での要求か?」


「もちろんでございます」


 一月ほど前、何の前触れもなくヴィクトリアの父であるリデル伯爵が急死した。

 その後継は唯一の子であるヴィクトリアに定められおり、伯爵の死を持って自動的に爵位はヴィクトリアのものになるはずだったのだ。

 本来ならば、褒美などという名目すら必要としない要求である。


「陛下は爵位がお前の足かせとなり、重荷になるのではと憂いている。年若い女の身で継ぐにはあまりにも重く、辛酸を舐めることになるのではないかと、それは不憫だとな。とはいえ、元より爵位も領地もリデル家のもの。返還はもちろん王家としてもやぶさかでない」


 明らかに、それは女であるヴィクトリアを侮る言葉だ。

 女に爵位が与えられないなどという法はない。ただ、慣例的に女は避けられる傾向にある。理由はただの男性優位社会における思い込みと思考停止によるものだ。

 実にくだらない。ヴィクトリアにとっては侮蔑すべきことでしかない。


 それでも正式に発言を許されたこの多くの耳があるこのような場での発言、要求であればいかな王家とはいえ無視はできないだろう。


「ご配慮には感謝いたします。ですが父の後継がわたくしであることは元より定められていたこと。務めを果たしたいと存じます」


 難癖を付けて返還を渋る王家に対し、ヴィクトリア自らこうして理由と名目までもを用意してやっているのだ。

 とっとと返せ、という雰囲気を黒いドレスの奥に仕舞い込み、ヴィクトリアはそっと目を伏せた。


「ふむ」


 王太子の遠慮も斟酌もない視線がヴィクトリアをひと撫でして、今だ放置されたままのドッドソン侯爵の遺体をちらりと見た。

 王太子の中の天秤が、揺れた。そう、思えた。


 要求を捻り潰される危険性はあった。

 それでも、王太子は今ヴィクトリアに対しそれなりの価値を感じている。言葉を交わす価値、多少なりとも相手にしても良いと、思うだけの面白みを。


「まあ、いいだろう。ただし、後継問題に不安があるのは困る。爵位は世襲。お前の後があまりにも不透明だ」


 王太子の言葉に、ヴィクトリアは目を開いた。上げた顔、視線が僅かに揺らいでしまった。

 それを認めた王太子が淀みなく紡ぐその内容に、ヴィクトリアは内心歯噛みした。


「弟妹もなく、未婚。リデル伯爵が急逝したように、お前がそうならないとは言い切れまい?」


 ずいぶんとよく知っている。王太子がヴィクトリアを認識して言葉を交わすのは初めてである。一貴族のただの令嬢について、王太子ともあろう者が知り過ぎてはいないだろうか。


「なに、難しいことを言うつもりはない」


 そんなヴィクトリアのあくまで多少の、動揺を正しく見て取った王太子は、その場の多くの者に聴こえるよく通る声で告げた。


「そうだな、期限はひと月とする。第一に、事件の首謀者を詳らかにし、その証拠ないし首謀者の自供を引き出してもらう」


 ここまでは想定内。むしろ、ヴィクトリアの狙い通り。


「二に、ヴィクトリア・リデル、お前の婚約者、及びそれに準ずる者を連れて来てもらおう。いざという時にはお前のスペアとなりうる者だ。そういう者がいれば、後継についても当面期待を持てよう。別に隠し子でも構わないが」


 王太子リチャード・テニエルの整った相貌に、はっきりと冷たい笑みが広がった。嘲るような、愉しむような、笑みが。


「その二つを満たせば、その能力を認め忠節に報いリデル伯爵家に爵位を戻し、ヴィクトリア・リデルを伯爵として認める。ついでに王家より婚約の祝いでも贈ろう。異論は?」


 あるに決まっている。


「御座いません」


「最後に、リデル伯爵の件は私もとても残念に思う。王家を代表し哀悼の意をおくる」


 王太子の声が静まり返った大広間に、実に白々しく響いた。

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