この本には……

Sui

……。

「……この小さな個人経営の本屋には、いつもレジ横に茶色のカバーで包装された本が置いてありました。その本にはタイトルも書かれていません。

 私は、会社からの帰り道にこの書店に来ることがささやかな楽しみだったのですが、その年季の入った本はいつも同じ位置に置かれていたのです。

 この本のことです。


 ですがある日、この本がとある客に買われていたのを目撃しました。こんなタイトルも書かれていない本を買うとは物好きだなと、その時はそんな風にしか感じていませんでした。


 ただ数日もしないうちに、私はこの本を買った客を再び店内で見かけたのです。そしてその客はあろうことか、この本を店長に返却していました。店長も店長で、その本の返却に応じるとは、なんとも変わった人であると……。そしてこの本は、再び元あった場所へ置かれました。


 今となっては運命の悪戯のようにも感じますが、その翌日、私は友人に持ちかけられていた投資話が詐欺であったことを知りました。

 ただの友人ではありません。親友です。少なくとも当時の私は親友だと思っていました。そうでもなければ、自分の財産の八割にものぼる金額を渡すことはありません。


 そこからは没落は絵に描いたようでした。妻には見限られ、当然子供と会うことも許されず……。

 唯一の友人と思っていた人間は、そうではないことを知り、会社の業務には身が入らず、気がついたら窓際と思われる部署に異動。


 そんな私が死を望むようになったのも、無理がないと思います。


 そんな憂鬱な日々を過ごしていた時、が再び目に入ったのです。

 私はなんとなく、この本を手に取ろうとしました。

 ですが、その本を手に取ろうとした瞬間、店長が私に言いました。

 『その本は、中身を見ないで買うようにしてください』

 

 その言葉の意味を、今の私なら理解することができます。

 この本には、各人の死に至るまでの回顧録が一ページずつ書いてあったのです。


 私はそれにつられるように書き始めました。

 不思議なことに、この手が止まることはありません。

 私は、こんな形で人生に終止符を打つとは思ってもいませんでした。


 そろそろ、私のページも終わりを迎えそうです。

 

 これまで私に関わってくれた全ての方々へ、感謝申し上げます。

 またこのような私のつまらぬ回顧録を最後まで読んでくれたことを感謝いたします」

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