炎と365日の彼女

ウゾガムゾル

炎と365日の彼女

それは黄金のライターだった。自宅のマンションの一室で、青年が見つめるライターには、一昔前の霊柩車のような、豪華絢爛な装飾が施されていた。


「酔った勢いで、買っちゃったのかな……」


青年の記憶にはないが、昨夜、帰路のどこかで買ってしまったようだった。なにしろ起きたら自分が買いそうもないライター入りの箱が机に置いてあったのだ。青年は訝しんだが、同梱されていた紙を読むと、赤く太い字でこう書かれていた。


「注意 生者には使用しないでください」


どういう意味だろうか。ライターの注意書きとしてはあまりに不自然だ。生者には使用するなということは、死者には使用してよいのだろうか。


何もわからぬまま、朝飯の用意をしにキッチンに向かった。すると、電話が鳴った。母からだった。


「大変、おじいちゃんが……」


それは、あまりに突然な、祖父の訃報だった。祖父は会う機会こそあまりなかったが、家を訪ねるといつも暖かく出迎えてくれ、たらふく食わせてくれたし、遊びにも付き合ってくれた。その祖父が亡くなったと聞き、思ったよりも喪失感があった。


数日後、青年は実家に帰ることになった。親戚一同が集まり、通夜、葬儀、告別式を終え、火葬が終わった。遺骨は四十九日までの間、仮の祭壇に置かれることになった。


祭壇の準備をしていたときだった。青年はろうそくに火をつけようとした。


「ライターってある?」

「ないかも」

「……じゃあ、アレを使うか」


青年は例のライターを取り出し、ろうそくに火を灯した。同時に、母が祭壇に遺影を置こうとした。すると、遺影がバランスを崩して転倒し、火が遺影に燃え移った。


「うわっ!」


母の悲鳴に、何だ何だと親戚が集まってくる。火のついた遺影は畳に落下した。一同はパニックになり、伯父などが消火器を持ってこようとしていた。しかし、火は一向に畳に燃え移る気配はなく、炎もなぜか青白い。


すると、突然遺影から白煙が立ち上った。そしてその煙が散った後、そこには祖父が立っていた。


「お、お父さん?」


真っ先に反応したのは母だった。亡くなったはずの祖父が、なぜかここにいる。一同はしばし驚愕した後、祖父の元に駆け寄った。なんだこれは、生きてるのか、という声が飛び交った。


すると、祖父は辺りを見回してから、口を開いた。


「なんだ、こんな縁起の悪い格好して」祖父はなぜか不機嫌そうだった。


「い、い、いろいろと、話せなかったことが……」


母はただ、祖父が目の前にいるという事実に感激しているようだった。


それから、親戚一同と祖父との宴が始まった。どうやら、祖父は自分が死んだことに気づいていなかったらしい。祖父曰く、「写真を撮られたと思ったらここにいた」というのだ。その写真とは、おそらくさっき燃えた遺影のことだろう。さらに、写真を撮った時点より後の出来事や知識を一切知らなかった。


「そうか、俺は死んだのか……」祖父は悲しそうに笑った。


「でも、こうして生き返ったんです。まだまだ皆と一緒にいてやってくださいな」


祖母はそう言った。


「ああ、そうだな……」


だが、そう言った途端、祖父の姿が薄くなった。


「そうか……やはり、長くはいられないか」何かを察するような祖父。


「あなた!」


祖母が泣きながら駆け寄ったが、祖父は気にせず、青年に対して語りかけた。


「我が孫よ」


「嫌なことがあったら、逃げてもいい。身を守るには必要なことだ」


「でもな、自分からだけは絶対に逃げるな」


「ほんとうの幸せには、自分と向き合うことでしかたどり着けない」


祖父はそう言い残し、消滅した。親戚はみな涙を流した。おそらく祖父が亡くなったときもこんな感じだったのだろう。


「ねえ」


母は青年に向き直った。


「そのライター、もしかして、亡くなった人をよみがえらせる力があるんじゃないの?」


青年はライターを見つめた。あまりに突飛な話だが、さっきの出来事を見たからにはありえない話でもない。


母は、もっと祖父と話がしたいようだった。その話が本当なら、祖父の写真を燃やせば、また会えるかもしれない。そう思い、遺影を印刷しなおそうとした。しかし、その写真のデータはいつの間にか消えていた。


これは、ある種の副作用なのかもしれない。そこで、祖父の別の写真を探した。しかし、祖父は極度の写真嫌いで有名で、祖父の映った写真は他にみあたらなかった。さっき祖父が不機嫌だったのは、写真を撮られたことに対してだったのかもしれない。


「そう……残念」


母は落胆したが、「他にも会いたい人がいる」と言い、別の写真を探しはじめた。その後、しばらくはライターは親戚ひとりひとりに回され、死者を呼び出すことが繰り返された。そこで分かったライターの特性は以下だ。


ひとつ。このライターを使って故人が写った写真を燃やすと、青白い炎を伴って、故人が復活する。


ふたつ。復活した人の姿や記憶は、写真を撮った時点のものになる。


みっつ。復活した故人はちょうど1時間後に写真ごと消滅する。


よっつ。消滅する際、同じ内容の写真は、焼き増しやネガ、デジタルデータに至るまで、すべて同時にこの世から消滅する。


散々玩具にされたが、最終的には持ち主である青年に返された。青年には特に思い当たる人はいなかったので、ライターはしばらく使われなかった。


そして、そんなことも忘れた数年後。青年はいつものように自宅でのんびりと過ごしていた。


青年はミュージシャンになるという夢を持っていたが、そのための努力は特にせず、バイトをしながら生活していたのだ。


しばらくして、青年に彼女ができた。バイト先で出会った、笑顔がすてきな女性だった。彼らは親密になり、すぐに同居を始めた。頻繁にデートに行った。運命の相手だと感じたし、お互いにそう言い合っていた。


ある日、山で登山デートをしていた。少し傾斜が大きいところを登っていた。もうかなり高いところまで来ていて、下を見るとヒヤリとする。その時、彼女が足を滑らせた。青年はすんでのところで彼女の体を支えた。


「た、助かった……ありがとう、死ぬかと思った」


そのとき、青年は身震いした。死の危険は身近にあると感じ、彼女を失うのが恐ろしくなった。


帰宅後、青年はライターの存在を思い出した。タンスからそれを取り出した。これがあれば、たとえ彼女を失ったとしても、復活させられる。でもそのためには、写真がたくさん必要だ。今のうちに、彼女の写真を撮っておかなければ。


青年はカメラを持って彼女の前に現れた。


「写真を始めようと思うんだよね」

「へへ。いいね。でも、音楽はどうしたの?」

「まあ、いいから」

「で? 私に用?」

「実は、君を撮ろうと思ってるんだ」

「え? 無理無理! 私そんな、モデルみたいなのは……」

「別に人に見せるわけじゃないんだし、いいでしょ」

「……分かったよ。誰にも見せないならね」


彼女はしぶしぶ承諾してくれた。それから毎日彼女の写真を撮るのが日課になった。最初は恥ずかしがっていたが、しばらくすると楽しくなったのか、良い服や化粧をして、映るようになった。彼女は「もう公開してもいい」などと言っていたが、青年には公開する気はなかった。


ある夜、彼女はやけに神妙な顔で言った。


「あのさ、これからのことなんだけど」


青年は被せるように答えた。


「あ、ああ。洗い物溜まってるから、洗っとくね」

「あ……そう。わかった。ありがとう」


彼女は感謝の言葉を述べたが、どこか不満げだった。


それでも、青年は毎日楽しかった。自分が生涯をともにする相手は、彼女しかいないとの確信はますます高まっていった。


だが、楽しい日々も長くは続かなかった。やがてすれ違いが多くなり、喧嘩も増えた。特に、青年がいつまでたってもミュージシャンになる努力をせず、定職にもつかないことを責めるようになった。そして、日課だった写真も、もう撮らせてくれなくなった。


ある日、2人は激しい喧嘩をした。


「あなたっていつもそう。もういい、私出ていくから」

「おい、ちょっと待ってくれ……」


青年は独りになった。悲しみにくれ、3日は食事が喉を通らなかった。


3日が経った夜、何気なくタンスを開けると、あのライターが青年の目に入った。


「このライターさえあれば、また会えるかも……」


しかし、これは死者を呼び戻すライターだ。生者に対してライターを使ったことなどない。しかも、「生者に使用してはいけない」と書いてあった。


だが青年は衝動に負け、一番最初に撮った写真を片手に取った。もう一方の手でライターを持ち、回転式のヤスリを擦る。シュッという心地いい音がして、火が付いた。そして、写真をそこにあてがった。青白い炎が上がり、煙が立ち上る。それが少しずつ消えるのと同時に、彼女が現れた。


「……あれ、なんか急に暗くない?」


彼女は、写真を撮ったときのままだった。


「っていうか、どうしたの?」


青年は感激し、彼女に飛びついた。


「もー、急に何?」


やはり、彼女は青年と破局したことを知らなかった。青年はそのことを一切告げず、彼女とのひと時を楽しんだ。1時間後、彼女は消えた。


次の日から、青年は毎日彼女を呼び出した。写真はかれこれ300枚以上あった。日に日に使う量が増えていった。


一週間ほどして、電話が鳴った。電話の主は、彼女の母親だった。


「もしもし」

「もしもし?」

「……伝えるか悩んだけど、言っておくわ。娘が心臓発作で亡くなったの」


青年は目を見開いた。


「一週間前だった。毎日電話してるのに、その日だけ繋がらなくて、おかしいと思ったら、突発性の心臓麻痺だって……」


青年は、言葉を失った。


「じゃあ、そういうことだから」

「……あ、ちょっと……」


気持ちの整理がつかない青年が引き留めようとすると、彼女の母親は、最後に、怒りのこもった震え声で告げた。


「……言ったら悪いけど、あの子を幸せにしてやれなかったあなたを、私は恨んでるから」


そこで電話は切れた。


青年は崩れ落ちた。感情がぐちゃぐちゃになった。


「し、心臓麻痺だって? そんな……一週間前って、もしかして、最初に写真を燃やした日か? それなら、俺のせいか? まさか、生者に使うなって言うのは……」


青年は、罪悪感と喪失感でいっぱいになった。だが、同時に開き直った。


「そうだ。どうせ死んだなら、むしろ都合がいいじゃないか」


青年は、引きこもった。そして、残された300枚の写真をチビチビ使いながら、偽りの日々を送ることに決めた。


自分を騙しながらも、楽しい日々が続いた。1時間しかもたないので、外に遊びに行くのは難しかったが、それでも家の中でボードゲームをしたり、漫画を読んだりして遊んだ。夜は毎日二人でベッドに入った。彼女も、よほど不自然な要求でない限り応じてくれた。


しかし、青年はあることに気がついた。日に日に彼女がそっけなくなっていくような気がしたのだ。ちょうど、あの頃の日々のように。青年を見て、呆れたようにため息をつくことが多くなっていった。青年はそのたびに、心が苦しくなった。


そして、ついに、最後の数枚となった。この頃になると、夜に彼女を呼び出し、一方的に蹂躙するようになっていた。


しかしその日は、彼女は現れるなり、青年から距離を置いた。


「近寄らないで」

「な、なんだよ! お前は、俺の……」

「もういい。出ていく」


彼女はそう言って、玄関に向かった。


「待って……」


玄関前で、青年は無理矢理彼女の肩を掴む。


「どうして、どうしてなんだよ!」


彼女は答えた。


「最初は夢を追ってる人ってかっこいいと思ってた。でもミュージシャンになるために何かしてるところを見たことがなかった」

「私ともそう。これからのことを真剣に話そうとしても、ちゃんと聞いてくれない。あなたは、自分から逃げてるだけ。もうついていけない」


彼女はそう言い残すと、煙とともに消えた。


青年は、発狂した。息を荒らげて、残った写真すべてに火をつけた。だが、彼女の形をした煙がうっすらと現れ、目が見えたかと思うと、青年を睨みつけて、すぐに消えた。


青年は頭を抱え、泣き出した。「自分から逃げてるだけ」、その言葉が胸に突き刺さった。ミュージシャンになる夢から目を背けていること、そして、彼女を失ったこと。


数年前、消滅する寸前の祖父の言葉が、頭をよぎった。


「嫌なことがあったら、逃げてもいい。身を守るには必要なことだ」

「でもな、自分からだけは絶対に逃げるな」

「ほんとうの幸せには、自分と向き合うことでしかたどり着けない」


青年は、自らを省みた。


「そうか、俺は……」


自分の腕が試されて、才能のないのが露呈するのが怖かった。だから何もしないことで、自分の実力を知るのを避け続けていた。


彼女ともだ。俺は本当は結婚を望んでいたのに、いろいろ面倒くさがって、新しい自分になるのが怖くて。だから、そういう話になろうとすると、その場を離れるということを繰り返していたのだ。


俺は、何者かになりたくなかったのだ。


でもそれじゃあ、幸せになれない。祖父が言ってたのは、そういうことだったのかもしれない。


そして、彼女と別れてしまった悲しみから逃げ、さらにその結果、彼女を殺してしまった罪の意識からも逃げた。


もう写真は残っていない。自分から逃げたことで自分が本当に失ったのは、彼女と会うチャンスではない。写真に写された、かけがえのない彼女との思い出だったのだ。


煙だらけの部屋で、青年は激しい後悔と、自責の念に駆られた。その日は、ソファにもたれかかったまま、その場で眠りに落ちた。


翌朝、青年は、自室の床で一人目覚めた。朝飯の用意をしていると、どこからともなく、1枚だけひらりと写真が落ちた。それは、最初に彼女を撮ったときの写真だった。青年はそれをポケットに入れた。


楽器屋に向かい、掲示板に、「バンドメンバー募集」と書かれたポスターを張り出した。これで、何かが進むかもしれない。何もならないかもしれない。だが、少なくとも何もしない今までよりはマシだと思った。


家に帰り、例のライターを机に出した。青年は、少し迷ってから、ガスを抜いた。もう火がつかないことを確認してから、箱に詰めた。そして、ひとつだけ残っていた彼女の写真とともに、タンスの奥深くに、丁寧に仕舞った。

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