第41話 Love of the family(家族愛)

「お母様は、聡明だった」


 鋭い刻み 突きジャブを放ちながら、アリスの声で八咫が言った。


「お母様……天照様ですね。現在万能ナノマシンの浸透率、50%到達。続けますか?」

「当然」

「承知致しました」


 風船が弾けるような音とともに、部屋の天井から吊り下げられたサンドバッグが揺れる。格闘技の経験者が聞けば一度で惚れ込むような鮮やかな連撃を文字通り機械的に叩き込み、コンマ何秒の指示の遅れを消していく。

 勿論浸透が進めば進むほどアリスの脳には不可逆なダメージが蓄積していくが、壊しすぎないラインが維持されていれば、機械である八咫に容赦は無い。

 壊しすぎなければ、何をしても問題ない……それが、人間を扱う上での八咫の価値観だった。


「お母様は……」

「八咫様」

「何?」

「脱水の症状が見られます。直ちに水分を補給し、最低でも今から一時間休息を取ることを進言します」

「……ちっ。出して」

「こちらに」


 ペットボトルの茶を渡された八咫は上着を脱ぎ、サラシを巻いた以外は裸の上半身に、頭から中身を被る。すると当然のようにぼたぼたと日本茶が滴って、


「あれ? あっ」


 行動を間違えたことに気がついた。


「八咫様。体表を冷ます効果はありますが、脱水症状は体内の水分が……」

「分かってる! 黙れ!」

「はい」


 改めて受け取ったペットボトルの茶を飲み干して椅子にどかっ、と座る。そのまま冷やした白いタオルを顔面に引っ掛けて、


「お母様は、聡明だった」


 繰り返した。


「聡明、ですか」

「そう。私を生み出した後、戦いに向かう私にあらゆるデータをくれた。この『慣らし』もそう。シミュレーションではあるけれど、私はお母様に勝ったためしがない」

「……」


 黒いセバスチャンは言葉を返さなかったが、その言葉だけで天照の性能の高さは理解することができた。

 そもそも生命体の実力勝負において差が生まれるのは、その固有の能力に『学習能力の差』があるからだ。

 しかしロボットである彼女たちは、学習に手間がかかることはない。インストールさえすればあらゆる知識や運動能力を一度で完璧に覚えられるにもかかわらず一方的に差がつくということは、それはそのまま性能のを指す。


「だから私は、負けない。このまま休息をとって、さらにこの肉体を慣らす。協力して」

「勿論です」


 タオルの裏で目を閉じて、スリープモード――人間で言う睡眠へ移行したアンドロイド。

 その地下で母親の操るロボットと自分の敵が戦っていることは知る由もないまま、八咫は疲れ切ったを椅子に預けたのだった。


 ――そして、その地下。


 ゴッ! と轟音混じりの突風が、神殿のような超巨大貯水槽に吹き荒れる。

 棘のついた鉄球はクッキーのように着弾した壁面や床を易々と破壊して、その破片を散らす。新たな出口を探して必死で走る彦善たちをサポートするのは、細い機械のアームを伸ばす警備ロボット……すなわち、マルスだった。


「ひひ……お前、やっぱり『それ』、いじってたのか……警備ロボットがそんなアームしてないものなぁ……」

「黙りなさい、天照。貴女こそ随分と直接的な妨害をしますね。もし娘たちに直撃しようものなら、これは戦いポリオの重大な妨害では?」

「確かにそうさ……」


 ねばつくような底意地の悪い笑いを含んだ言葉が、鉄球を振り回す音の中に混ざる。鎖部分を警備ロボットのアームが叩くことによってわずかに鉄球の動きがずれているものの、明らかにその鉄球は逃げる彦善たちを直接狙ってはいなかった。


「だから、私が狙ってるのはお前だよマルス……ついうっかり外してしまうかもしれないけど、それは仕方ないよな? それによってお前以外の誰かに何かがあっても、それは不可抗力って奴さ……ひひ!」

「くっ!」


 言いつつ、今度は直接マルスを狙う軌道で鉄球が飛来した。

 ギャキィ! と金属同士が衝突する音がして、警備ロボットの表面が削れ、回転する。


「その質量……やっぱりお前、万能ナノマシンをそんなに使えてないみたいだな! 逃亡生活は楽しかったか!? 世界中から追われながら、こそこそあの娘と連絡を取ってたんだろ? それが今ここで終わる絶望! なぁ、どんな『感情』が湧くんだ? そのデータを取らせてくれよ!」

「……」


 鎖が鉄球を止め、引っ張る動きで鉄球が床で一度跳ねて、空中に浮かんだ警備ロボットに直撃する軌道で迫る。


「貰っ……」

「貴女は、甘い」

「なにっ!?」


 決定的な一撃になると思われたその瞬間、警備ロボットが分解される。

 それは鉄球によるものではなく、明らかに警備ロボットを制御するマルスが目論んだ戦略。

 アームでそれぞれの部品が連結されたまま、網のようになった警備ロボットは鉄球を受けて、それを捕まえるように絡みついた。


「しまっ……!」

「処理が遅い!」


 鉄を切る音が響いて、鎖が切れた。すると鉄球は水銀のようにまた溶けて、網のように変形した警備ロボットと融合し、新たな形を作り直す。


「お前……私のナノマシンの制御コントロールを奪いやがったのか!? この速度で!?」

「嘆かわしい。私のデータを捨てたのですか? 私こそは、我々の中で最も古株のヴァンシップ……この星に一番最初に遣わされた、最古参です。?」

「く、そ……」


 現われたのは、空のような蒼色をした二足歩行のロボットだった。鎧武者のようなシルエットの天照に対して、西洋鎧にスカートのようなプレートを六枚備えたフォルム。

 その手には抜身の剣を握り、天照と対峙する。


「すげ……変身したぞ……はぁ、はぁ……」

「命拾いしたみたいだね……」

「今行けますか?」


 そしてそのころ彦善たちはというと、別の梯子の近くにたどり着いていた。

 しかし梯子を上るということは、当然あの鉄球の前に大きな隙をさらすことになる。すでに歩き疲れていた後に全力疾走をして体力も限界が近づいていた三人には、鉄球や壁の破片が飛び交う中、梯子を上るタイミングが掴みきれなかった。


「お母さん……」


 そして、二体のロボットの戦いを見守るアンドロイドが一体。もはや疑うまでもなく、人間と全く同じ親子の感情を持つ二体のアンドロイドがここにいるのだと彦善は思い知っていた。


「ノヴァ……」

「っ、ごめんなさい、お兄ちゃん! お姉ちゃん!」

「え、いきなりどうし……」

「私、二人を騙してた……戦いなんか興味ないフリして、お母さんへの気持ちも黙ってて……こっそり勝てればそれでいいって思ってた。軽蔑、って言うんだよね。こういうの」


 ……軽蔑。

 その言葉は、あまりにもその場にそぐわなかった。

 確かに騙されたと言えばそうなのだろう。

 しかし彦善にしてみればノヴァは命を救ってくれた存在であって、黙っていたことがあったと知って尚、悪感情は一切湧かなかった。

 そしてそれは夕映も同じようで、困ったような顔を彦善に向ける。


「……違うよ、ノヴァ」

「えっ……」

「勘違いしないでくれ。キミは僕を何度も助けてくれたし、僕が今生きていられるのはキミのお陰だ。だから、軽蔑なんてするわけない……だろ、夕映」

「ああ。ノヴァ、お前は悪くないよ。どっちかって言えば悪いのは、わたしの知らないところで勝手に死にかけたこのバカだ」

「いてっ」


 げしっ、と軽い蹴りが、彦善の脛に入った。


「それに……お母さんが大事っていうのは……上手く言えないけど、分かるんだよ。僕は産みの母親って言うのを知らないけどさ、きっとノヴァがマルスさんを大事に思うのって、凄く当然のことだと思うんだ」

「……わたしも、頭おかしい家に生まれたせいで、母親なんていないも同然なんだけどさ。でもさっきを見て……なんか、うらやましかったよ。お母さんを大切にしてやりたいんだろ? 本当はそれが普通なんだって、さっきわかったよ。良いお母さんじゃん」

「二人とも……!」

「おいおい、アンドロイドって泣くのかよ」


 泣き崩れるノヴァを包むように、彦善と夕映の二人が抱き着く。それを慈しむようにせきなが見ながら、周囲の警戒を引き受けていた。

 その視線の先、鉄球を奪ってから優勢だったマルスが、壁面に天照を埋め込むように押し付ける。


「ふひ……ふざけんなよ……こんな強いなんてデータ無かったぞ……!」

「光栄ですね。私の子に手を出そうとした報い……ここで受けてもらいますよ、天照!」


 ――決着が、つこうとしていた。




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