第4話 Swamp(沼の中で)

「ったくさあ、遅れるなら連絡くらいしろっつーの! よーちよちよちお前は可愛いねぇタイショー。どっかのバカとは違うなぁ〜」


 かくしてその後、別の部屋の中。


「怒るかタイショーにデレるか嫌味言うかどれかにしろよ、悪かったって。だからタイショーに来て貰っただろ?」

「ちっ、タイショーの可愛さに免じて許してやるよ。う〜りうりうり」

「にゃあん」


 まるで先程の事が無かったかのように、二人は奥の部屋にいた。

『タイショー専用』と書かれた紙が貼られたプラスチックの猫用ケージはロッカー並に大きく、二人がケージと呼んではいるものの、むしろ部屋に近い。

 飽きるまでのどでた夕映はタイショーをその中に解放すると扉を閉め、天板から下がる蝶々の玩具おもちゃの電源を入れた。


「しかし毎回言ってるけどさ、この部屋暗くない?」


 野生の俊敏しゅんびんさでばたばたと蝶々を狙うタイショーの物音を背景に、先に手を洗った彦善が口を開く。


「毎回言われてるけどしょーがねーじゃん、パソコンに日光当てるとか意味わかんねーし」


 言いつつ、夕映も消毒液と濡れタオルで念入りに手を拭う。


 ――実際、黒く厚いカーテンに阻まれたこの部屋は、日光どころか外界が一切見えない。

 その内装は、漫画やアニメ・ゲームキャラのフィギュアが並ぶ『上層』と、黒背景に白抜きの文字で英単語や数式が並ぶ、モニターの『下層』とに分かれており、1番奥には6つのディスプレイとキーボードが置かれた机と床置きのゲーミングチェアがある。

 その周りの大きなぬいぐるみと毛布が、黒猫に浮気したあるじを寂しがるように隙間を空けていた。


「ほんと秘密基地みたいだよな」

「へへへ、格好良いだろ?」


 外から見れば、ここは商店街の片隅にある古びた家だ。

 玄関には適当なポスターが貼られ、窓を閉ざすシャッターには鍵がかかり、傍目には人の住む気配は一切無い。


「僕はお前の体の心配をしてるんだけどな……」

「だーいじょうぶだって、サプリは飲んでるよ。それで? 今日も持ってきてくれたんだろ?」


 振り返った笑顔に対して差し出されたのは、黒いクリアファイル。その中身のプリント……学校からの通達が書かれたそれらを抜き取ると、


「ん」


 一瞥もせずに、ファイルだけを彦善に返した。それを受け取る彦善の顔は、夕映の笑顔に対して複雑なもの。


「そんな顔すんなって。いつもありがと」

「……僕、どんな顔してた?」

「わたしの嫌いな顔」

「そっか、ごめんな」

「その顔も2番目にキライだよ。ま、いいや、辛気臭いのは無しにして遊ぼうぜー」

「……ん」


 そう言って、大きなディスプレイの電源を入れつつ、彼女が画面上で選んだのは有名ゲーム企業の対戦ゲーム。

 過去作の他社のゲストキャラまで参戦させ、数十回を超えるアップデートによる調整を重ねた大人気作である。


「よっしゃやろうぜ! 遅れてきた罰としてわたしが飽きるまでな!」

「……でもお前、負けると拗ねるじゃん」

「……言ったな?」


 そして、それから数十分後。


「ねぇ……ヒコヨシ、なんでお前そんな強いの? わたし引きこもりだよ? なのに学校行ってるお前が強いのはおかしくない?」

「そうかなあ……多分おかしくないと思……あ、コンボミスった」

「別ルートコンボ狙いながらそれ言うの止めろってマジで……このこのおらっ!」


 画面では、黒い帽子の怪盗キャラの連撃から逃げ切った青く丸いボールのようなキャラが強化アイテムを拾って、かろうじて反撃に転じたところだった。


「よっしゃゼロ距離喰らえ……ってあー! 何で逆向いた!?」

「え、知らん? こいつのマント攻撃ってそういう効果だし」

「分かってるよ!」

「じゃあ何で言うんだよ……」

「あっちょっと待っ、背中ダメ背中ダメステッキもダメぇ! ……そう言えばさ」


 キャラが場外に飛ばされたところで、残機1つを失って復帰する合間に、夕映が言った。


「何?」

「お前、今日の放課後に校舎裏で何してたの?」


 ブン、とステッキを振る効果音がして、画面内のキャラが攻撃を外した。


「今聞く?」

「今答えろ。さもなくばノーコン仕切り直しにする」

「お前それ一番やったらイカンやつだろ! ……紅ヶ原の奴が面倒事に巻き込まれてたから抑えに行っただけだよ」

「あーべにちゃんねー」


 空中コンボから地上技に繋げるダメージ稼ぎが執拗しつように決まって、壁に追い詰められた怪盗キャラは脱出技を放つものの、それを読まれた掴み技からのバックドロップで壁際に戻される。


「最近会ってる?」

「この前、ゆーちゃんと一緒にウチに来たよ。……料理いっぱい作って帰ってった」

「へーとねぇ。……つか何でお前僕が今日、放課後に校舎裏行ったのを知ってんの?」

「GPS」

「怖っわ」

「あと不良が盗撮で捕まったのはSNSで知った。今めっちゃ名前とかの個人情報バラまかれてる」

「それも怖っわ……」


 壁際でさらに連撃が入り、トドメの一撃で彦善の操作するキャラクターが場外へ飛ばされた。


「彦善さ、個人用情報端末スマホの位置情報切ってないじゃん。危ねえよソレ」

「あ、そうだっけ……ん? 話の繋がりおかしくないか? 今の話、関係ある?」

「え? 無いわけないだろ……あ、もしかしてヒコヨシお前、わたしがお前にGPS仕込んだとか思ってる?」

「うん」


 真顔だった。


「うん、じゃねぇよ、するわけ……ないだろ! スマホ会社のサーバーのデータを覗いただけだよ」

「だけってレベルの行為じゃないだろ、あと今、絶対迷ったよな?」


 言うまでもなく、個人のリアルタイムの位置情報は重要な機密情報だ。それを覗いたと言ってのける友人に彦善は驚くが、当の本人はつまらなそうに、


「そりゃ大手のサーバー直に覗いたわけじゃねぇよ、下請けの中で一番ずさんなトコロ経由で見ただけさ。ま、最低賃金サビ残上等の会社ならそんなもんだよ」


 と、半笑いでため息をついた。


「……同情しようか、ちょっと悩むな」

「ちなみに今夜そこの社長と役員が脱税でタイホされるからさ、後で一緒にニュース観ようぜ〜」

「……お前がやったの?」

「うひひ、わたしもちゃんと、『良いこと』してるだろ?」


 声だけでわかる、満面の笑み。

 画面では彦善のキャラが防戦一方で、受けに徹しながら反撃の機会を伺っている。


「……そうだな。

「ありがと! 好き!」


 がばっ、と音がして、画面の中でキャラクターが動きを


「そうだよな……わたし、間違って、ないよなあ……」


 夕映が彦善を押し倒して、その身体に覆いかぶさる。

 先程と同じく、長い黒髪が彦善を絡め取る蜘蛛の巣のようにかかって、ただでさえ暗い部屋で潤んだ眼光と、小さな唇から漏れ出すようにひと舐めした赤い舌が妖しい雰囲気をかもし出す。


「……落ち着けよ夕映。対戦が……」

「飽きた」

「いや、その……」

「飽きたの」

「……そっか」


 ぎしっ、と音がして、布がきしむ。

 それは、夕映が彦善のシャツをボタンごと千切りそうなほどに強く握った音だった。彦善にのしかかった夕映の震えがしばらく続いて、震える体が口を開く。


「いつもごめん……」

「え?」


 絞り出すような、声だった。


「分かってるんだ……こんなこと……わたしが、こんなふうなのが、おかしいって……」

「……」

「……わたし……キモいよな、迷惑だよな……それに、こんなことを言うのだって本当は同情して欲し」

「そんなことねぇよ」


 否定は、即座だった。

 まるで読めない彼女の精神の乱高下を、包み込むように彦善は夕映を胸に抱く。


「っ……」

、悪いことなんてしてないし、今日だって立派に悪い連中を警察にタイホさせるんだろ? 凄いよ、じゃそんなことは出来ない」

「……」


 さらさらと髪を撫でながら、まるで泣いた幼い子をあやすように、彦善は夕映を落ち着かせる。

 いつしか画面内では時間切れによって決着となり、勝利の演出とBGMが流れ、ふとそれに気づいた夕映がようやく力を抜いて、


「……冷蔵庫にさ」


 と、口を開く。


「まだ、食べきれてないおかずが残ってるんだよ……食べて行くだろ? ごはんも炊いてあるからさ」

「うん」

「じゃあ……起きなきゃな」

「……ああ」


 そして二人は身体を起こして、夕映が先にタイショーのいるケージに近づいた。

 扉を開けると、大人しく出てきた黒猫はその華奢きゃしゃな腕にいだかれて、ゲームを片付けた彦善と合流する。


「来てくれてありがとな〜タイショー。大通りに出るなよ〜?」


 主がいなくなった部屋の扉が閉まると、もうその部屋の中には誰もいない。


『新着メールが届きました』


 そんな中、定型文を浮かべたディスプレイが一度光って、すぐにまた光を失った。

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