第3話 In the City(とあるありふれた街)

『UFOの町、天星てんせい町へようこそ!!』


 看板にそんな文言が書かれた夕暮れの駅前を、彦善ひこよしは早足で進んでいた。

 この街の中心、天星駅の駅前商店街はちらほらとシャッターが目立つどこにでもある商店街で、行き交う自走警備ロボットが空中に浮かべたホログラムであちこちの店の宣伝を投影し、その外れには小さな地蔵がまつられている。

 そのわきの大きな電子看板には、


『天星町に反重力リニアを誘致しよう!』


 と書かれた文字がフリー音楽とイラストのアニメーション付きで踊り、その下の枠にはゴミ出しのルールや来月の神社で行われるフリーマーケットのお知らせが流れていた。


「……これで良いか」


 看板の片隅には派手な赤い装飾そうしょくの、『あなたも入信・マルス教』と書かれた、今時珍しい『紙』のパンフレットがあった。彦善はそれを手に取り、開いて、折って、読みもせずにポケットから小魚の入った小袋を出す。そして折ったパンフレットを舟型ふねがたの皿代わりにして地蔵のわきに置くと、


「タイショー、おいで」


 猫の名を、呼んだ。

 すると鈴の音を鳴らして一匹の黒猫が、パンフの皿を弾き飛ばす勢いで登場する。


「今日はそっちか。いてくれて良かったよタイショー」


 彦善には目もくれず、かふかふと音を立てて小魚をむさぼる黒猫。しかしそれを食べ尽くすと、代金は受け取ったとばかりに口の周りをぺろりと舐めて、


「にゃ〜ん」


 大人しく座り、彦善を見上げた。

 その右目はまるで刀傷のようなものでふさがっているが、それがメス猫の取り合いで出来た傷だということは、この商店街の人間なら誰しもが知っている常識である。


「さーてじゃあ、レンタルさせて頂きますよ、と……」

「にゃぅん」


 正しい持ち方で猫を抱えて、商店街を歩く彦善。それを見た周りの客や店先の店員が、笑顔でタイショーに手を振る。

 本屋前にいた数人の小学生が駆け寄ってきて、


「タイショーだ!」

「かわいー」

「すげー! おにーさん、い主?」

「ちげーよ、オトナはタイショーだっこできるんだぜ、ケンヤ、しらねーの?」

「知ってるし! きーただけだし!」


 と、騒ぎ始めた。

 するとそこへ、


「こ、こら、きみ達、お兄さんとタイショーの邪魔ジャマしちゃダメだよ……」


 本屋の隣のカフェから、若い女性が現れる。すると小学生たちは、


「あ、新入りおねーさんだ!」

「新入りだ!」

「新入りさんこんにちは!」


 どうやらあだ名らしい呼び方で、エプロン姿の髪の長い女性を口々に呼んだ。

 目の下に濃いクマのある、猫背でおびえたような雰囲気の彼女は丸メガネを持ち上げて、


「あ、あのね、新入りって、私は……」


 と、何かを言おうとしたが、


「ねぇねぇ見て見て見て! マジですげーの出た! ウルトラゴッドレア!」

「マジでー!?」

「見せてー!!」

「公園でカドバしよーぜ!」


 小学生たちは、店先で叫んだ仲間の方へ行ってしまった。


「危険ナノデ商店街ハ、走ラナイデクダ……」


 それをカメラで捉えた自走警備ロボットがあきらめたように声を途切れさせ、残された二人のうち、先に彦善が軽く頭を下げる。


「梓(あずさ)さんお疲れ様です、助かりました」

「あ、あは、ヒコヨシくんもお疲れ様……タイショーと一緒ってことは、ふ、ふふ、今日はそういうこと……ふふ、ふひ……」

「にゃあん」

「か、可愛いねぇ……ひひひひ」


 体を震わせて笑う梓の顔は満面の笑みで、しかもそれを必死で隠そうとしているので、無駄に苦しそうだった。

 そんな彼女の名は小豆町 梓(あずまち あずさ)、このカフェに春から務めるバイトとのことだったが、少なくとも彦善の知るだけでも、すでに両手の指の数では足りないくらいに皿やカップを割っている。

 それでクビにならないのはマスターがボケていて数えていないだとか、マスターもかつては似たようなものだったからだとか、様々な説があるのだった。


「タイショー、後で私に何があったか教えてねー……なるべく詳しく……ひひ」

「……あまりからかうと、コーヒー豆買いに来ませんよ」

「ひぇ……」


 普段から無駄にするどい目つきの彦善がそう言うと、途端とたんに梓が慌てだす。


「ご、ごめ、ウソウソ許して、これ以上私が何かやっちゃったら、マスターが泣いちゃう……私怒られる……」

「……怒られるだけで済むんですか?」

「済まないと思う……じゃ、じゃあ気をつけてね、ばいばい……」

「ええ、梓さんもお疲れ様です」

「にゃーん」


 そうして別れた時、春の夕陽は海の向こうに沈もうとしていた。


「結構、遅くなっちゃったな……」


 

 シャッターが降りた空き家の間を抜けて、電灯の一つしかない裏路地へ。突き当りは行き止まりに見えて、右に目を向ければ、商店街の店の裏と山肌の間を抜ける細い道がそこにあった。

 そしてゲームセンターと大型家電量販店、中華料理屋の裏を抜けると、こちら側に蒼い光の灯る窓がある。


 昭和の古びた家の玄関のようなその引き戸に学生証を当てると、空気の抜けるような音ともに軽快に扉がスライドして、真っ暗な室内が現れた。

 彦善は慣れた様子で電灯のスイッチを押すと、明かりが点いた室内のインテリアは昭和の台所めいていて、フローリングや椅子、磨りガラスのめられた棚までもがホコリ一つなく、大して使われた形跡けいせきも少なくそこにある。


「にゃーん」

「はいはい」


 家主に断ることもなく靴を脱いであがった彦善は、棚の下から皿とチューブ状の猫用おやつを出して、適量をしぼり出す。すると黒猫タイショーは一心不乱にそれを味わって、


「よーしよし……」


 彦善が呟いたその背後、棚の陰で入口からは見えなかった廊下の奥に、幽霊のように、『彼女』はいた。


「うわっ!!」


 気配に気づいて振り返れば、そこにはだぼだぼの白い無地のTシャツを着た、髪の長い少女。深いみどり色をしたその髪は、顔どころか、起伏のとぼしい胸まで……否、もはや背面に至っては膝の長さまでかかっている。


「……ヒコヨシ」


 地の底から恨みの腕を伸ばすような、女子にしては低い声。


「ご、ごめん夕映(ゆえ)……ちょっと面倒事に巻き込まれて遅くなっ……」

「うるせぇ!」

「おふっ」


 少女は彦善の胸に突進して、どふっ、と軽い音がする。

 尻もちをつくように倒れ、上体を起こした彦善に少女がおおいかぶさった体勢になる。長過ぎる髪が網のように二人にかかり、細い両腕がすっ、と上がって、ぽかぽかと彦善の体を叩き、彦善はそれに表情一つ変えず、


「ごめんって」

「うるせぇバカ! こんなに遅くなるなら連絡くらいしろ! わたしはな、ずっと待ってたんだぞ!」

「……ごめん」


 ただ、謝った。

 夕映と呼ばれた少女は涙目になった顔を上げると、その腕を彦善の背に回して、


「バカ! バカ! バカ彦!」


 締め付けるように、抱きしめた。

 華奢きゃしゃなその力は遠慮なく彦善に向けられていたが、彦善はそれを意に介さず彼女の髪をくように撫でる。


「……ぐすっ、うぅ……っ! バカ!」


 少女の身体は震え、ただ涙を流している。

 時折ときおり思い出したように彦善に拳を叩きつけるが、病的にすら思えるほど細いその腕が振るう暴力は、あまりにも儚い。

 それでもそれを激情のままに繰り返した後、さらに強く顔を胸に押し付けた少女は、散々叩いたことに怯えるように震え、


「……ごめん、なさい……」


 呟くように、謝罪の言葉を口にした。

 枯れ枝のような腕にさらに力がこもって、より震えは強くなる。


「お願い……許して……」


 理不尽と言うにはあまりにも不安定で、暴力と言うには弱すぎる。

 そんな少女の身勝手を受け止めて、少し身体を起こした彦善はなだめるように口を開いた。


「……ごめん。連絡しなくて悪かったよ。僕は何処にも行かないからさ」

「っ……!」


 布がきしむ音を立てて、より力がもる。防音のほどこされたこの部屋で起きたことを知るのは、この部屋にいる者だけだ。


「バカ……バカ彦……」


 逢瀬おうせと言うにはあまりにも病んだ二人だけの世界がそこにあって、か細い声が外からの喧騒けんそうにかき消される。


「にゃーん?」


 そしてそれら一連の流れを唯一見ていた黒猫部外者は、餌皿えさざらの猫用おやつをめ尽くすと、


「にゃ……かふっ」


 退屈そうに欠伸あくびをしてから、満腹になった体を幸せそうに丸めたのだった。

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