ある日、散歩の中で

松井みのり

ある日、散歩の中で

 僕はどこかの駅から自宅の最寄り駅まで散歩するのが好きだ。大学の授業が終わり時間が余ったりすると散歩することが多い。高校に入学するまでは徒歩圏内に学校があったから、そんな行動をすることもなかったが、通学するのに電車を使うようになり、いつの間にか散歩が趣味になっていた。


 散歩中はスマートフォンを見ずに歩く。これは当然、歩きスマホが危険だから。という理由もあるが、景色を見て歩くのが楽しいからだ。


 繁華街にあるわけでもなく、チェーン店でもない居酒屋がアルバイトを募集していたりする。こんな古そうなお店でも馴染みのお客さんがいて繁盛しているんだろう。そう思うと、特別な能力がないと思っている自分でも、日本の未来は暗いと言われているけれど、この先もなんとかなるだろうと不思議な勇気をもらえる。


 そんな散歩中に本屋を見つけた。小さな古びた看板で、字はなんとか判別できるような状態だ。いわゆるレトロかわいいと表現するよりかは、ボロボロと表現したほうが正確だ。ヒイラギ書店と書いてある。

 この道は何度も歩いてるはずだが、小さな本屋だから見落としていたのかもしれない。何の気なしにその書店に入ってしまった。まあ、気になる本がなければ、退店しても冷やかしだとは思われないだろう。


 扉を開けると、いきなり店員のおじいさんがカウンターに居た。本棚はカウンターのうしろにあり、客が触ることができないようになっている。

「いらっしゃいませ」と声をかけられ、つい会釈してしまう。このおじいさんと関係ができてしまった。カウンター前の席に座るように促されたので、そのまま座ってしまう。水が入ったコップを渡された。

 ヒイラギ書店という名前ではあるが、本屋ではないのかもしれない。隠れ家カフェか、占いか。とにかくこのまま帰れる雰囲気ではなさそうだ。


 すると、おじいさんから穏やかな声で説明があった。


「ご来店いただきありがとうございます。初めてのご来店ですよね。わたくし、ヒイラギ書店の横手よこてと申します。せっかくのご来店ですが、なにか特定の本をご所望なら、ご退店したほうがよろしいかと思います。この書店はお客様の持ちものと引き換えに、この世にはまだない本をお渡し致します。そして、そこには特別なメッセージが書いてあります。金額はお求めしません」


「要約すると、僕の持ち物を使って占いをするということでしょうか」


 図星だったのだろうか。横手さんはすこし悩みながら説明を加えた。悩んでいる横手さんの顔をよく見ても、明日には忘れてしまいそうな顔だ。マスクをしているというのも理由の一つだが、きっとマスクをとっても忘れてしまいそうな顔だろう。


「特別なメッセージという言葉が占いのように感じさせてしまったのかもしれませんが、占いではございません。そのメッセージは必ずしもあなたに関することを言い表わすわけではないからです。しかし、断言はできかねますがあなたに関するメッセージはくれるでしょう」


 今度は僕が悩む番になってしまった。それでは、どんなことが書かれている本をくれるのだろうか。お店の利益はどこから発生するのだろうか。横手さんの一生懸命な説明を聞いていても、いまいちピンとこない。しかし、僕を騙そうとしているようにも感じなかった。


 とりあえず僕は試してみることにした。フリマアプリでも売れなさそうな持ち物はある。

 リュックの中から元カノのプレゼントである北海道土産の熊のキーホルダーを取り出す。半年前にフェードアウトするように別れた元カノで、今は女友達だ。お互いに未練はない。僕がフリマアプリで売ったと言っても怒ったりすることはないだろう。


「それなら、このキーホルダーをお渡しします」

「わかりました。少々お待ちください」


 横手さんは店の奥のドアへと入っていった。


 横手さんを待っている時間は、何をしようかなと水を飲みながら考えていると、すぐに横手さんは先ほどのドアから出てきた。ずいぶん早い。


「お待たせしました、こちらが先程のキーホルダーから生まれた本になります、どうぞ中身をご覧ください」


 文庫本サイズの薄い本が手渡された。表紙には北海道旅行という文字と、アプリで表示されているような地図の絵が描かれている。作者の名はない。


 ページをパラパラとめくる。


『思ってたより北海道の冬は寒くないや。寿司とか刺身はマジで美味しい。でも、ラーメンも食べたかったな。あ、お土産忘れそう』という文章。それから、たくさんの写真が載っていた。それで、おしまいだ。


「えっと、北海道旅行について書いてありますね」と、感想に困った僕。

「北海道への旅行でしたか。それはきっと素敵な思い出だったでしょう」と、すこし驚いた様子の横手さん。

 僕がなぜ横手さんも驚いているのだろうという表情をしていたからだろうか、横手さんは説明をしてくれた。


「その本はオートマティスムで書かれた本になります。オートマティスムは日本語で自動手記といって、わたくしの身体に何かが憑依して何かを書くことです。表紙も本文も挿絵も全てオートマティスムだから、わたくしは内容を把握していないのです。あなたに関するメッセージは書かれていましたか」


「すこしだけ。ほぼ書かれていませんでしたが、すこしだけ書かれていました」


 横手さんは満足そうな様子だった。マスクをしていても優しい表情が伝わってくる。元カノのお土産はなくなってしまったが、横手さんの嬉しそうな顔だけでも得した気分だ。


 しかし、オートマティスムや自動手記、何かが憑依しているということはどういうことなのだろう。僕は疑問をそのままぶつけてみる。


「退職してからしばらくしたある日、遠方に住む友人からプレゼントをいただいたのでお礼の手紙を書こうと思っていたら、印刷されていたような文字で手紙がすでに書かれていたのです。それで、そのことを妻に伝えるとそれはオートマティスムだというので、面白くなってしまいました」


 横手さんはウキウキと話を続ける。きっと彼は何度も同じ返答をしているに違いない。だけど、横手さんも僕も楽しい。


「それから、そのプレゼントとオートマティスムのことを友人に話すと、次は友人も面白くなったのか海外の骨董品を郵送してきたのです。そして、その骨董品についてもオートマティスムできたのです。わたくしは驚きました。その骨董品については英語でたくさんのことが書かれていたのですから!」


 僕は納得した。横手さんは本物の超能力者なのだろう。

 元カノと横手さんから貰ったこの本は大切にしようと心に決めた。

「ありがとうございました。素敵なお話も、この本も大切にします」と礼をした後、あることを思い出した。


 すこし質問しにくいことだが、超能力のことまで話してくれたのだから、きっと許してくれるだろう。

「横手さんはどうやって、このヒイラギ書店を営んでいるんですか。とても失礼な話ですが、収入はありませんよね」


 返事は朗らかだった。

「パトロンですよ。日本語でいうと後援者、支援者というべきでしょうか。このカウンターの後ろの本も、彼らや彼女らが全て買ってくれて、わたくしが空き時間に読んでいるんです。もちろん、欲しい方にはお売りしていますけど」


「パトロンですか。僕には想像もつかない世界です。でも、本当にありがとうございました」


 本棚を見せてもらって「鼻」という本を買った。作者の名前は聞いたことがあるけれど、他は何も知らない。


 僕は退店した後に、ふと思った。

 こんな古そうな店でも馴染みのお客さんがいて繁盛していた。その人は特別な能力も持っていたけれど、この先もなんとかなるだろう。

 不思議な勇気をもらえた。

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ある日、散歩の中で 松井みのり @mnr_matsui

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