第6話

 長谷部の旦那がやって来たのは二日後だった。流石にそう連日花街に出向くのは奥方の悋気を買うので、あくまで付き添いと言う体で。ヘンリーはまた金平糖を貰ったのか、和紙の袋をかさかさ鳴らしては嬉しそうに大事に一粒を味わっている。場所は私の部屋。やっぱり長谷部の旦那の膝に座って、大分落ち着いた様子でいるのが解る。奥方が可愛がっているのだろう。髪は今日もさらさらの艶々だ。良いなあと素直に羨んでしまう。せめてこのうねりがなければ私だって。などと思っていても仕方ない。今日の用向きは何だ、と少し疲れた顔で旦那が言う。せっつかれてるんだろう。奉行所の事と良い、疲れるのは当たり前か。だが私も私で容赦はしない。

「ヘンリー、確認しておきたいことがあるんだが、おとッつぁんは日本語の読み書きも出来たのかい?」

「? うん、僕にも教えてくれた。ひらがなと、簡単な漢字なら、僕も読み書きできる」

「おとッつぁんの書いた『じゅういち』ってのは、ひらがなかい? それとも漢字?」

 それはとても原始的な謎。

 謎とも思わないような、謎。

 ううん、と首を振ったヘンリーに、旦那もまた眼を丸める。

 そう、私達には分からない『じゅういち』もあるかもしれない。慣れなければ読めないものもあったかもしれない。私がそうだったように。学んでいなければ暗号にしかならないように。


「あれ」


 ヘンリーは指さす。

 私の部屋の置時計を。

 その『じゅういち』を。


「……ヘンリー、おとッつぁんから貰った厘、貸してくれるかい?」

「はい」

「牡丹? どうした?」


 旦那の声を無視して私は箱の一面に描かれたバツの字を探る。二通りあるはずの解き方、一度目では木は滑らない。もう一通りを試してみると、かしゃ、とそこは動いた。旦那が息を呑む。私は続けて、またその寄木細工を滑らせる。複雑な段階は一つもなかった。だってこれは、ヘンリーのおとッつぁんが残した言葉なのだから。かしゃりと滑らせれば厘が開く。そこに会ったのは、小さく折りたたまれた書状だった。

 難しい字が読めない私には分からないけれど、渡された長谷部の旦那は顔色が途端に変わる。そうして私を見て、どうして、とうわごとのように呟いた。どうして。

「じゅういち、さ」

「じゅういちが、なんだと」

「あの時計の数字は羅馬数字なんだ。五はVの字、十はXの字、十一はそれに一つ足してIが入る。書こうと思えば一筆書きが出来る――その寄木細工みたいにね」

「逆袈裟に斜め、上に進んでI、そして斜め上に戻ってXを完成させる――そう言う事か――それで、じゅういち」

「十市でも十一でも無かった。盲点だったよ、まったく。最初に何でじゅういちかを聞いておけば済むことだったんだ、こんなもの」

「そうか――では、俺は出るぞ、牡丹。助かった。約定書と爪印が揃っていれば、問屋も込みで銅の横流しをしていた連中をしょっ引ける。奉行を問い詰めればヘンリーの親父を殺した連中も追えるだろう。失礼するぞ」

「ヘンリー、おとッつぁんの弔いが済んで気が向いたらまた遊びにおいで。今度は私も何か菓子を用意しておくからね」

「はい、牡丹お姉さん。また背中見せてね」

「その頃には綺麗な緋牡丹になっているだろうよ。くふふ」

 ぱたぱた手を振って、私は急ぎ足に部屋から出て行く二人を見送った。


 瓦版に記事が載ったのは次の次の日だった。十市が持って来てくれたそれを読みながら、私は背中を晒して寝そべっている。曰く不正のあった方の奉行所ではからくりに偽装した寄木細工の中に銅の歯車が目一杯詰め込まれていたとか、異人殺しの下手人も高飛びする寸前で召し取ったとか、わくわくするような書き方がされていた。そしてささやかに、遺児は代官の養子となった、とも。居場所が出来て良かったな、思いながら背中の痛みを堪えて笑うと、何笑ってんでいと手鏡越しに十市が訊ねて来る。いやね、と私はでかいあくびを出してから、目元を拭った。瓦版があっても眠い。まあ私だってちょっとは不安があって寝不足になったりしていたのだ。客もいたけれどそれ以外の意味でも眠れないほど、私はあの子も十市も好いている。それだけの事だ。

「綺麗に染まって行くねえ。あんたの色だと思えば中々悪くもないよ」

「素直に綺麗だって言えよな、お前は。で? 今日は客の入りも良さそうかい?」

「そうだね、事件解決で代官所の連中が群れを成して来るかも。誰の弱みを聞き出そうかねえ、今度は。長谷部の旦那は泣き所が増えちまったし」

「例のぼうずだけじゃないのか?」

「とんでもない。奥方に知られたら私が殺されるよ。まあ長谷部の旦那は付き合いが長すぎて勃つものも勃たないらしいが。私も旦那と寝れるとは思わないねえ」

「じゃあ俺は?」

「あんただって同じさ、付き合いが長すぎる。代官所の若いのを誑かす方が断然に楽しいね」

「悪い女だなあ」

「そうさ、私は性質の悪い女だからねえ」


 けらけら笑って瓦版を放り出し、手鏡越しに緋色が濃くなっていく牡丹を眺める。もっともっと、あつくなれ。何れ悪名になろうとも、この緋牡丹太夫の男達には手を出させやしないよ。

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緋牡丹太夫のよく飛ぶ推理 ぜろ @illness24

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