緋牡丹太夫のよく飛ぶ推理

ぜろ

第1話

 背中を晒して馴染みの彫り師に入れ墨を掘らせるのは、妓楼が暇な朝早くの時間だった。背中一杯に描かれるのは牡丹の花。色が入れば緋牡丹になる予定のそれを時々手鏡で確認しながら、私は幼馴染の彼が持って来てくれた昨日の瓦版に目を通す。異人殺害、凶器は日本刀と見られ、堀に捨てられていたらしい。ふぅんと気にも留めず読み流した。まだ手掛かりが少ないのだろう、おどろおどろしい描写でどうにか体裁は取り繕ってあるが、三文記事だった。背中の痛みを紛らわせるほどもない。ちくっとしていてっと返すと、悪い、と素直に謝って来る。幼い頃は彼も妓楼で丁稚奉公していたが、刺青の技を磨いてからは立場が逆になっていた。私はかむろの頃からここにいて、今は太夫の身だ。少しは遊びも知っているが、孫ほどの年の私を可愛がってくれている御方もいるので、悪い商売でもない。


 それにここ――長崎は出島では、日本人であるだけでも下駄を履いた値段で取引されるのが私達だ。異人、主には和蘭人の商売人たちは、金の掛かる遊女を好む。だからこちらもせめて身支度整えてわざと乱して迎えるのだ。いてっ。やっぱ痛いな、一面の牡丹と言うのは。早まったかもしれないが、今更取り消せるものでもない。


十市じゅういち、この刀の持ち主ってのはまだ見つかっていないのかい?」

「脂がこびりついてたから凶器には違いないんだろうけれど、刀売っちまう侍もいるからなあ。とくにここじゃ蘭学を学ぶのに金が掛かるってんで竹光の方が多いぐらいだ。足は着かないだろうな」

「へぇん……いでっ」

「悪い悪い。でも痛いもんを俺に頼んだのはお前なんだぜ、牡丹」


 牡丹は私の名前だ。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花、と言うのに掛かっている。花魁には百合の姉様と芍薬の姉様がいるので、私が一番遅咲きだが。ちなみに姉様達の背にも刺青がそれぞれにあり、掘ったのは十市――この幼馴染だ。

 十市、十日は仕事が途切れないように、とその名前を付けたのは私である。実際売れっ子掘り師として最近は仕事が増えているらしい。たまにはやくざの親分さんから頼まれて冷や冷やすることもあるし、漁師の背中に大図柄を施すこともあるという。漁師は危険が多い仕事だ。もし船が沈んでも背中で見分けが付くようにと大図柄を描くことも多いらしい。


 ことこの出島では、南蛮貿易で栄えていると言っても天候まではどうにもならない事が多い。私も父親を船で亡くし、三つの時にはもうここで働いていた。その頃から愛想だけは良くしていたので、子供のように扱ってくれた和蘭人も多い。

 だからこの仕事に就くのに抵抗はなかったが、問題は私の見掛けにあった。赤茶けた髪は椿油を塗っても真っ直ぐにはならず、肌の色も白いと言って良い。父が船を出している間に母が夜鷹をして生まれたのが私だと、いつだったか妓楼の親方が言っていた。ようは合いの子なのである、私は。父の名は知らないし母もどれだったかは知らないだろう。覚えてない、と言っても過言ではない。ずいぶん稼いだようで、私に残された簪も舶来物のびいどろ付きだ。

 もしかしたら宝石かもしれないが、細かく拘ってはいない。父がいなくなったと見るやすぐに私を妓楼に売り飛ばした母親だ、思い入れも何もない。面倒なうねる髪には恨み言ぐらい言いたいが、この合いの子のような身体が良いという客もいるのだからまあ良いだろう。髪色だって昔よりは落ち着いた焦げ茶色になったし。昔は異人にしか見えない赤髪だった。長さが足りず結わえることも出来なかった頃などは、和蘭人の客がいつも慰めてくれたものだ。そして私も噓泣きで駄賃を得る。互恵関係だ。初めて買ったのは帯留めで、鼈甲の中々値の張るものだったが今でも愛用できている。


 さて、それにしてもこの出島での異人殺害は厄介な事だろうなあと、客人たちの顔を思い浮かべる。代官所の役人も多いから、暫く座敷が空きそうだ。そうなったらさっさと背中の刺青を完成させてもらおう。牡丹の緋牡丹、と楽しみにしてくれている客も多いのだ。噂が広まれば私も花魁に格上げしてもらえるかもしれない。昔はその道中の後ろを付いて行っていたのに、今度は先頭を歩く側になるのだ。それは少し、面白い。

 瓦版を手放し、ふぁ、と私はあくびをする。と、そこでまたちりっと痛みが走った。慣れているのだが、たまに予想外の方向から来るのでうかうかしていられない。十市の張った気を感じながら、それでもうとうととしてしまう。仕方ないのでまた瓦版を読みなおすことにした。かち、かちっと鳴る時計は南蛮由来の土産物。これのお陰で何度か袖に出来た浪人もいる。爪も切らないで遊女の肌に触れる、無礼千万な奴も多いのだ。こちとら玉の肌を維持するのも大変なのだぞ。ただでさえそばかすの名残を白粉で必死に隠しているのだ。いつか消えるんだろうか、これ。時間が経てば目立たなくなるとは蘭方医の言葉だが、本当かどうかは知れない。

 ちりっと痛み。逃げる眠気。止まらないあくび。とりあえず眼だけ閉じて、私は狸寝入りに入る。目を閉じているだけでも良い静養になると教えてくれたのは、代官所の胃痛持ちだ。今頃また胃をきりきりさせているだろうな、とどうでも良い事を考える。

 辻斬り。和蘭人を狙った。何が動機だろうか。狙い。単純な強盗ではないだろう、金子を奪われたとは瓦版に書いていなかったし。否、瓦版だってどこまで与太か分かったものではないか。手掛かりになるものがあれば。

 なお一緒だった稚児は無事。ふーん。目撃者は殺してしまうのが常套なのに、よほど急いでいたのだろうか。殺した死体の見分をする暇もなく? どうにも承知いかんなあ。稚児。これも南蛮人だったのだろうか。向こうの稚児は髪色も柔らかくて目も美し気で良いよなあ。私も一人ぐらい抱えてみたい。もっとも私は抱えられる方だから叶わぬ夢であるが。


「よし、今日はここまでな」

「んぁ。何、次の仕事でもあるの? こんな朝っぱらから」

「キリの良い所で終わらせただけだ。輪郭は終わったから次からは色入れて行くぞ」

 仕事道具を片付ける十市の背中は、いつの間にか随分大きい。身体を起こしてうんっと伸びをすると、ぽろりとそう大きくもない胸が零れて十市はぼんっと顔を赤くする。妓楼育ちでそこで商売もしているって言うのに、こいつも慣れないなあとくすくす笑えば、ばふっと襦袢を押し付けられた。こいつのこう言うところが年上の姉さん達にいたく可愛がられていた証拠だと、この私辺りは思う。可愛い奴め。銭湯で慣れないもんなのかしら。

「んじゃ俺は行くからなっ! 明日もお前が暇だったらいつもの時間に来るから、時計が狂ってないかは確認しておけよ!」

 一度客と鉢合わせして大騒ぎになって以来、十市は時計を信用していない。と言うかからくり物自体が苦手なのだろう。自分の理解の範疇に無いものは誰だって怖い。まあ私だって、くるくる動くこの奇妙な仕掛けを初めて見た時には、なんじゃこれはと思ったけれど。まあ育ちが出島だったからすぐに慣れた。鐘撞きの時間よりも正確だからと、置いているお店は多いらしい。襦袢に手を差し入れて今度こそ何物にも邪魔されないあくびをして、私はひらひらと手を振って十市を見送った。

「じゃ、また明日ねー」

「おう、しっかり寝とけよ」


 十市が代官所に連れて行かれたと聞いたのは、朝寝が過ぎてからだった。

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