ろく. 2


(——あきらかに固執してるよなぁ)


 息を切らして走る珠里じゅりと行動を共にしながら(正確には、させられながら)、コウは思案していた。


(何か恐がられるようなこと、したんじゃないか? あいつ)


 現実の夕姫ゆきの行状を疑ってみる。


(それにしても、この女、早く目覚めるか、忘れるかしてくれないかな…。

 いいかげん離脱しないと、危険そうなんだけど…)


 持たされた――突然、手の中に現れたので、彼が所持していたというご都合思考的な経過なのかも知れない――先端から光がはなたれる筒懐中電灯で、すこし先の地面を照らしながら、壁もあやふやな洞窟をつき進む。


 背後から追いかけてくる人は、変わることなく、夕姫ゆきの姿をしていた。


 それなりに、けっこうな執着ぶりだが、目じりがつりあがって、時には、にたりと狂気の笑みを浮かべる。


 そのひとが実際にするとも思えない形相だ。


 本人に見せたら、どんな顔をするだろう――のんきにそんな事を考えたりしているが、コウの背中…腕などには、五ヵ所ほど、珠里じゅりをかばわされることで負った傷が出来ていた。


 幻影がふりまわすやいばに裂かれた傷だ。


 それが塞がることなく、着実に彼の体力を削りおとしていく。


 意識世界の中だから、生身とは違う。


 ショック死もありで、状態や認識の仕方によって時間がかかったりもするが、ちょっとした傷なら、体感時間の移り変わり時間の経過と精神力で治癒する。


 痛みを快楽とする趣味もない。それなのに傷がふさがるけはいがないのは、いっしょにいる珠里じゅりの影響力が強すぎるからだ。


 となりにあるその人が、彼の傷を意識して、忘れることなく出血をうながしているので、血が止まらない。


「俺は、こっち行く。おまえ、そっち行け」


 目にはいった横穴をあごで示して、となりに声をかけた。


 いくぶん小さく、高い位置にあっても、夢の主がその気になれば抜けられるはずだった。


 しかし、珠里じゅりは彼の言葉を聞いてなかった。


 舌打ちしたコウは、かける言葉の意味に意識を集中した。


 おうおうに精神力をぐので、この状態でその能を用いるのは、非常に辛いのだが…。


むかしは、もっと、楽にこなしていた気がするんだけどな…)


 とりあえず彼は、歌わぬまでも、持ち前の響きにのせて、ささやき、くどき、そそのかすことを試みた。


「ほぅら♪ そのへんから夕姫ゆきが来た。

 夕姫ゆきと対決したひょうしに、俺と君は、ばらばらになる。

 はぐれるん♪ だっ!」


 二人が進もうとしていた方角の壁がゆらいだかと思うと、そのあたりに、ナタと身の丈の半分ほどの長さの鉄の棒を手にした夕姫ゆきがあらわれた。


 道が出来たわけではない。夕姫ゆきの背後は壁だ。

 そこに突然出現したのだ。


「ゃあっ…」


 うろたえた珠里じゅりが声をあげたが、コウは動じなかった。


 得意の声音で、なりゆきを暗示する。


「俺と君は、彼女に襲われて、はぐれる。そして…♪」


 ふりかざされ、空をぐ鉄棒の一撃を避けながら、


 ——二度と会わない——


 そう続けようとしたコウだったが、夕姫ゆきの幻影にはばまれ、反対側へ逃げたはずの珠里じゅりが、彼の視界にとびこんできた。


「こっち…」


 物理的には、ありえない方角からあらわれた彼女が、彼の腕をひっぱって走りだす。


(しつこい! なんで俺に執着するかなっ)


 否も応もなく同行させられたコウは、くっと歯がみした。


 ふりかえってみると、ぼんやり片膝をついていた人影が、遅れて動きだそうとしている。


(いちかばちか、勇者役理想演じてやるか…)


 彼は、もう一度、珠里じゅりに語りかけた。


「俺がなんとかするから、君は逃げろ」


「だめっ! あぶないもの」


(おまえといる方があぶないんだって…)


 相手を説きふせようとしていたコウが、そこで不意に、ぴたと口を閉じた。


(俺を殺すことは出来ても、俺の意思は盗めないよ。何者であろうと…)


 なにを話させようとしたのか、言葉の意味合いもわかっていなかったが…

 夢の持ち主がコウにおしつけようとした台詞があって…。

 彼はそれを形にすることを拒絶した。


(ちょっかいは出したけど、おまえを守りたいなんて思っちゃいないからな。

ここはそっちの独擅場だろ。

 ささっと忘れて、解放しろよ)


 コウが、これ以上はないと思えるくらい冷めた目で、かたわらの少女を見おろす。


「なら…。俺が夕姫ゆきの相手をする。君は逃げろ」


 あらためて断定的に告げると、珠里じゅりの方を向いていた自分の位置が来た方向へつき返されたので、コウはすかさず、その流れにのった。


 襲ってくるものに対抗するのは、危険な賭けだが、他に打開策も思い浮かばない。


 これを機に、この空間の支配者が、自分から離れてくれるか、もしくは勝たせてくれることを願って勝負に出る。


 そんな彼の視界から、目標としていた夕姫ゆきの幻影が、こつぜんと消えた。


「いやぁああぁあっーー…」


 彼の背後――彼が認識していたより距離を感じる…感覚的に一枚、壁が形成されたようにも思える微妙に遠い場所で、珠里じゅりが盛大な悲鳴をあげていたが、コウは、これ幸いとばかり、夢の主との距離をひろげようとした。


 刹那——ザゴッ…


 胸の後ろ側…背中に、殴られたとも砕かれたともつかない衝撃と激痛が生じ…息がつまった。


 ふんばりの利かなくなった彼の足が泳ぐ。


 咽喉を逆流してきた血液にむせながら、コウが首をめぐらせて、背後を確認すると、そこに、夕姫ゆきの顔があった。


 彼を見知らぬ他人のように映す無感動なセピア色のまなざしが。


 ずぐっと、傷をひろげながら引きぬかれた刃が、こんどは前のめりになっている彼の左の肩胛骨のあたりにつきたてられ、砕けぬまでも削り、すべり落ち、突き刺さって、その下の肋骨をごきごきと断つ。


「…く…うっ!」


 それは、精神を切りさかれる痛み。


 どくどく、堰をきったように体を流れ伝う生温かぬるい体液を意識しながら、コウは、その場にひざを屈し、片手をついた。



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