し. 珠里 ~悪い子じゃないので、葛藤します~

し. 1


珠里じゅりぃ…」


 珠里じゅりが、ベンチで荷物の番をしていると、仲間のひとりが声をかけた。


「滑らないの?」


「ん…。靴。あわないみたいで、がくがくいうから…」


「壊れてるのかもよ? 窓口いって、交換してもらお? つきあうよ」


「…んー…、なんか、ケチがついたら、めんどくさくなっちゃった…」


「めんどーって、珠里じゅりぃ…、

 いっしょに氷のフチ歩こうって言ったじゃない。

 入館料と靴の分、遊ばないと損だよ損! 誘ったの珠里じゅりでしょう? 

 夕姫ゆき瑠空りゅあも滑れるようになっちゃってるし…ひとりで歩きたくないよぅ」


 氷を後にして、靴底についているブレードを立て、よたよたと近づいてきたのは、渡部沙菜しゃなだ。


 部活動もクラスもいっしょのその子は、比較的、珠里じゅりと仲がよいのだ。


 その彼女が、珠里じゅりのとなりに、とさっと腰をおとした。


「ごめん…」


 謝罪をかたわらに聞いて、ふぅ…と、一息ついた沙菜しゃなは、珠里じゅりのほうを見るともなく中空に視点をおいた。


「なに拗ねてるのか知らないけどー。あんた、夕姫ゆきと前よりひどくなってない?

 駅でも険悪だったよね。仲直りするのは止めたの?」


「う~。だって…。頭いいのに、なんでって思うじゃない…」


珠里じゅりって世間体(に)弱かったんだねー」


「そんなことないと思うけど…」


「どんなやつだって少しはそうだよー。まぁ、あたしも強い方じゃないけどさー。

 よーするにぃ、ひがみ半分だとしても、頭良いヤツは、もっとちゃんとした、いい学校行けよ、ってことでしょ?

 あんたなりの思いやりかな?

 夕姫ゆき、ガツガツして見えないのに、頭いーもんねー。

 でも、統合する前の段階でケチついてるけど、あの学校、そんなに悪くないよ。

 悪い噂、払拭しようとがんばってるし。ゆるく見せても、若者の矯正、救済、発展を目標として、模範的にね…。

 動機がどうあれ、だからあんたも受けようって気になったんでしょうに。

 …特進あるっていっても、それこそって奴ばかりだろーし、一般に混ざっちゃうと、多少は頭のレベル下がっちゃうのかも知れないけど、得るものも少なくないと思うよー」


「…うん…。…」


「あれにハラ立ててもしょうがない。極楽みたいなヤツだからさ。

 裏表もなさそーだし…。

 知恵はついても天然ってやつ?」


「それを言うなら、とんぼだよ」


「トンボほどハカナクないでしょ。トンビでいいんだよ」


「うー…ん?」


「トビって、お手軽でのんきそーなイメージもあるけど、猛禽類。肉食だ。

 実物見ると、かっこいいし、…カラスとか子育て中の小鳥には追われるけどね。

 きりかえが速すぎるのか冷めてるのか、わからないところもあるけど、あの子って、薄情に思えるほど達観してるよね。

 なんか、うらやましーくらい。

 それこそ頭が良いってことなんだろーけど…。

 あれは、いまからキャリアの素質が見えてる気がするなぁ」


「そうじゃなくて…」


 珠里じゅりは、言葉をにごして、リンクの右中央に集まっている皆に視線を投げた。


 男子のうち三名が、スケート達者な和音かずねとはりあって、目立つことをしている。


 器用にも立った一人(カエルが足をそろえて膝おってるみたいな屈み腰加減ではある)が、その右前と左後ろにしゃがんだふたりと手を繋ぎ、補助輪ほじょりんにして、くるくる定位置で旋回して見せ、


 『これぞ、スパイラルスピン(俺ら流)』『氷上の大車輪』とか宣言しぬかし…。

 『あぶない』だの『人の迷惑』だの、

 『こっちに、(ぶつかりに)くるんじゃねーぞ』だのと、ブーイングされている。


 『うまく切りあげないと転けるでしょ』

 『同意だなー。どう視たってあれは、三竦みデフレスパイラルだ』

 『不況なの?』なんてやり取りが交わされているそこに、日野原ひのはら夕姫ゆきの姿もあった。


 彼らの声は、会場のにぎわいにまぎれ、珠里じゅりたちのところまでは届かない。

 それでも、楽しそうな雰囲気はうかがえた。

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