に. 夕姫 ~夢に誘われ、大失策~

に. 1


 頭上にきらめく銀色のうず…。


 赤、青、紫…。金、緑…——


 彩度の異なる銀色が大半を占めるなかに、多様な色彩の光点が、ひしめいている。


 シャンシャン……不可視のリズム。


 距離を感じさせる渦巻きの奥底から、巫女さんがうち振るう神楽鈴のような音が聞こえている。


 せまりくる華美に、圧倒されそうになる。


(こんなの現実じゃ、見られないなぁ。

 どんなに望遠鏡が高性能になっても、少なくともナマでは…――人の視力の限界越えてる…)


夕~姫ゆ~きぃ。なぁにやってる。のまれるぞ」


 彼女の後方。いくらか距離をへたところ。

 安全なポジションであがった男の声に、彼女は、むっと唇をとがらせた。


「敵は、チョーチンアンコーやヒカリキンメダイみたいなヤツだ。

 ぽけっと眺めてると、食われちまうぞ」


「わかってるよ…(食われないし)」


 おうおうに距離があり、

 こちらは、そいつ(その男)に背中を向けているので、(おそらく)普通の声の高さで言葉を吐いても届かない。


「それ、あたしが先に言ったのよ。

 どっちも知らなかったくせに…」


 夕姫ゆきは、ぶつぶつ不平をたれながら、あたりを見まわした。


 木炭のように黒い大地と、中途はんぱに暗い天上。


 淡い群青の空には、月も星もない。


 今この場所では、頭上にせまっている小宇宙に擬態した輝きだけが確固とした光源だ。


 荒涼とした大地に立つ夕姫ゆきを、ほんのりと照らしだしているそれは、特に攻撃的というわけではなかったが…。


 放つ光で獲物の気を惹いて、近づいてきたものを食らう——

 そうゆうものだ。


 処理しなければ、あらゆるものに喰らいついて肥大化し、彼女が訪れるこの場所を居心地悪くする。


 この規模になると日を変えても消えることなく存在するし、性質次第では、襲いかかってくることもある。


 彼女の感覚では、《荒らし屋》に位置付けされる、見過ごせない存在手合いだ。


 意を決した夕姫ゆきが、すいっと両手を掲げた。


 横にならべて、ひらいた手のひら。


 人差し指と人差し指、親指と親指――左右の指先をつける。すると、

 両手の間に形作られた三角から、ぼわっと、漆黒の粒子があふれ出て、ふくらみだした。


 なげ網のような動きをみせたその闇色が、彼女に迫っていた銀色の渦に立ち向かいひろがって、 すっぽりと包みこむ。


 とたんに、あたりが暗くなった。


 ぱんぱんに張ったストッキングのように薄っぺらに見えるが、破れやすいものではない。

 緻密で強靭な闇が、渦巻き型小宇宙の輝きを余さず捕縛し、ねじ伏せようとしている。


 捕らえたものを圧縮しながら、まぁるく、しぼんでゆく黒い球体。


 透けて、内包物のようすがうかがえるそれが、あっという間に小さくなる。


 中に瞬いている渦巻き銀河は、まばらな光点となって、さらにはかなく。


 縮むほど収縮力が加速し、肉眼では確認できないほどになると、それは、漆黒の大地に、ぽとっと落ちて、ころがった。


 地面の土にまぎれて、見わけもつけられなくなる。


 すっと、両腕をおろした夕姫ゆきの後ろで、ぱちぱちと手を繰り返し合わせては、はじく音がした。


「よくやった」


 拍手をきりあげて近づいてきたのは、背丈はあっても、完成するには、まだ、幾ばくかありそうな年頃の若者だ。


 歩む動作に揺れる長めかげんの髪は、赤っぽい栗色で、瞳は、はっとするような紫紺。


 さっき、離れた場所から、夕姫ゆきに声をかけた彼である。


 さばけた男子の陽気さをそなえながら、時には怜悧にも見える甘めの美貌マスク

 なによりも目につくのは、そのひとの皮膚の白さだ。


 さすがに舞妓さんの化粧ほどではないが、それが彼の地肌の色であることを夕姫ゆきは知っている。


 視力に障害はなさそうで、虚弱さも感じられないが、軽度の先天性色素欠乏症アルビノなのかもしれない。


「コウは平和そーで、いいね…」


「ん。そーでもないが…。穏やかに過ごさせてもらっている」


「たまには、手伝おうって気にならない?」


「やられるところ、気づかせてやったろ」


「やられるところじゃありませんでした」


「そうか? 俺には、やられそうに見えたんだ」


 彼は気を悪くしたようすもなく、視点を左へ流した。


 夕姫ゆきより二つ三つ上…——十七、八に見えるが、その姿、背格好は、ふたりが出会ったころからあまり変わっていない…気がする。


 住んでる土地はおろか、国籍・人種すらも不明。


 謎の多い男である。


 はじめのころ、いくつか違う呼び名を口にしていた記憶があるから、《コウ》というのも偽名かもしれない。


 それでも彼は、この界隈で彼女の話し相手となりうる、たったひとりの存在だ。


 彼に出会うまで夕姫ゆきは、この夢か現実かも不明瞭な空間で、ひとりぼっちだった。


 ずっと、わけもわからぬまま、誰かの悪夢を始末していた。


 かさばってくるとそれは、彼女の安らぎを壊すもの。

 彼女に襲いかかってきたりするもので…。

 夕姫ゆきには、それに対処する能力・うち消す力があったから、

 いつかしら、それが、他人の悪夢だということも知らぬままに対抗し、始末するようになっていた。


 コウと出会ったのは、夕姫ゆきが小学五年の時で…。


 彼女を見た時、彼は言ったのだ。



 ——…クキ? いや。天然のBAKUか…。



「なんか理不尽…。あたしひとりだけ戦ってるなんてさ」


「俺は前線向きじゃないからな。立ち向かっても食われるだけ。

 質の悪い夢、消せるのは、叩き起こす現実世界の人間とBAKUのたぐいくらいのものだ。

 おまえ、俺に玉砕しろって?」


 不平を胸に口もとをおちつかなくした夕姫ゆきが、ぷいっと、彼に背中を向ける。


 いまは何を耳にしてもおもしろくないのだ。


「荒れてるな。何かあったのか?」


「べつに。何もないよ」


 コウの手が、ぱほっと。彼女の肩に乗った。

 なぐさめというよりは、ねぎらいだろう。


「…。コウ」


「ん?」


「あたしって、なんだろう?」


「BAKUだろ? 日野原ひのはら夕姫ゆきか?」


「どっち?」


 心なしか、彼女を値ぶみするように見据えたコウの瞳の濃さが増した。


「両方だな」


「——りょうほう…か。そっか」


 夕姫ゆきは、自嘲めいた思いをふりはらって、空を見た。


 遠方に恒星が、ちらほら、ひらめきはじめている。


「時々ね、これが、あたしの夢なんじゃないかって思う時があるんだ…。

 ワンパターンで、つまらない幻想」


「まぁ、それもな…。あながち間違いじゃないだろうが…。

 BAKUは夢に負けたら死ぬぞ。

 終わりたくなかったら、気はぬくな」


「…うん」


 明け初めの空に瞬くのは、小宇宙の形をした、誰かの猛威が消えたことでよみがえった星のようなもの。

 誰かの夢のひらめきだ。


「ごめんね? ちょっと、やつあたりしたかも。

 友達とおりあい悪くてさ…」


 彼らの足もと…

 炭色だった大地は、ところどころが赤茶け、やわらかな色合いの若芽を養いはじめていた。


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