歩く本屋、司書なるもの

人生

AIのはんらんと、ある人生のものがたり




 万物万象は流転する――それはこの星が「地球」と呼ばれる以上、必然の原理であり、逃れられぬ自然の摂理であるのだろう。


 つまり、流行は繰り返す。


 ついこのあいだまで流行っていたファッションがいつの間にか時代遅れと呼ばれ、かつて一世を風靡し今や見る影もなかったはずのものが、気付けば流行の最先端と謳われる――


 かつて、全世界規模の『大厄災』によって、人類は衰退の危機に瀕した。

 社会はなんとか持ち直したが、停滞の時間は長く、その遅れを取り戻すにはこれまで通りの社会体制ではそう遠からず立ち行かなくなる――様々な改革、試行錯誤が行われるなか、国家を担う若者をより効率よく、より多く確かに輩出すべく、教育の現場にも相応の変化が求められた。


 限られた教育時間で、いかに必要なことを教え伝え、学ばせるべきか。

 必然的に行われたのは、無駄を省くこと――その筆頭として教育の場から失われたのは、いわゆる「文系」と呼ばれる科目であった。


 少年少女が文学に触れる機会を失うのと前後して、社会には人手不足を補うかのようにAI技術が広く使われるようになり――それが出版業界にも波及していた。


 AIの書いた小説の氾濫である。


 多種多様でこれまでにない新奇性と、技術の進化を人々は喜び楽しんだが――多くの雑誌が書店から姿を消し、出版社がその看板を下ろしていったのは、なぜなのだろうか。


 一般の人々にとっての娯楽はすでに、自ら積極的に文字を読み物語を理解する……相応の知識を求められる文学ではなく、仮想現実を中心としたより視覚的なジャンルへとシフトしていたのもまた、理由の一つなのかもしれない。


 なんにせよ――本は、小説は、この社会に不要なものと化していったのである。


 その最たるものが、教育先鋭都市ミネルバに見られるだろう。


 ――とある定年間近の刑事は語る。


「俺の親父の時代には、いわゆるミステリー小説ってやつは、どれも書棚の上の方、手の届かないところに置かれていたそうだ。それに手を伸ばそうとすれば、雑誌を立ち読みするような連中にも白い眼を向けられる。

 漫画を読めば馬鹿になるといったように、ミステリーは犯罪を楽しむ非常識な趣味であり、そんなものを読むようなヤツはいつか人を殺すだろう、なんてな――」


 ミネルバにある書店を名乗る建物に並ぶのは、辞典や学術書、参考書の類のみである。そこには絵本や小説、漫画といったものは存在しない。そういった娯楽を並べるのは犯罪にも等しい行為であり、この時代に仮にミステリー小説などを手に取れば、それは思想犯の仲間入りを果たすのと同義である。


 ――流行は、社会の流れは流転する。


 ミステリー小説が「危ないもの」とされた時代が笑い話になり――気付けば、それを棚に並べること自体が憚られるといった風潮になっている。


 息苦しい時代だ。

 だからこそ、人々は娯楽を求めるのだろう。


 現在、ミネルバでは、若者たちのあいだで流通される、とあるドラッグの存在が問題となっている。


 そのドラッグは人に快楽と、現実からの乖離感をもたらす。一度ハマれば抜けだせず、多用することでやがて精神に異常をきたす――そうした依存症によって暴走した若者たちが、頭に夢想した「物語」を現実にしようと罪を犯すのだ。


 ――文学ドラッグ。


 世界的な読書離れにより生じた歪みは、大人たちが読み飽きて古臭いと切り捨てた小説群を、「物語を知らない世代」にとっての脅威に、人生観を変えるほどの鮮烈な刺激へと変えたのである。


 彼らは初めて味わう活字の快感に酔い、頭のなかで展開されるこの世ならざる、いわゆるフィクションと呼ばれる現象に心を焦がす――


 書を、排斥せよ――それが現在のミネルバ警察の重要課題である。




「若者に『かたちのない本』を売る売人――お前がその『歩く本屋ブックウォーカー』だな」


 定年間近のその刑事は、ようやく一人の男を追い詰めた。


 若者たちに接触し、文学ドラッグを流通させる売人たちの大元締めと目される人物だ。


「てっきり、文庫本の詰まったスーツケースでも持ち歩いてるものと思ったが――さすがにこの時代だ。お前の持ってる電子機器の類を出してもらおうか」


 かたちのない本とはつまり、データ――電子書籍と呼ばれるものだ。


「しかし、よく考えたものだ――本を読むという行為には、相応の知識と、文意を理解する情緒が求められる。現代の教育はそうしたものを『無駄』とした。いくら文字が読めても、今の若者が小説を楽しめるとは思えない――」


 そこで、ヤツは考えたのだ。


「音声――音読。本を読みそれを録音したデータを、若者たちに売る。コピー品を捌いていた末端の売人たちはお前のことを『司書』と呼んでいたが……」


「ええ、私はその都度、その人の求めに応じた物語を、その人が好むかたちで朗読する――言葉の意味が分からずとも、ニュアンスは伝わる……そのような感性は、どんなに排斥しようと人の心から失われることはない。事実、人々は私を、書を求め続けた」


「それも、今日で終わりだ。――吐いてもらうぞ、『原本』の在処。そしてお前の裏にいる――『地下出版業界』――」


「原本? ははは、おかしなことを言う――この都市にある小説の類はもう、あなたたちが処分してしまったではありませんか。データにしてもそう、ネットには検閲が行われ、あらゆるウェブ小説サイトは閲覧できない。小説と思しきデータがあれば即刻削除、所持しているだけでも罪に問われ、聞くところによればハッカーがあらゆる電子書籍を駆逐しているそうではありませんか」


 しかし、どこかには存在するのだ。データがあれば、設備があれば、本を出版することが出来る。そも、物語があり人さえいれば、本はいくらでも生み出すことが出来るのだから。


(それらを牛耳るのが、『地下出版業界』――必ず白日のもとに引き出してみせる)


 この売人は、そのための手がかりの一つ――押収されている記録媒体にはどれも、この男による朗読型文学ドラッグが収まっていた。その種類、実に数百冊――この都市のどこかにまだ、それだけの本が物理媒体として存在しているはずなのだ。


「ありますよ、ここに。今、あなたの目の前に」


「……なんだと?」


「書は、物語は、私の頭の中にある」


「馬鹿な……ありえない! お前はまさか、数百冊もの本を、小説を、その内容を一字一句に至るまで記憶しているとでもいうつもりか!?」


「信じられないですか? なら――立証は不可能、ということ。私を逮捕しても、証拠がないなら意味はない――なにせ、私は何も持ってはいませんから。私がしているのはこの頭の中の本を、求めに応じてデータとして吹き込むことだけ。記録媒体それ自体は、お客さんが持ってくるものなのです」


 故に、私は『歩く本屋』と呼ばれているのです、と――


「なるほど、恐れ入った――その狂気。では、この俺に一冊、何かいい感じの本を見繕ってはくれないか?」


「見え透いていますよ」


「……なに、他意はない。俺もどうせ、もうすぐ定年だ。今から足掻こうと、お前たちを一網打尽にするには時間が足りない」


 そう確信せざるを得ないほどの狂気の片鱗を今、垣間見てしまったのだから。


 かなうならこの手で――


 かつて忌み嫌ったはずの『海賊技術』にまで生きるすべを求め、少しでも多くの書を世の中に残そうとした人々がいた。本をデータ化しネットの海に放り、そうやってまで小説を世に残そうと、民衆の目に触れさせようと足掻いた人々が――その意思を継ぐものたちこそ、『地下出版業界』と呼ばれるものたちだ。


 かなうなら、もう一度――彼らに日の目を見せてやりたかったのだが。


「……老後の暇つぶしに、読書でもしようと思ったんだがな」


「ならば、こういうのはどうでしょう――物語を、紡ぐのです。あなたはさぞ、物語になるに相応しい人生を歩んできたのでしょう。ならば、それを文字に、言葉にして残しなさい。……我々は、物語がなければ生き残れないのだから」


「それもまた、一興か。しかし、この歳で追う側から追われる側になるのは少々、堪えそうだ」


 刑事は笑った。

 一陣の風が吹き、次の瞬間にはもう、『歩く本屋』の姿は刑事の視界から消え去っていた。


「まるで、フィクションのキャラクターだな――『厄災指定ブラックリスト』の一人、『歩く本屋』――これが、『魔人』と呼ばれる所以か」




 ――『地下出版業界』の冬は、まだまだ続くのだろう。


 しかし、たとえ凍てつく冬を何度迎えようと、季節は巡りやがて春が訪れる。

 地球は回っているのだから。


 それまでは、自ら紡ぐ物語に熱を求めよう――決して本屋に並ぶことがないとしても、己より優れた書き手がいくらいたとしても――誰に見向きされずとも。


 書くということは、その楽しみは、他の誰にも代わることが出来ない、己だけのものである。



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