第5話 チラシを入れるな
その男の走りは早すぎて実体が見えなかった。ただ、残像が残るのみ。そして素早い手の動きはかまいたちのようだった。彼が通った後の住宅のポストには全てチラシが収まっていた。彼の名は藤堂 研。しかし、その神業を見て皆は彼をこう呼んだ。
ポスティングマスター研 ‼
第五話 チラシを入れるな
(1)
「困ったわ。・・・」
ポスティング仲間の久代さんが途方にくれている所に研が通りかかった。
「どうしたんです?」
「あら、研ちゃん。丁度良かったわ。このお宅を見て。」
研はそのコンクリート剥き出しの家を見た。屋根だけはついているが窓がない。それどころか玄関もない。そしてポストも無かった。
「これじゃあ、ポスティングできませんね。」
研が呟いた。
「そうなのよ。最近、新築されたんだけど、こんな家はじめてだわ。」
「うーむ。」
そこへ一人の白衣を着た老人が現れた。
「ワーハッハハハハ。どうだ。研。さすがのお前もこれではポスティングできまい!」
「どうして僕の名を⁈」
「お前の名は聞き及んでいるわい。気に入らんがな。」
「そんな事より、あなたがここの家主さん?」
久枝さんが困惑した顔で聞いた。
「如何にも。吾輩はドクター若松。ここの家主だ。」
「えぇ!あなたがあの有名な発明家のドクター若松?」
「ムフフ。そうなのだ。」
「なぜ、ポストを置かないの?これじゃあチラシを入れられないじゃない。」
久枝さんが迷惑そうに言うとドクター若松が反論した。
「あのなぁ。おばさん。チラシ貰うこちらだって迷惑なの!ただ捨てるだけなんだから、いい加減やめなさいよ。なんでこう、とっかえひっかえ毎日毎日同じようなチラシが入れてくるんだ。」
「おばさん?何よ。このクソジジイ!そんな事言ったってしかたないじゃない。こちらはお仕事でしているんだもの。」
おばさん呼ばわりされて久枝さんが激高した。
「ふん!」ペッペッペッ!若松が唾を飛ばした。久枝さんも負けすに唾を飛ばす。
「まぁ、まぁ。」研が二人をなだめる。
「研、お前と勝負だ。実はこの家には郵便や新聞が入れられる構造があるのだ。十分以内に探し出してチラシを入れてみよ。もし成功したらもっと分かり易いように普通のポストを設置してやろう。だが、探せなかったら。―」
「探せなかったら?」
「お前の命を頂く!ワシの新発明の殺鼠剤の実験材料となるのだ!」
「随分、差がありませんか?僕、命がけ?」
「そうじゃ。わしにとってチラシはそれほどまでに嫌いなんじゃ。」
「わかったわ。受けて立つわ。さぁ、研ちゃん、頑張るのよ!」
久枝が息巻いた。
「フォッ?勝手にそんな。・・・」
しかし研は受けて立った。タイムキーパーの若松が合図をした。
「スタート!」
研は凄いスピードで家の周りを回った。しかし、ポストは勿論、窓も換気扇もないただの箱にしか見えない。でもどこかに隙間があるはずだ。でなければ郵便物も新聞も入れられない。だが全てが閉じられていた。もしやと思い、正面に向かって傾斜している屋根に上るが、そこにも郵便物を入れられるような場所が存在していなかった。ならば地面はどうだ。案外、家の周りのどこか地面に郵便受けがあるのではないか?研はくまなく地面を這いつくばって調べた。だが、見当たらなかった。
「八分経過。わはは。研。もう時間が無いぞ。」若松が勝ち誇ったように笑った。
「チクショウ!このままでは。・・・」
焦れる研。もう一度、家を見回す。
「研ちゃん。しっかり!」久枝さんが叫ぶ。
「残り一分!」若松は勝利を確信した。
その時、研がやけくそで家を叩いた。
「パカッ」
なんと屋根全体が上に開いた。
「そうか。この家全体がポストだったのか!
道理で窓も玄関もないわけだ。」
研は腹いせにいつも以上に大量のチラシをぶち込んでやった。
「あぁ。・・・燃えるゴミの日は来週までないのに。・・・」若松は膝から崩れ落ちて泣いた。
「やったわね。研ちゃん!」
「ええ。それにしてもひどいなぁ。おばさん、勝手に人の命賭けちゃって。・・・」
「おばさん⁈」
「アッ!」
久枝さんの右アッパーが研の顎にさく裂し、研は間抜けな音を出しつつ遠くに飛んで行った。
ピュ~。
「研は死んだのか?」若松が久枝に聞いた。
「あの子の事よ。きっとどこかの木にひっかかっているわ。」
「そうなの?」
「・・・・・。」
久枝にも確証はなかった。
(エンディングテーマ)
ひとり、今日もひとり。
ポストにチラシを入れる日々。
会社から渡される住宅地図が
実際と違うと途方にくれる。
ああ、ひとり、今日もひとり
この道、さっき通ったぞ。
迷っている。俺。
ラララ、ルルル。
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