深夜二時半の本屋さん

双瀬桔梗

深夜二時半の本屋さん

 あおこうろうが初めてその本屋を訪れたのは、彼が三十歳になる年の初夏だった。

 実家に帰省していた幸路郎は深夜二時過ぎ、そっと玄関を開け閉めして、散歩に出かける。彼はあおみちこうのペンネームで名を馳せる、売れっ子ミステリー作家だ。

 幸路郎は新たな小説のネタを求めて、頻繁にあちこち歩き回っている。久々に地元へ帰ってきたのもあり、彼は気分が高揚していた。

 散歩なら昼間にもしていたが、普段は出歩かない時間帯であれば、新たな発見もあるかもしれない。そんなささやかな期待を胸に、幸路郎は昼間と同じルートを辿った。

 しばらく歩いて、幼い頃からよく行っていた小さな本屋さん……があった、空き地の前で幸路郎は立ち止まり、困惑する。

「なんやこれ……」

 昼間、ここへ来た時はなかったはずの小さな建物を目の前に、幸路郎は口をポカンと開く。看板の大きな文字は見慣れないものだったが、その下に小さく『グラディウス書店』とも書かれている。

 幸路郎は目を擦り、「夢でも見とるんか?」と自分自身に問いかけた。次に頬をつねると痛みを感じ、いよいよこれは現実であると認めざるを得ない状況になり……幸路郎は内心、ワクワクした。この建物の扉を開けたらどうなるか分からない不安より、どんな本が販売されている店なのか知りたい好奇心の方が強い。それゆえ、幸路郎は迷わずその本屋の扉を開いた。

 店内を覗くと内装は思っていたより普通で、街の小さな本屋さんといった感じだ。ただ、よく見てみると、知らないタイトルの本がズラリと並んでいる。幸路郎は外国の本についても、そこそこ詳しい方なのだが、どれも知らない書物ばかりだ。そもそも看板の大きな文字同様、タイトルの字すら読めない。

 店の奥の左端にはカウンターテーブルがあり、その向こう側には和装姿の男性が一人、椅子に座って静かに本を読んでいた。恐らく店主であろう男性は、幸路郎に気がつくと顔を上げ、会釈する。

「こんばんは。今ってお店やってますか?」

 幸路郎の問いかけに、店主はコクリとうなずく。不機嫌そうなツンとした表情だが、「何かあれば、気軽に声を掛けて下さいなのだ」と言った口調は柔らかい。

 店主の返答を受け、幸路郎は本屋に足を踏み入れ、扉を閉めた。その瞬間、ガラス戸から見える景色は真っ暗な道から、西洋風の明るい街並みに変化する。店の前を通る人は皆、店主と同じような和装で、顔が動物の者までいる。

 諸々の状況から幸路郎は、“ここはきっと、異世界の本屋さんなんやろうなぁ”と一人、納得した。異世界転生・転移モノも好んで読んでいるとはいえ、飲み込みが早過ぎる気もするが、これもまた彼の良い所であると言えるだろう。

 それに、異世界へ足を踏み入れた事よりも、ずっと気になっている箇所が一つある。店内を覗いた時から幸路郎は、もしかして? とは思っていたが、その棚に近づいた事で確信に変わる。

 カウンターテーブルの隣の棚には、『碧路幸志先生コーナー』の文字があり、彼の歴代の小説が全て、表紙の見えるかたちで置かれていた。可愛い小動物のイラストと共に、作品ごとの手書きPOPも添えられている。日本語の下に記された文字は恐らく、この世界の言葉なのだろう。

 異世界でも自分の小説が販売されている驚きで固まっていると、隣でガタッと音がする。

 ハッと我に返った幸路郎が視線を移したところ、険しい顔で立ち上がっている店主と目が合った。

「まさか……碧路幸志先生……?」

「へ……あぁ!」

 店主の問いかけに幸路郎は一瞬、なぜ自分の顔を知っているのかと戸惑った。しかし、ふと今月発売した雑誌のインタビューで顔出しした事を思い出し、「そうです」と答える。幸路郎の言葉に、店主はワナワナと震える手で読んでいた本の表紙を掲げた。

「拙者、碧路幸志先生ファンなのだ、です。今まで出た作品、全部読んでいるのだ。どれも面白くて大好きなのだです。雑誌のインタビュー記事も読みましたのだ」

 表情はツンとしたままなのに、声は緊張と歓喜に震え、語尾も無茶苦茶になっている。店主が手にしている本は昨日、発売されたばかりの『碧路幸志』の新作小説だ。

「店主サンの、碧路幸志の作品が好きって気持ち、めっちゃ伝わってきてなんや嬉しいです。こんな立派なコーナーまで作ってくれて、ありがとうございます」

 幸路郎はどこか照れくさそうに笑い、頬をかく。

「これは……拙者が勝手にやった事なので……」

「まさか異世界の人にまで読んでもらっているとは……僕の本、読むようになったきっかけとか、聞いてもいいですか?」

「もちろんですなのだ。実は……」

 店主の話によると、初めて訪れたで行き倒れているところを助けてくれた人に、碧路幸志の小説を貰ったのがきっかけだった。そこから碧路幸志のファンになり、定期的に日本で働いて稼いだお金で、彼の小説を購入しているようだ。

 余談だが、店主の第二の母である女性がこのの住人であった事から彼は元々、日本語を理解していたらしい。

 空き地に本屋が現れたのは、店主にとって兄のような存在であるの悪戯心が原因だと言う。けれども、二つの世界が繋がるのは一日に一時間だけで、特定の人間にしか本屋は見えないそうだ。

 一通り経緯を説明した後は幸路郎に求められるままに、店主は小説の感想を語り続けた。その間も店主の言葉と表情はほぼ一致していなかったが、自然と敬語が取れる程には、二人の距離は縮まっていった。

「拙者はあまり、気持ちを上手く表情に出せなくて……きちんと伝わっているか、不安になるのだ……」

「う〜ん……それでも店主サンの気持ちは伝わってくるし、僕は素敵な個性やと思うで?」

 話に区切りがついたところで、店主はわずかにシュンとして、そう口にした。それに対して幸路郎は、前向きな言葉を返し、ニッと笑いかける。

「そういえば、本名の方はまだ名乗ってなかったね。僕は碧志幸路郎。これからよろしくね」

 ふと思い出したように、幸路郎は自己紹介すると、店主に手を差し出した。

「拙者の名はタシターニ・グラディウス。こちらこそ、よろしくお願いするのだ」

 店主……タシターニは差し出された手を握り、ペコリと頭を下げる。


 こうして幸路郎は、異世界の本屋とその店主・タシターニと出会った。それ以来、彼は実家に帰省する度に、深夜の散歩に出掛けている。



 深夜二時半から三時半までの時間。何事にも動じない、本好きの人だけに見える、『グラディウス書店』を訪れるために。

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深夜二時半の本屋さん 双瀬桔梗 @hutasekikyo_mozikaki

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