2-4 痛みや傷や嘘に慣れた僕らの言葉は

 呪いの解き方は主に言霊による自己催眠、御札や水晶のブレスレットを身につける行為、お香を焚いて空気を換気する、禊による浄化、具体的には風呂に入ることなどがある。風呂に入った水をすべて流し、換気扇で乾燥させる。これが簡易的な禊になる。あとは専門家への依頼。今回のパターンはこれに該当するわけだが、結果的にはお祓いによる解決となった。基本的に対処療法として施されるのがお祓いだ。もっとも効果がありそうで効果的に思えるから、呪いの場合お祓いが行われることが多い。しかし、それですべて解決することは滅多になく、逆にお祓いだけで解決してのであればそれはよほど軽度の案件であったということになる。呪いは人の怨念によって作られるもの、つまりは怨恨、怨みや恨みが根源となっていることが大多数でそれを利用して行われることが善意的にせよ悪意的にせよほとんどだ。そして目に見えない感情や概念としての怨みや恨みは怨恨という怪異としての形になって現れ、実害を人間に及ぼす。これが現代の呪いとしての妖懸しの正体。縁根などと記す場合もあり、人間関係としての縁に深く携わる怪異である。



 縁恨は正体不明だ。



 実態があるのか無いのかわからないし、定形か不定形かも不明。色も姿も輪郭も。匂いや触感に至るまですべてが不明で、だからこそどんな姿でも縁恨、怨恨であると呼べる。今回俺と庵原が遭遇したのは無色透明不可視、不定形ながらも輪郭と実態を持つ幽霊のような気体のような存在だった。それが何かと言われたら何であると明確に事得る答えることはできないが、それが怨恨かと聞かれれば間違いなくそうだと答えることができる。怨も縁もないと存在すらしないのが呪いという妖懸しだ。



「こうしてみていると本当にお祓いしているみたいだよな」



 俺と庵原は後ろで、本職に着替えた秋田谷のお祓いを見学していた。もちろん、田中さんの呪いの件である。



「久遠氏、何を今更。ひかりんは本物だを?」


「いや、そうじゃなくてな。呪われているかどうかなんてのは、本人の自覚次第なところもあるわけだろ? だから本当にお祓いを受けたのなら、呪いもそれは本物足り得るんじゃないかって」


「を? 難しいを」


「まあ、いいさ。独り言だ」




 別に俺は今回の呪いが最初から偽物で、出任せだったなんて言うつもりじゃない。ただ、本物であったと確かに言うことはできないのだ。怨恨か縁恨という妖懸しかと聞かれれば、あれがそうだと言えるが、しかしそれ自体が本物の妖懸しである証明ができるわけではないので、思い過ごしだ、勘違いだ、偶然の一致だと言われれば言われたほうが事実となる曖昧さがある。呪いのせいだというのが言い掛かりだといえばそこまで。どれだけ儀式的なことや魔術めいた事をやって結果が伴っても、そこに因果関係を導き出すのは難しい。呪術は科学ではないから。オカルトであるから。だから、本物のお祓いを受け、浄化されるというのなら、浄化前の呪いという状態を確かに示せるのではないか。そう、ふと思っただけ。それだけである。



「……はい。おしまい。終わったわよ」


「ありがとうございます……これで私は、私は……」



 お祓いを終えた彼女は視線とその安堵の答えをこちらに向けてきたので、俺は仕方無しに答える。依頼人を安心させることも仕事の内、だからな。



「ああ、大丈夫。もう心配はいらないよ。少なくとも、この呪いの件で今後悩むことはないだろう。もちろん、被害者と加害者の双方にこれから実害を被ることもなし。呪いについては解決終了。あとは自分でなんとかしてくれ」


「あと、って……?」


「縁は切れてないだろう? 怨恨は消えても縁は残る。人間だからな。その後の人間関係までなんとかできるほど、僕らは器用じゃないし何でも屋をやっているわけじゃない。あくまで妖懸し退治が専門だから」


「……わかりました。そこはなんとか、やってみます。私がちゃんと向き合ってみます。……本当にありがとうございました。気持ちがすごく軽くなったような、そんな気がします」


「そう。それは良かったわね」



 秋田谷は事務的にそう言うと、お礼で頭を下げて目を潤ませている加害者から離れてシャワー室へと向かった。お祓いは神経を使うので、汗をたくさんかくのだ。 



 呪いの件が解決したあとは、自分たちの人間関係をなんとかしなくちゃだな。





※ ※ ※






 その晩。ハリカルでテキーラ・サンライズを傾けていた俺はマスターと話をしていた。話題はもちろん、秋田谷についてだ。



「マスターはどうするんです? お店は続けるんですか」


「ああ、もちろんだよ。ひかりのお父さんとは長い付き合いだからね。それを無下にはできないかな」


「秋田谷……ひかりさんからは何か、理由とか聞いていないんですか」


「残念ながらね。それがわかれば悩むことないんだけど」


「そうですよね……」



 俺はカクテルのグラスをまた少し傾ける。マスターなら何か聞いているかと思ったんだけどな。本人に直接聞いてもはぐらかされるだけだし。なんかこのまま自然と関係がなくなるのかな。それは、なんか寂しい。俺はそう思う。



「いや、そういえば一つだけ……」


「? なんです?」


「いやね。光陽、最近本殿の方に足を運んでいるみたいなんだよ」



 本殿? ああ、秋田谷神宮。秋田谷の実家の方か。あれは確か新幹線で五駅くらい先だったような。



「それも頻繁に。なんかあったのかもしれないし、単なる家族のことかもしれないから、聞くに聞けてないけど」



 ふむ、それは確かに気になるな。新幹線を何往復となると、それこそ交通費も馬鹿にならない。よっぽどのことがない限り、実家とはいえそこまで通うことはないだろう。じゃないと一人上京してきている意味がなくなる。となるとやはり、そのが起きたということか。



 秋田谷神宮ならば場所はわかる。今度の休みに参拝がてら様子を見に行ってみよう。もしかしたら秋田谷がバイトを辞める理由がわかるかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る