【KAC2023①】その本を読んではならぬ!

鐘古こよみ

その本を読んではならぬ!

 長年、小説投稿サイトの片隅に居座り続け、ついに念願の書籍化を果たした。

 今日は単行本の発売日。朝から目立たない服を選んで町の本屋に繰り出したのは、どんな人が私のデビュー作を手に取ってくれるか、こっそり観察するためだ。


 一般客を装って柱の陰に陣取り、新刊が平積みになった一角を見つめる。

 あった。紛うことなき私の本だ!

 輝く表紙に目を奪われながらも、私は急に不安を覚えた。

 多くの人に楽しんでもらえるよう、担当編集者の助言は全て受け入れ、推敲を重ねてきたはずだ。それでも私の本を読んで不快に思い、SNS等で被害感情を訴える読者は現れるかもしれない。


 そういう考えは一度浮かぶと、どんどん膨らんでいくものだ。

 どうしよう。あそこにある私の本、いっそ全部買い占めてしまおうか。


 その時、音もなくスッと現れた影が、流れるような動きで私の本を手にした。

 息を殺して正体を見極め、私は瞠目する。

 緑の皮膚、指の間の水かき、頭の上の皿。

 河童だ。誰がどう見ても立派な河童。これはまずい!

 あの本の中で河童は資本主義経済の犠牲となり、市場という名の鎖に繋がれ、回転寿司屋の皿として働かされる運命なのだ!


「待ちなさい、その本は駄目だ!」

 柱の陰から飛び出し、私はとっさに掴んだ『遠野物語』を差し出した。


「こちらの方が本格的で、あなたに相応ふさわしい」

「これはどうも、ご親切に」


 河童は礼を述べて立ち去った。私は額の汗を拭い、柱の陰に戻る。

 まさか河童が買いにくるとは、なかなか油断できない本屋だ。そう思った矢先、早くも次の影が現れた。尖った頭頂部、全身を覆う毛、類人猿に似た顔立ち。

 イエティだ。どこからどう見ても本物のイエティ。これはまずい!

 あの本の中でイエティは頼れる先輩として登場しながら、土壇場の裏切りで主人公パーティの大半を死に追いやり、最後は千もの肉片に切り刻まれて壮絶な死を遂げる憎まれ役なのだ。アニメ化の暁にはBPOの反応も危ぶまれる!


「いかん、その本は呪われている!」

 私は縮地法で距離を詰め、毛むくじゃらの手の中にある自著と、表紙にムーと書かれている雑誌とをすり替えた。


「真実はこの書物に隠されています」

「ご助言、いたみいります」


 イエティは綺麗なお辞儀をしてレジに向かった。ひと息ついて柱に戻ろうとした私の脇の下から、早くも次なる刺客の手が伸びる。反射的に手刀で手首を叩き身を反転させた私は、とんぼ返りで距離を開け着地と同時に半身に構えた相手と対峙した。叩かれた手首を反対の手で掴み、悔し気な鋭い眼差しでこちらを睨みつけているのは、近くの高校のセーラー服を着た女子高校生だ。


 馬鹿な。こんな何の変哲もない昼日中の本屋に、なぜ女子高校生が!?


 まずい。非常にまずい。あの本の中で女子高校生は、地の文の情景描写も含めて、一人たりとも登場しないのだ。しかし、同じ年頃の男子は登場する。昨今盛り上がりを見せているSDGsの第五の目標「ジェンダー平等を実現しよう」に思いっきり逆行しているのではないか。差別的思想を指摘されたら、まず言い逃れできない。

 それに気になるのは、親の敵にでも会ったかのような、この溢れ出る殺気だ。もしや彼女、同じ小説投稿サイトに登録していて、作品を既に読んでいるのでは!?


「何か言いたいことがあるのなら、『舞姫』を読んでからにしてもらおうか!」

「触られました。この人痴漢です!」


 あっという間に屈強な店員が数人駆けつけてきて、私は取り押さえられた。

 見計らったかのように、老若男女の大群が押し寄せて新刊コーナーに殺到する。

 手に手に私の本を持ち頭上に掲げたり槍の先に引っ掛けたりし、戦いを終えた人々は胸を張って凱旋パレードよろしく、勇壮な足取りでレジへ向かって行進してゆく。

 私は肉の檻の中から、天地を貫かんばかりの長大な悲鳴を上げた。


「その本を、読んではならぬ!!」



<了>

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