3月28日 興味の境界


 春の味は、苦味だ。つくし、菜の花、ぜんまい等々、春に特有の食材はほのかに苦い。苦味こそが春だ。

 季節の味を考えると、それぞれの季節によく合った味があるものだなと感心する。春の苦味に始まって、夏の味は酸味、秋の味は甘味だ。冬の味は塩味だろうか。季節に合った味は、普段にも増して体の奥底まで染み入ってくるような気がする。菜の花を食べながら、しみじみと思う。


 私は、あまり食に頓着しない方だ。美味しいものは美味しくいただくが、日々の食事は必要最低限の栄養素が摂れ、かつ腹が満たされればそれでいいと思っている。

 おにぎりとから揚げ(お惣菜)とトマトだけで生活していたころもある。おにぎりで炭水化物を摂り、から揚げでタンパク質と脂質を摂り、トマトでビタミンを摂る。理論上は完璧な食生活なはずである。実際、目立った不調も出なかった。(私は常にどこかしらに不調を抱えているので、それ以外の不調がなかったという意味である)

 なお現在は、それよりは多少ましな食生活を心掛けている。


 ただ、いくら食に興味がないとは言っても、時々は何か美味しいものが食べたくなる。そういうときに私を満たしてくれるのが、旬の食べ物だ。

 私が「何か美味しいもの」を欲したとき、「美味しいもの」の詳細が決まっていることは滅多にない。何でもいいから、とにかく美味しいものが食べたい。「何でもいい」というのが、一番困るのである。そんなとき私は、スーパーの野菜コーナーをくまなく見てまわる。



 夏ならば、まず第一候補はスイカだ。夏蜜柑でも良い。トマトはいつも食べているけれど、普段は買わない銘柄のものを買っても良いし、キュウリを漬けても良い。オクラも捨てがたい。

 秋ならばサツマイモが良い。ちょっと手間をかけて栗ご飯を炊いても良い。魚を買ってキノコと一緒にホイル蒸しにするのも良い。

 冬はとにかく鍋だ。白菜も大根もネギも何もかも鍋に突っ込んで、味噌で味付けをすれば間違いない。

 そして春は、菜の花だ。何につけても菜の花だ。これを食べないことには、春が来たという実感がわかない。


 こうして書いていると、私って案外、食に対して気をつかっているのでは? という幻想を抱き始めてしまう。もちろん幻想である。いつかよりはましになったとはいえ、いまだに「米とみそ汁と納豆を食べていれば完全食」などと考えている私が、食を語ろうなどと千年早いというものだ。

 この場合、食の方が私に歩み寄ってくれているのである。こんなに美味しいものがあるよ、食べなさいよ。と、優しく私を手招きしてくれている。私の方も、普段は食になんて興味がないくせに、春があんまり美味しそうなものだから、ついつい手招きされる方へ寄って行ってしまう。興味の境界を越えて、ちょっとだけ「向こう側」へ。



 常々思っていることがある。雑草にしろ虫にしろ、道端には面白いものがたくさんあるのに、どうして多くの人々は素通りしてしまうのだろう、ということだ。春なんて特に、信号待ちの間にちょっと辺りを見回すだけで、あらゆるところに春がある。これまでこのエッセイで書いてきたことのような、花であったり虫であったり、とにかく数えきれないほどの春がそこら中に落ちているのだ。

 それなのになぜ、誰もかれも、スマートフォンを見ているのだろう。


 しかし結局これは、「注目する場所が違う」というだけのことなのだ。私が花壇にしゃがみこんで虫を探している間、隣に立っているお姉さんはスマートフォンで、今夜の食事のレシピを確認しているのかもしれない。きっと私よりもずっと人間らしい食生活をしているのだろう。

 そういう人たちからしてみると、私の生活はとても信じられないものであるに違いない。世の中にはこんなに美味しいものがあふれているのに、どうして毎日同じようなものばかり食べているんだ。もったいない。損している。そう思うだろう。


 彼らが虫に頓着しないのと同じように、私は食に頓着しない。それは、何を大切に思うのかの違いでしかない。

 日々の食事であったり、人間関係であったり、見た目を綺麗に整えることであったり、人には人の「大切にしたいこと」がある。その興味の境界を越えて、全てをこなすのは難しい。ゆえに、何かを大切にすると何かがおろそかになる。



 そうか、そうだよなあ。改めてその事実をかみしめながら、私は今日も簡素な夕飯を食べる。雑穀ご飯、お豆腐の味噌汁、納豆、キャベツの味噌炒め。もう少しタンパク質を増やせと各方面(友人ら)から言われている。

 私が、食事に割くリソースを虫探しに割いているように、道行く人々もまた、虫探しに割けるリソースを他のことに割いている。そういうものだ。


 私にとっての春は、境界ブロックの隙間にスミレを見付けることであり、そこにツマグロヒョウモンの姿を探すことである。けれど、人には人の春がある。春の旬のものを使った料理を作りたい人もいるだろう。花見や行楽などといった、春のイベントを楽しみたい人もいるだろう。私の春が誰にも否定されてはならないように、誰かの春もまた、否定されてはならない。


 でも、信号待ちの間に10秒だけでもいいから、ちょっと周りを見てみない? と、私は通行人らにこっそり念を送る。

 私が時々、旬の美味しいものに引き寄せられて、普段は興味のない「食」にちょっとだけこだわってみるように。普段は興味がなくっても、時々は興味の境界を越えて、花壇を覗き込んだりしてみるといい。

 きっと、ちょっとだけ楽しい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る