3月25日 利用するものされるもの


 散歩に出た際に、テントウムシの幼虫を見付けた。今春初の幼虫だ。もうそこそこ大きく育っていて、カラスノエンドウの上でアブラムシをもりもり食べていた。思わず、何枚も同じようなアングルで写真を撮ってしまう。生きものが何かを食べている様子というのは、なぜこうも魅力的なのだろうか。


 今日も一日中気温が高めで、生きものたちは春を謳歌する。運の悪いカラスノエンドウは、茎にびっしりとアブラムシを引っ提げて、暖かい春の風に揺れている。そんなカラスノエンドウにとって、テントウムシの幼虫はさながら救世主に違いない。

 テントウムシの幼虫は(成虫も)、アブラムシをそれはもう大量に食べる。見ているこちらが気持ちよくなってくるほどの食べっぷりだ。実際今日も、ゆうに10分以上はテントウムシの食事を眺めていた。



 テントウムシの幼虫は、見た目の割りに結構素早い。ああいう、脚が短くて体が扁平な虫は、のそのそゆっくりと動くという勝手なイメージがあったのだが、テントウムシの幼虫の動きを見てからは、そのイメージを改めざるを得なかった。重そうな腹を引きずりながら、テントウムシの幼虫は実に素早く動き回るのだ。カラスノエンドウの茎から葉、くるりと伸びた細いつるの上まで、アブラムシがいないかどうかしらみつぶしに(アブラムシつぶしに?)探し回る。


 ところで皆さんの中には、理科の時間に、アブラムシとテントウムシとアリの関係を習った人もいるのではないだろうか。

 アブラムシはお尻から甘い蜜を出す。その蜜を目当てにやって来たアリに、テントウムシの幼虫を追い払ってもらう。アブラムシとアリとは、そういう共生関係にあるのだ。

 ……というのが、もちろん定説だ。


 しかし私は、こうして今日のようにテントウムシの幼虫の食事を眺めていたりするのだが、どうにもこの「共生関係」は若干怪しいのではないかと疑っている。というのも、見ている限りでは、アリは割りとテントウムシの幼虫を無視するのだ。



 アリという虫は、非常に攻撃的な虫だ。人間からすると、アリさんは甘いものが好きで~小さくて~働き者で~……という「善」なるイメージがあるかもしれないが、その実アリは狂暴な狩人なのである。

 大抵の虫はアリを嫌がる。顔を合わせただけで攻撃されるし、下手をしたら殺されて餌にされてしまう。花外蜜腺という器官をわざわざ作り、蜜を出してアリを呼び寄せて、虫除け代わりにする植物もあるほどだ。(アカメガシワ、イタドリなど)


 そこに存在するだけで虫除けになるアリであるが、確かにカラスノエンドウの茎の上にも、ぽつぽつとその姿を見ることができる。びっしりとついたアブラムシたちの上を歩きまわり、蜜を舐めているのだろうか。同じ場所に、テントウムシの幼虫もいる。アリは特にテントウムシを追い払うでもなく、テントウムシもアリのいる場所を嫌がるでもなく、両者つかずはなれずの位置でおのおの何やらに励んでいる。

 というか、アリは何をしているのかよく分からないが、テントウムシは明らかにアブラムシをもぐもぐしている。それでいいのかアブラムシ。アリは、テントウムシを追い払うのではなかったのか。



 調べてみると、アブラムシはアリのためにわざわざ蜜を出しているわけではなく、あれは彼らの生理現象としての排出であるらしい。要はおしっこだ。おしっこに糖分が多く含まれているので、アリがそれを舐めにくる。植物の花外蜜腺とはわけが違う。どうやらアブラムシとアリの間には、案の定、それほど強固な絆はないらしい。(植物とアリとの間に絆があるのかと言われると、多分そんなこともないが)


 しかも調べていくにつれて、「なんならアリも時々アブラムシを食べる」とかいう最悪な情報まで出てきてしまった。それでいいのかアブラムシ。

 排出物とはいえアリに糖分を提供し、たまに自分も食べられてタンパク源も提供する。アブラムシ、なんということだ。利用する利用される、とかいう次元を超えている。完全に常備食扱いである。

 自然発生かと思われるほどやたらと増え、平気で植物を枯らしてしまう驚異の繁殖力さえなければ、ついついアブラムシに同情してしまうところだった。



 生きものの世界は非常にシビアだ。先ほど「絆」などという単語を出しはしたが、そんなもの自然界にありはしない。いや、少しはあるかもしれない。人間が持っているくらいだ、ほかの生きものが「絆」という概念を持っていても、不思議ではない。しかし、そうそうあるものではないだろう。


 共生関係は簡単に崩れる。相利共生(お互いに利益のある共生)が、ほんの少し条件が変わっただけで、あっさりと片利共生(片方だけが利益を得る共生)になり、下手をしたら捕食・被食関係になったり、寄生・宿主関係になったりする。

 人間が抱きがちな「厳しい自然の中で、両者は健気に支え合って生きているんですね」なんて幻想は、絶妙なバランスの上に成り立っているに過ぎない。誰だって、対価なしに自分だけが得できるならば、その方が良いのだから。


 そんなシニカルなことを考えながら、今日はたっぷりとテントウムシの食事を眺めてきた。実に満足。私の心は満たされた。これもある種の「利」だろうか。

 テントウムシもまさか自分の捕食行為が、一匹の大型哺乳類の何らかの欲望を満たしているなどと、夢にも思うまい。


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