3月18日 みかんちゃんとすみれちゃん


 暖かくなってからというものの、我が家のアイドル、みかんちゃんとすみれちゃんがとても元気だ。みかんちゃんは、新芽をどんどん伸ばして枝分かれの準備をしている。すみれちゃんも、丸葵の形をしていた葉は槍型に尖り始め、茎の黄緑色に紫色が混じり始めている。

 今回は、みかんちゃんとすみれちゃんが、いかにして我が家のアイドルの地位を獲得したのかをお話したい。



 事の始まりは去る2022年春のことだ。私はふと思いついた。大好きなスミレを、家で見られたら素敵ではないだろうか? 調べてみたところ、スミレの種まきに適しているのは5月頃だという。さっそく私は道端のスミレから種を採取した。思い立ったが吉日である。


 スミレの完熟種子は、一度寒さを体験しなければ発芽しない。冬以降に採種したものを発芽させるには、湿らせたティッシュに包み、冷蔵庫にしばらく入れておく「休眠打破」という行程を必要とする。

 そこで3月頃に採った種を、5月まで冷蔵庫に入れておくことにした。2か月分も冬を疑似体験させれば、充分だろう。5月を迎え、いよいよ発芽させる。


 冷蔵庫から出した種を、改めて湿らせたティッシュの上に乗せる。ここからは直射日光を避けた常温下で、乾燥させないように管理する。さて、あとは待つだけだ。



 ところが、ところがだ。待てども待てども、芽が出ない。1週間から3週間前後で発芽すると踏んでいたのだが、1か月が過ぎた。6月になり、季節は梅雨である。

 まだ芽が出ない。待つことに飽きた私は、一部の種を残して、残りを全てプランターに撒いてしまった。遮光してはいたがティッシュの上だと明るすぎるか、あるいは水を切らさないように気を付けているとはいえ、どうしても乾燥してしまうのかもしれないと考えたのだ。土の中なら、温度も湿度も一定に保てるだろう。

(本当は、発芽ポットに撒く方がよかったのだろうが、用意していなかった)


 種を撒いたプランターに、水をやる。土を乾燥させてはならない。こまめに水をやる。一見して何も生えていないプランターに、水をやる。

 正直に言って、とても虚しい。スミレは一向に芽吹かず、謎のキノコ(白)は二度ほど芽吹いた。(除去した)


 人間、一度「これはもしかして、失敗なのではないか?」と思い至ってしまうと、どんどん自分の行動に自信が持てなくなってくる。自信が持てなくなってくると、やる気がなくなってくる。しかし、やる気がなくなったからといって水やりをしないわけにはいかない。土の下には、いつ芽吹くとも知れないとはいえ、間違いなくスミレの種があるはずなのだから。

 しかし、虚しい。私はいつまで、虚無に水やりをしなければならないのだろう。



 そんなふうに辟易していたある日、スーパーで驚くほど安かった夏蜜柑(田舎だからか、時々とんでもない安価で野菜や果物が売られている。ただしだいたい虫付き)を購入した。味はもう顔が歪んでしまうほど酸っぱかったのだが(最終的にはちみつをかけて完食した)、私の目にとまったのは、果実の中にちょこんと鎮座している、しずく型の種だった。

 柑橘類の種子は、発芽率が非常に高いと聞く。スミレは全然芽を出してくれないし、もういっそ、夏蜜柑植えちゃうか。はっはっは。

 ……ほんの出来心だった。


 夏蜜柑の種を水で洗い、外側を覆っている硬い膜を剥がす。そして、ティッシュ上に残していたスミレの横に置いてみる。発芽したら面白いな、などと生ぬるいことを考えながら。

 特に引っ張るようなことでもないので、さっさと結論から言ってしまうが、3日で発芽した。1週間以内に8粒全ての夏蜜柑が発芽した。(正確には、発芽ではなく発根)


 この時の、私の複雑な心中をお察しいただけるだろうか。発芽は嬉しい。でもお前じゃない。いや、お前じゃないなんて言ったら、せっかく発芽した夏蜜柑に失礼か。でもお前じゃないんだよなあ……などと考えながら、ある程度根を伸ばした夏蜜柑の種を、スミレの種が眠るプランターに植えた。


 ここでもう1つ別のプランターを用意しなかったあたりが、私のずぼらなところなのだが、とにかく夏蜜柑は無事に成長し、柑橘類らしい光沢のある双葉を夏空に揺らすこととなった。我が家にみかんちゃんが誕生した瞬間である。


 では、焦らし上手のすみれちゃんは、結局いつ発芽したのか。時は流れ梅雨どころが夏も過ぎた、10月のことだ。あれほどうんともすんとも言わなかったスミレが、一斉に発芽を始めた。

 恐らくは休眠打破が不十分で春の間に発芽できなかったうえに、すぐに夏を迎えてしまって(スミレの発芽適温は20℃前後)、発芽のタイミングを逃していたのだろう。

 これは完全に誤算だった。季節は秋から冬へと移り変わろうとしており、これからは日照時間も減る一方だし、もちろん気温も下がる。芽が出てくれて嬉しいけれど、大丈夫だろうか。ちゃんと育つのかな。喜びと不安の中、すみれちゃんは誕生したというわけだ。



 誤算と波乱の中で誕生したアイドルたちは、その後もたいへんな道を歩むこととなる。8本あったみかんちゃんはなんやかんやで3本にまで減り、すみれちゃんも6株くらいにまで減少した。やはり、芽吹いたばかりのタイミングで冬を迎えるのは、なかなかに厳しいものがあったらしい。みかんちゃんも、なぜだかどんどん白化枯死してしまった。水分不足が考えられる第一の原因だが、正直よく分からない。


 メンバーの脱退が相次いだ冬だったが、しかし、今残っているみかんちゃんやすみれちゃんは、見たところとても元気だ。春を迎えて、いよいよ活力がみなぎっている……ように見える。


 気温と天候を見て、良い頃合いに植え替えをしてやらなければならない。空いたプランターには、またどこかから採ってきた雑草の種でも植えよう。

 コメツブツメクサあたりが、良いかもしれない。


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