3月14日 ナルシストなナルキッソス


 田舎の夜は暗い。

 住んでいる場所が田舎かどうかを知る基準のひとつとして「夜に散歩する人が懐中電灯を持っているか」というものがある。(ほかには「その辺にコイン精米機があるか」「自転車中学の中高生がヘルメットをかぶっているか」などがある)

 田舎の夜は、とにかく暗い。街灯りもないし、街灯もない。田舎は多くの人が車で移動するため、歩行者というものをあまり想定していないのだ。ゆえに歩道がないところも多いし、街灯がないので真っ暗(本当の意味で真っ暗)という道も多い。あぶない。

 ゆえに、夜の田舎散歩には懐中電灯が必須なのだ。


 先日、夜に出歩く機会があった。私の住んでいるところは、近くに小中学校があるためか、歩道も街灯も比較的整備されている。しかし、それでも暗い。街灯から次の街灯までがとても長いので、やはり懐中電灯が欲しくなる。

 私はスマートフォンのライト機能をつけて、足元を照らしながら歩く。車やトラックが脇を通り抜けるたびに、ぬるい春の空気が頬をなでていく。



 ふと、風圧に乗せられて、滑らかで甘い香りが鼻をくすぐった。立ち止まって、ライトは足元を照らしたまま、辺りを見回す。スマホライトの反射光を受けて、その花は暗闇の中にひっそりと浮かび上がっていた。水仙だ。

 白い水仙が、歩道の脇にある小さな花壇に咲いていた。

 夜道を歩くときは白い服を着ろというが、その重要性が水仙を見ているとよく分かる。真っ白な花弁は、闇の中でもわずかな光を受けて、ほのかに白く浮かび上がって見えるのだ。皆さんも暗い道を歩くときは、黒い服を着るのはやめよう。車に轢かれてしまう。あぶない。


 それにしても水仙という花は、見た目も香りもよく目立つ。夜に咲く花はたいてい、真っ白かつ匂いが強い。夜行性の虫を効率的に誘引するためだ。しかし水仙は昼間もばっちり咲いているし、そもそも水仙のほとんどは球根で増える。

 虫を誘引するわけでもないのに、白くよく目立つ見た目。思わず足を止めてしまうほどの華やかな香り。水仙はいったい誰のために、これほどまでに「誘引する」特性を持っているのだろう。


 そこまで考えて、いや、誰かのためである必要なんてないか。と私は思いなおす。

 見た目や香りが素晴らしいことが、必ずしも繁殖に結びついているわけではない。それって、なんだか面白いじゃないか。人間だって、見た目や中身を磨くことが、必ずしも「誰かのため」である必要なんてないんだし、水仙だってそうだろう。



 水仙は、英名を「ナルキッソス」という。ギリシア神話に登場する、水面に映る自分の姿に恋をした美少年の名前だ。「ナルシスト」の語源である。

 もしかしたら水仙は、本当にナルキッソスなのかもしれない。自分が美しいことをよく知っていて、ただ美しい自分のために自らが美しいことを主張し、美しくあるためだけに存在しているのかもしれない。

 いいなあ、水仙。


 なんてことを考えながら、春の夜道を行く。

 向こうの街灯の下にも水仙が咲いている。こんなに遠くからでも、分かる。


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