3月11日 けきょけきょ、ほー


 朝、うぐいすが鳴いた。


 ほー、……けきょ。下手くそだ。これを、うぐいすの「ぐぜり鳴き」という。

 若いうぐいすは、ほーほけきょの練習を重ね、少しずつ上手になっていく。まだまだ下手だなあ。とか、ずいぶん上手になったなあ。とか、過程を楽しむこともまた春の楽しみのひとつだ。


 ここで、今朝聴いたぐぜり鳴きをご覧いただきたい。実際に聴きながら文字起こししたものである。


 ほー、ほけっ。ほー、ほー、けっきょ。

 ほけっ、ほけっきょけっきょ。

 ほー、ほけっ。けきょけきょ、ほー。


 ぐぜり鳴きは、「ほー」のまま中途半端に終わり、再開されることはなかった。どこかに飛んでいってしまったのだろうか。



 春になって、特別に小鳥たちに注目することは(私は)ない。彼らは冬の間も元気に動き回っている。私にとって小鳥というものは、春というよりも冬の象徴的生きものだ。


 椿の密を吸うメジロ、閑散とした駐車場を足早に横切っていくハクセキレイ。(私はハクセキレイが好きだ。動きが面白い)

 スズメは寒さに対抗するため、全身の羽毛をふっくらと立たせてまんまるになっているし、すっかり葉が落ちて枝ばかりになってしまった樹木に、橙色の胸がオシャレなジョウビタキがとまっている。信じられないほど冷たいであろう溜池に、なんてことないような顔をして、カモの群れが浮かんでいる。


 彼らのうち一部は、春が深まるにつれて姿を見られなくなる。渡り鳥だからだ。暖かくなるといなくなる。そういった印象が強いから、私の中で「小鳥は冬の生きもの」という概念が形成されたのかもしれない。


 私は虫や小さな生きものたちにある種の共感を覚えると初めに書いたが、この感情は鳥類には適用されない。一体どういった線引きなのか自分でもよく分からないが、小鳥たちは明確に「別種」である。

 どこかへ行ってしまったうぐいすの、下手くそな鳴き声を思い出しながら考える。なぜだろう。彼らは柔らかくて温かいからだろうか。なんだか食べられてしまいそうな気すらする。爪もくちばしもとんがっているからだろうか。



 共感こそ覚えないものの、小鳥たちの可愛らしい姿や仕草は好きだ。

 天気が良くて暖かく、かつ暇な休日は、神社がある小山に入って、口笛を吹く。

「ほー、ほけきょ」

 しばらく続けていると、どこからか聞こえてくる。ほー、ほけきょ。

 私は応える。「ほー、ほけきょ」

 すると、うぐいすも応酬する。ほー、ほほほ、ほけきょ。


 うぐいすの鳴き声の役割について、調べてみると色々な説があったが、大きくふたつ「縄張りの主張」説と「雌への求愛」説が目立った。

 私は、うぐいすと会話しているみたいで楽しいなあ。くらいの気持ちで口笛を吹いているのだが、もしかしたらうぐいすは、縄張りを荒らしに来た他個体を追い払おうとしていたり、恋のライバルに負けまいと気合を入れてさえずっていたりするのかもしれない。


 しかしながら、うぐいすの心、私知らず。楽しいので、口笛を吹き続ける。ほー、ほけきょ。

 たまに、ぐぜり鳴きの真似をしてみたりする。ほー、ほけっ。

 うぐいすに「あいつ、鳴くの下手くそだなあ。勝ったぜ」と、思われたかもしれない。






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