冬は人間を頑張ったから。

深見萩緒

3月1日 春よ来い。


 人間に向いていない、と感じることが多々ある。


 昨今では「生きづらい」という表現で市民権を得た(と思う)この感覚は、幼年期から今日まで、私の自意識をしばしば人ならざるものたらしめてきた。


 人ならざるものといっても、物語によくある「私は、実は人間ではないのだ!」という告白で示されるような、いわゆる「格好良い」種族(魔法使いや妖怪、神の血筋、異世界人などなど……)ではない。


 石の裏にいるダンゴムシやシデムシ、芋虫、葉虫、蛾。


 人間の世界に生きづらさを感じるとき、私が「私は実は人間ではなく、彼らの仲間なのだ」と思いを馳せるのは、いつもそういう小さな生きものたちだ。

 あらゆる場所に無数に存在する彼らの気配に紛れ隠れたとき、私はようやく一息つくことができる。石の裏に棲むひとつの命として、この世界に存在を許される。



 ところが、そうもいかなくなる季節がある。冬だ。

 冬は多くの生きものたちが身を潜める。全く生命の気配がないなどと言うつもりはないけれど、あらゆる生きものが活動性を落とすのが冬である。

 対して人間の、なんと元気なことか。

 人間世界の生活は、雪が降ろうと気温が氷点下を記録しようと、おかまいなしに営まれる。隠れ蓑たる虫たちの気配が失せた寒さの中、人間に向いていない私は、人間の世界に取り残される。


 本当は、土の下にはセスジスズメの蛹が眠っている。

 本当は、木の皮の隙間でクロウリハムシたちは身を寄せ合っている。

 けれど私は、冬を越す彼らの気配には隠れられない。これが、私がどうしようもなく人間であることの証左なのだと思う。


 仕方がないので、私は毎年、人間として人間の越冬を頑張っている。逃れようのない「人間」の私を、ひと冬の間、一生懸命生きている。



 さて、今日から3月だ。春が来る。

 この時期になると、私はどこを歩くにも、人間の目を見開いて(視力は悪い)、春の訪れを見逃さないよう気を付けている。


 ハコベが、小さな白い花を開かせていた。近所の家の庭にあるさくらんぼの木も、つぼみが膨らんで薄桃色が覗いていた。それから、カラスノエンドウの新芽が出てきた。

 今日までに見つけた、春の気配だ。今日、なまぬるい雨が降った。この雨でまた、植物たちは春が近づいたことを知るだろう。植物たちが勢いづけば、虫たちが動き始めるのももうすぐだ。



 また、私たちの季節がやってくる。

 冬は人間を頑張ったから、毎年毎年、飽きもせず春の訪れを喜ぶことを、どうかゆるしてほしい。


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